scene:11 クロスボウ
午後からはクロスボウの試作を始めた。最初に手を付けたのは鋼バネの製作だった。工房に備蓄して有った鉄塊に『変形』の魔導紋様を描いてから魔力を流し込み粘土のように柔らかくなったのを確かめてから、すりこ木を使って長方形に伸ばす。
厚さ二ウレほどの長方形の鉄板が完成する。そこに『組成変性』の魔導紋様を使いクロムとモリブデン、炭を添加した鋼バネを完成させた。
この鋼バネに意図して添加したものは、クロムとモリブデン、炭素なのだが、クロムやモリブデンに不純物が入っており、他の金属成分も添加された合金鋼になった。
その影響なのかは不明だが、頑強でよくしなる鋼バネが出来上がった。
モモカは鋼バネを作っている様子を一心不乱になって見詰めていた。この地下迷路採掘場に来て約一日が経過したが、自分がどのような状況にあるのか理解していなかった。
モモカの家庭は、母親とモモカだけの母子家庭であった。水商売をしている母親は、モモカを小学校に通わせていたが、食事やその他の生活に必要な最低限の事をしてくれるだけで母親らしい事はほとんどしなかった。
モモカは安アパートで一人だけでほとんどの時間を過ごす事が多く、育児放棄に近い状態でモモカは生きていた。
近所の住人がモモカを心配して役所に訴えた事もあったが、その時だけ反省した態度を示し数日後には元の状態に戻る駄目な母親だった。
そして、奇妙な現象が起こった日は、モモカが八歳の誕生日だった。だが、母親は家庭に帰って来ず、夕方遅くまで公園で一人遊んでいた。
その時、モモカの理解出来ない事が起こったらしい。いや、モモカだけではなく大人でも判らない不思議な事が起こったのだ。モモカは自由都市連盟の首都ユ・ドクトの貧民街に現れ、スラムの住民に捕まった。
それからの記憶はあやふやだった。次に気付いた時には、お兄ちゃんが傍に居た。
お兄ちゃんは優しかった。怪我を治してくれて、ご飯を食べさせてくれた。昨日と今朝食べたパンとスープは正直美味しくなかったが、誰かと一緒に食べる食事は何だか嬉しかった。
「モモちゃん、退屈じゃないか?」
エイタがモモカに声を掛ける。モモカは椅子に座り足をブランブランさせながら、作業台の上を見ている。
「面白いよ。お兄ちゃん、魔法使いなの?」
「……違うよ。自動傀儡を作る傀儡工と呼ばれる職人さ。魔法使いは昔は居たんだけど、今は居ないんだ」
「ふう~ん、職人さんなんだ」
魔導刻印術を使える者は魔力制御能力を持っており、魔法使いと同じように『世界の理』を操作する事が出来る。但し、魔導刻印術が天霊紋の力を借りて『世界の理』に干渉するのに対し、魔法使いは直接『世界の理』に干渉する力を持っていた。
魔法使いとは本当に特殊な能力を持った人々だったのだ。
「お兄ちゃん、何、作ってるの?」
「ああ、クロスボウと言う武器だよ。午前中、設計図を書いてただろ。あれだよ」
「変な形の弓なの……」
設計図に描かれた弓は奇妙な形をしていた。木製の弓床の先端に鋼バネ製の弓が接合され、弦受けや引き金が取り付けられているのは通常のクロスボウと一緒なのだが、弓床の下部に五本のボルトが入れられる矢筒が斜めに固定され、台尻の部分に奇妙な義手が取り付けられていた。
この義手は傀儡義手で弦を引きボルトを番える機能を持たせようと考えている。
鋼バネを弓の形に切断し加工する。ウィップツリーの死体(丸太)をノコギリで角材として切り出しノミと小刀を使って弓床の形に加工していく。これが金属なら『形状加工』の魔導紋様を使って一気に加工するのだが、木材などに『形状加工』の魔導紋様を使うと木の細胞が捻じれ脆くなってしまうのだ。
その日の午後は弓床の作製で終わった。
小部屋に帰り、工房に隠していた二人分の緑煌晶をジェルドに渡しパンとスープを受け取った。夕食を食べてから、槍の訓練を行う。職人らしい戦いをすると言っても、槍の一つも使い熟せないようでは魔物に殺されるだろう。
今後も戦いの鍛錬は続けつつ、新しい武器や装備を整えていこうと思う。
「カッコいい……でも、お兄ちゃんは職人なんでしょ」
「ここは迷宮だからな。怖い魔物がたくさん居るんだ。強くならないと駄目なんだよ」
「モモカも強くならなきゃ駄目なの?」
