scene:16 アリサとの出会い
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ありがとうございます。
「問題はどうやって下りるかだな……モモちゃん、ここで待ってて」
エイタは通路を引き返し、展示物の一つである傀儡馬から骨格の残骸を引き剥がした。鋼鉄製の骨材はすべてが錆びている訳ではなかった。通路の出口に戻り、骨材から二つの物を作り上げた。
一つはワイヤーロープである。紐のような細いものだったが、軽々と成人の体重を支えるだけの強度を持っている。もう一つは先端に輪っかの付いた杭である。
その杭を通路の端に打ち込み、ワイヤーロープの先を輪に結び付ける。まずは荷物を下ろす事にした。ワイヤーロープの先端を荷物に結び崖下に下ろす。
「モモちゃん、背中に乗って。怖かったら目を瞑っているといいよ」
モモカを背負って紐で固定するとワイヤーロープを手に握り慎重に下り始めた。
自分とモモカの体重がワイヤーロープに掛かりギシギシと音が発生する。それに手が痛くなり、血が滴り落ちる。グローブか何かが必要だったようだ。やっと地上に下りた時は心底ホッとした。
地上は緑の雑草が生い茂る落葉樹と常緑樹が入り混じった森だった。迷宮では紫の植物しか目にしなかったので、新鮮な気分になる。木々の枝や葉を揺さぶる風の音は耳に心地よく、迷宮が如何に異常な場所だったかを思い知る。
太陽の角度からするとまだ昼にはなっていないようだ。モモカを背中から降ろし荷物を整理する。アサルトウルフの毛皮が嵩張りちょっと邪魔だ。とは言え、これを捨てるのは勿体ない。この艶やかな毛並みと丈夫な特性は貴重である。
嵩張るのは、まだ鞣していないからだと気付き、鞣す準備を始める。青銅ナイフで毛皮から肉片や脂を綺麗にこそぎ落とし、アイロンに似た鞣し魔道具をリュックから取り出した。クロムと青煌晶の合金製で、一角兎の毛皮マントを作った時に作製したものだ。
この魔導工芸品で鞣すとクロム鞣しと同じ原理で毛皮が鞣される。革細工職人には必須のアイテムである。
鞣し終わった毛皮を小さく纏めてリュックに括り付ける。エイタ以外の人間なら、そんな事より先に別の事をするべきと考えるだろう。だが、職人として未加工の素材をそのまま持っているのは見過ごせなかったのだ。
エイタは何処に向かうべきかを考えた。故郷であるジッダ侯主連合国のキラム地方は、国外追放となっているので帰れない。他に土地勘のある場所は自由都市連盟の首都ユ・ドクトしかない。
「ユ・ドクトには追い出された大使館が有るからな……でも、大使館付近に近付かなきゃ大丈夫か」
首都ユ・ドクトは人口八十万人ほどの大都会である。広さは東西が二クオル(1クオル=4キロメートル)、南北が一.五クオルあり、その広大な土地の中にある種の階級に別れて住み分けていた。
西側のベルブル湖に面した地域には大商人や権力者の邸宅が建ち並ぶ上流階級区、東側は軍事演習場や軍事研究施設、工廠、軍人住宅街などがある軍事区、北側は商会の使用人や職人の住宅、工房が有る中流階級区、南側はスラム街と畑や果樹園、林業など第一次産業の従事者が住む下流階級区が在った。
そして、その中心部には、幾つかの商店街、大きな工房地帯、連盟議事堂と中央官庁街、各国大使館が存在した。
各国大使館は中心部よりちょっと東側によった場所に存在するので、中央官庁街から東に行かなければ大使館の連中に見付からないだろう。
そうなると北側の中流階級区に潜り込んで、傀儡工として働けばいいだろう。リュックに入っている魔煌晶が有れば、工房付きの家が借りられるかもしれない。
「考えていても仕方ない。行動に移ろう」
ベルブル湖の方角は判っているので、どちらに歩けばいいかは判っている。この森には魔物が存在しない代わりに凶暴な野生動物が居る可能性がある。魔物は瘴気が濃い場所でしか生存出来ないので、迷宮か瘴気の森や谷に行かなければ遭遇しない。
だが、猛獣は何処にでも居る。この国で最も危険な猛獣はムーンタイガーである。三日月の模様がある大型の虎でかなり凶暴らしい。
モモカと一緒に北西の方角に向かう。崖伝いに西側から回り込み、ジェルドが住んでいる小屋には近づかないように注意しながら進んで、三ヶ月ほど前に馬車で通ったはずの道に合流した。
碌に整備されていない道だが、森の中よりは歩き易かった。
暫く道を進んだ所で、道を黒ウサギが横切った。エイタはインセックボウを抱え上げ、遠ざかるウサギにボルトを発射した。ボルトは黒ウサギの胴体に突き刺さった。
「昼飯にしようか」
「やったぁ~」
ウサギの首を刎ね血抜きをしてから内臓を取り出し皮を剥ぐ。それから道を外れて薪を探して来て火を起こした。肉を適当に解体し岩塩を擦り付けてから木の枝に刺して火で炙る。
この辺には猟師も居るはずなので、煙が見えても不審に思われないだろうと考えた。十分に火を通してから、肉の一つをモモカに渡した。
「美味しぃ~」
モモカは本当に美味しそうに食べる。味そのものよりも誰かと一緒に食事をするというのが嬉しいのかもしれない。ウサギ一羽丸ごと食べ終わると道に戻って歩き出す。
暫くして前方から馬車の音が聞こえて来た。エイタとモモカは道を外れ大木の陰に隠れて馬車が行き過ぎるのを待った。
前方から来る馬車が見えた頃、今度は後方から馬車の音が聞こえ始める。前方の馬車は傀儡馬が引く豪華な馬車で相当裕福な商人が乗っているのが判った。
反対に後方から来る馬車は、年老いた馬が曳くボロい馬車だった。二人が隠れている大木の前で、二台の馬車が止まった。
豪華な馬車から、金の刺繍を施した上着を着たビヤ樽のようなオッさんが降りて声を上げた。
「オヤッ、その紋章はヴィグマン商会の馬車じゃないか」
ボロ馬車から、エイタより少し年上の娘が降りて来た。服装は着古したオレンジ色のワンピースで没落一歩手前の商人の娘と言う感じだった。
「これはコルメン商会のリッジ殿ではございませんか」
栗色の髪に細面の顔、繊細な感じの顔の作りで綺麗な娘だが、眼だけは気の強そうな感じの娘であった。
「どうだ、魔煌晶が手に入ったかね」
嫌味な感じでリッジと呼ばれたオッさんが尋ねる。その問いを聞いて娘が怒った顔になる。
「あなたですね。我が商会に魔煌晶を売らないように地下迷路採掘場の商人たちに言ったのは」
リッジが薄ら笑いを浮かべた。
「いやいや、私は本当の事を知らせただけですよ。ヴィグマン商会がもうすぐ潰れそうだとね」
「卑劣な事を……」
娘が歯を食いしばるようにして、非難の言葉を告げる。
「ふん、他人を批難する暇が有るなら、良い探索者を探すんだな」
「その探索者を引き抜いたのは、あなたじゃないの!」
娘の声が大きくなった。
「それは仕方ない。探索者が我が商会の方がいいと言って来たんだから」
「それでも名誉有るユ・ドクトの商人なの」
「ふん、小娘が偉そうに。今更泣き言なんぞは聞かんぞ」
リッジはそう言い残すと馬車に乗り去って行った。
残された娘は、去って行く馬車を暫く睨んでから、馬車に乗り込もうとした。
「アッ、ウサギさん」
馬車の横を通り抜けようとした黒ウサギにモモカが気付き、インセックボウを向け発射した。ボルトは見事に命中した。エイタが黒ウサギを仕留めるのを見て、探していたらしい。
「きゃあー」
娘がボルトに射抜かれたウサギを見て悲鳴を上げる。
エイタはやれやれと言うように溜息を吐き、大木の陰から姿を現した。
「済まん、お嬢さん。妹がウサギを見てボルトを射っちまったんだ」
娘は突然出て来た青年と少女を見て目を丸くする。
「驚かせてごめんなさい」
モモカも自分の所為で驚いたのが判ったらしく頭を下げて謝った。
「貴方たちは何者です?」
「旅の者だ。これからユ・ドクトへ向かうんだ」
娘は疑わしそうな目を向けるが、幼いモモカに気付き視線を和らげる。
「妹と言いましたね。髪が短いのは何故です?」
「女の子だと判ると変な考えを起こす人間が居るんで用心だ」
娘が顔を顰め、少し怒ったような顔をする。この国の女性は非常に髪を大切にする。その髪をバッサリと切られている少女に代わり怒りを覚えたのだ。だが、旅をしているという者達に用心するなとも言えない。
「オイラ達は決して怪しい者じゃない」
「旅をしていると言ってましたが、何処から来たのです?」
疑い深い娘にイラッとする。だが、商人なら、これが普通なのだろう。
「ジッダ侯主連合国から来た傀儡工だ」
「あら、探索者か猟師かと思っていましたわ」