エイタは可愛く小さなモモカを見て、どうしたものかと考える。モモカの生存率を上げるには、顕在値レベルを上げ、基礎能力を伸ばす必要がある。
だが、モモカに魔物が倒せるだろうか。一番弱いバーサクラットを倒すのも無理だろう。
「待てよ、モモカにクロスボウを持たせれば可能か」
エイタは今回試作しているクロスボウより小型のものを作れば、モモカでも弱い魔物を倒せるかもしれないと小型クロスボウの問題点を洗い出し始める。
小部屋の中が暗くなるとモモカが闇を怖がり始めた。
「何で明りがないの?」
泣きそうな声で尋ねる
「ごめんよ。夜光灯を持って来れたら良かったんだけど、さっきのおじさんに見つかると取り上げられちゃうんだ。明日、ランプを作ってやるよ」
「うん、お兄ちゃん、約束だよ」
「ああ、約束だ。今日はもう寝な」
翌朝、日の出と共に起きた二人は、朝食を食べてからエイタが水晶広場から汲んで来た桶の水で顔を洗い、歯を磨く。歯磨きに使っている歯ブラシは、双角子豚の毛を使ったものでエイタが自作したものだ。
モモカの破れた服にエイタの着古したシャツから切り取った布を当て修理する。更に継ぎ接ぎだらけの服になったが、破れているよりマシだろう。
モモカも喜んでくれた。
「お兄ちゃん、ありがとう」
こんなボロい服を着て嬉しそうにニコニコしている様子を見ると何だか不憫で切なくなった。
今日も工房へ行きクロスボウの製作を行う。鉄を使って弦受けや引金、鐙などの細かい部品を作成しクロスボウを組み立てる。弦はウィップツリーの鞭を加工して弦にした。
クロスボウの矢は通常の矢よりも太く短い、名称もボルトと呼ぶようだ。ボルトに適した木材がないので、薄く伸ばした銅板を丸めてパイプ状にしたもので代用する。鏃は鉄製で矢羽はアモンバードの黒い羽を使う。アモンバードはミニスライムを好んで食べ、黒い羽で覆われた鶏という感じの魔物である。嘴が鋼鉄で出来ているかのように硬く鋭いのが特徴で、その嘴で突かれると人間の体なら簡単に穴が空く。
ボルトを五本作るとエイタはクロスボウを作業台の上から取り上げた。
傀儡義手はまだだが、他は完成したので試し打ちをしようとエイタは考えた。クロスボウの先端に取り付けられた鐙に右足のつま先を引っ掛けて弦を両手に持って背筋を使ってグッと引く。かなりの力が必要だった。弦受けに弦を引っ掛けて力を抜き、ちゃんと弦が引けているかを確認し、引金を引いてみる。弦受けに引っ掛っていた弦が外れ、バシュッという空気を切り裂く音がして弓が元の状態に戻った。
「よし、引金もちゃんと機能するようだ」
もう一度弦を引き、今度はクロスボウにボルトを番える。ボルトの最後部(矢筈)を弦に押し付けるようにして弓床に掘られた溝にセットする。
工房の反対側にある壁目掛けて狙いを定め引き金を引いた。ボルトは目で追えない速さで飛翔し、壁に突き刺さった。
「アッ、壁に刺さった!」
おとなしく見ていたモモカが、びっくりして大声を上げた。工房の壁は硬そうな岩で出来ていると思っていたからだ。実際は柱とモルタルのようなもので工房を補強しており、ボルトの刺さった部分は朽ち果てた柱だった。
「モモちゃん、これ持てる?」
エイタがクロスボウをモモカに渡すと、重そうに両手で抱える。持てなくはないが敵に狙いを付けられそうにない。何か支持台のようなものを用意して、そこにクロスボウを乗せ狙うしか無いだろう。
早速、支持台の作製を行う。三脚に棒とクロスボウを乗せる小さな台を取り付けたものが完成した。支持台にクロスボウを乗せ、ボルトを射るようにモモカに指示する。
もちろん、弦を引いてボルトを番えるのはエイタの仕事だ。
「こう?」
支持台にクロスボウをヨイショと乗せたモモカが、振り返ってエイタを見た。
「それでいいよ。引金を引いてごらん」
モモカが引金を引き、ボルトが発射された。先ほど刺さった場所の近くにボルトが刺さる。
「よし、いいぞ」
エイタがモモカを褒めると。
「んふふっ……もう一回やっていい?」
エイタはモモカに十数回クロスボウの練習をさせると荷物を持って出掛ける用意をした。今日の分の魔煌晶を採掘に行くのだ。
「ももちゃん、仕事に行くよ」
「お仕事……モモカも一緒に行っていいの?」
「ここでは、モモちゃんも働かないといけないんだよ」
「……判った」