娘はエイタが持つ変わった弓を見て興味を持った。クロスボウは探索者が使っているのを見て知っている。しかし、この青年が持つ物は余りにも変わっていた。
「そのクロスボウは、何処でお買いになったの?」
エイタは手に持つインセックボウを見て、正直に答えた。
「こいつは、オイラが作ったものだ」
娘は何か考えているようだった。そして。
「ユ・ドクトまで馬車で送りますわ」
その申し出にエイタは驚いた。娘がエイタ達を不審に思っていると感じていたからだ。
「それは有り難いが、いいのか?」
「全く問題ありません。これでも迷宮に何度も潜った経験のある探索者ギルドの一員です」
今度はエイタが驚いた。迷宮に潜った経験が有る様には全く見えなかったのだ。……まあいい、乗せてくれると言うなら、善意に甘えよう。モモカの足だと今日中にユ・ドクトに到着するか怪しかったからな。
「モモちゃん、お姉ちゃんが馬車に乗せてくれるって」
モモカがニコっと笑い礼を言う。
「お姉ちゃん、ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして。さあ、乗って」
娘が先に馬車に乗った。
「ちょっと待って」
エイタは手早くモモカが仕留めたウサギの血抜きと内蔵の抜き取りを行い麻袋に入れた。
馬車に乗り込み座席に座る。向かい側には娘が座っている。娘は御者に馬車を出すように命じた。馬車がガタゴトと動き出す。
「そうだ、お名前を聞いていませんわ」
「オイラはエイタ。妹はモモカだ」
娘はニッコリと笑い。
「モモカというの、可愛いお名前ね。私はアリサ・ヴィグマンよ」
「アリサお姉ちゃん、よろしくなの」
「こちらこそ、よろしくね」
アリサはモモカが気に入ったようだ。
「ユ・ドクトは初めてかしら」
エイタは不必要な嘘はすぐにバレると知っていたので、正直に応える。
「いえ、二度目です」
「あたしは初めてだよ」
アリサは笑ってモモカを自分の座っている席の横に移動させた。
「エイタさんは、ユ・ドクトへ行って何をするつもりなの?」
「傀儡工として働ける工房を見付けて、そこで腕を磨くつもりです」
アリサが顔を曇らせ、言い難そうに告げる。
「それは難しいかもしれないわね」
「どうしてです。オイラは師匠の下で一生懸命に傀儡工としての勉強をしたんだ。同じ年の奴らより劣っているとは思わない」
「そうじゃないのよ。技量の問題じゃなく、自由都市連盟の人間じゃないと言うのが問題なの」
エイタが納得いかないと言う顔をしていたからだろう。アリサが説明してくれた。
大概の傀儡工房は外国人の職人を雇わないと決めており、その理由は軍部からの注文を受ける場合、審査があり外国人の職人を雇っている事が知れると審査失格となるかららしい。
「でも、軍関係の仕事はしない工房も多いんじゃないのか」
「ええ、その通りよ。でも、外国人の職人を雇わないというのが仕来りみたいになっているのよ」
エイタは絶望感を覚えた。アリサはエイタの顔が青褪めるのを見て。
「もしかして、お金がないの?」
「お金……金は無いけど売れるものなら有るから、当座の生活は心配ないんだ」
「売れるものね……私の商会で買って上げようか」
エイタはリッジと言う商人とアリサの会話を思い出した。
「商品の仕入れで困っているようだな」
アリサが嫌な顔をする。
「聞いていたのね。あのエロオヤジの所為で散々よ」
あの商人はユ・ドクトでも中堅の商売人なのだが、女癖が悪く。気に入った女性を金の力で自分のものにしようとするのだと言う。
アリサもリッジに気に入られ、妾になれと申し込まれたが、断ると商売の邪魔を始めたとアリサが愚痴る。
「それで売り物は何なの?」
アリサは獲物を見付けた獣のように目を爛々と輝かせ始めた。それを見てモモカがちょっと引く。
「魔煌晶だ」
「この近くの迷宮だと地下迷路採掘場だけど、あそこは権利を持っていない者は採掘出来ないから、南のポルポラの洞窟かしら……それだとあんまり期待できないわね。黄煌晶しか取れないから。でもいいわ、黄煌晶でもいいから買うわよ」
エイタは何か馬鹿にされている気がして売るのは止めようかと思ったが、アリサが善意で言っているのが判ったので、リュックから魔煌晶の入っている麻袋を出し、アリサの目の前で袋の口を開いて見せた。
「エッ!」
アリサは驚きの声を発し、身体を細かく震わせ始めた。