モモカは元気そうに振舞っているが、その目には不安があった。エイタは無理も無いと思ったが、モモカの顕在値レベルを上げるには一緒に行くしか無い。
今日の目的地は西側の中央辺りに有る小空間である。そこにはアモンバードが三羽居て、採掘場に入ろうとする者たちを妨害している。
落とし穴の罠を避けて小空間の入り口まで来た。入り口から中を覗くと尾羽根が長く黒い鶏が、紫の雑草が生い茂る小空間を闊歩していた。
顕在値レベルが二桁になっているエイタにしてみれば問題なく倒せる雑魚だ。
仕込み槍を持ったエイタは、中に踊り込みアモンバードの足を狙って槍を振り回す。瞬く間に三羽のアモンバードの片足を切り飛ばす。三羽の中二羽は狙い通り片足だけを切り飛ばすが、最後の一羽は下腹部分も一緒に切ってしまった為、死んでしまった。
エイタは入り口の戻り、そこで待っていたモモカに地面でのた打ち回っているアモンバードを仕留めるように言う。
「さあ、クロスボウで魔物を仕留めるんだ」
麻袋から支持台とクロスボウを出し準備をする。ボルトを番えたクロスボウを渡すと、モモカは支持台に乗せアモンバードに狙いを付ける。
一射目はちょっとだけ狙いが外れ、二射目で一羽の胸をボルトが射抜いた。そして、二度外して五射目で最後のアモンバードを仕留める。その途端……。
「お兄ちゃん、身体が熱いよ」
モモカの顕在値レベルが上がったのだ。
「大丈夫だよ。ちょっとだけ我慢して」
モモカが不安そうにエイタを見るので、エイタはその頭を撫で褒める。
「よくやったぞ。偉い偉い」
モモカがニコッと笑い胸を張る。
アモンバードのトサカ部分に結晶化したマナ珠を採取した後、血抜きし解体する。アモンバードの肉は臭みがなく淡白な味だが、肉から滲み出る脂はほんのり甘くいい香りがする。
エイタは細切れにして塩を振るという料理法しか知らないので、その肉の本当の美味しさを知っているとは言えないが、あのパンとスープよりはよっぽど美味い。
アモンバードを仕留めたエイタたちは採掘場へ向かった。地層が剥き出しになっている場所にツルハシを打ち込んだ。ツルハシを持っている手に力を入れ踏ん張ると、土と岩、緑煌晶が地面に転がり落ちる。
「ウワッ、綺麗な石」
「モモちゃん、その緑色の石を袋に入れてくれる」
「これが仕事なの?」
「そうだよ。こいつは魔煌晶の一種で緑煌晶と言うんだ。高い値段で売れるんだ」
その場所で計量枡三杯分の緑煌晶を手に入れた二人は、一旦工房へ戻りクロスボウなどを仕舞った。それから遅めの昼食を食べた。アモンバードの塩焼きである。
「お兄ちゃん、夜もお肉じゃ駄目なの?」
「あの小部屋だと料理が出来ないんだ。我慢してね」
「うん、判った」
自分の部屋で料理をした事が有るのだが、やっぱり油や肉の臭いが部屋に残り、ジェルドに変な顔をされた経験があった。それ以来、小部屋では料理しない事に決めていた。
エイタはモモカの為にランプを作製した。採掘場で手に入れた粘土を小型のティーポットように加工し、『加熱』の魔導紋様で焼き入れる。中に迷宮蔦の実から取った油を入れ、ランプの芯には布切れを紙縒りのようにして紐状にしたものを使った。
小部屋に戻り、鋼鉄のツルハシに黒曜石を打ち付け火花を散らして火種を作ってランプに火を灯した。
そこにジェルドがやって来た。
「おい、そのランプはどうしたんだ?」
「オイラが作ったに決まってるだろ」
ジェルドは呆れた顔をする。
「油と火はどうしたんだ?」
「迷宮蔦の実を絞って油を取り出したんだ。火は……」
エイタがツルハシと黒曜石を使って火花を散らすと、ジェルドがなるほどと言うように頷き。
「お前は本当にここに住み着く気なのかよ」
「ここの飯が美味かったら住み着いてもいいんだがな」
「チッ、パンとスープを用意してやって貰えるだけでも有り難く思いやがれ」
ジェルドは、エイタの後ろに隠れているモモカに目を向けた。
「そのガキを死なすんじゃねえぜ。もし死んだら、ガキの借金をお前に肩代わりさせるからな」
エイタが驚いて大声を上げる。
「何だとぉ!」
「そのガキの借金は、金貨五枚だ」
「青煌晶が銀貨一枚の価値があると言われているから、一〇〇個分の借金かよ。黄煌晶だって取って来れない子供に無茶苦茶だ」
「だから死なすなと言ったんだ」
ジェルドは、パンとスープを渡すと去って行った。