scene:10 モモカ
幾つかの魔導工芸品を製作した後、小部屋に戻るとジェルドが待っていた。
「エッ、何だって?」
ジェルドがドア越しに主人からの命令を伝える。
「このガキは、お前が面倒を見ろと言ったんだ」
エイタは入り口から入って来た子供に目を向けた。酷い虐待を受けたようで顔が腫れている。短い黒い髪に黒眼、容貌は現在不明(腫れているので)だが、線の細い女の子のような少年だった。
エイタが少年だと判断したのは髪の長さからである。この大陸の女性なら胸の辺りまで髪を伸ばしているのが普通だからだ。
「このガキが一人、ここに放り込まれたら死んじまうだろ。それは判るよな」
エイタはめそめそと泣いている少年が小さな声で謝っているに気付いた。
「ごめんなさい……打たないで」
「だからって、何で俺なんだよ」
ジェルドがジト目で部屋の中を見回す。寝台・作業台・椅子が並んでいる。こんな贅沢な採掘下人の部屋は初めてだ。
「お前が一番余裕有りそうだからだ」
エイタは否定しようとして、部屋の中を見た。……クッ、否定出来ん。
「今日の食事はおまけしてやる。明日からは、今までの二倍の魔煌晶を期待しているからな」
言いたい事を言ってジェルドが去ると部屋の中にエイタとモモカが残された。
「あの商人、俺をここから出す気が無いんじゃないだろうな」
刑罰として言い渡された賦役の期間は三ヶ月、後一ヶ月も無い。それなのに子供を押し付けて来た事を考えるとドラウスと言う商人は、ここからエイタを出さない気なのかもしれない。
「逃げないようにする足枷がこれか」
仕方なく外していた<治癒の指輪>を左手の中指に嵌め、泣いている少年の額に指輪を押し当てると魔力を込めた。大量の魔力が身体から流れ出し治癒に必要な魔力の大きさを感じる。次の瞬間、指輪から淡い金色の光が溢れだし子供の身体に吸い込まれる。
子供の腫れていた顔が元に戻り始め、青痣が薄れ腫れが引いて来る。痛みが消えてしまったからなのか、子供が泣き止んでいた。
「おじさんが治してくれたの?」
「……お兄さんね。そこは間違えないように」
「名前は?」
「ヤオイ・モモカ……八歳」
「珍しい名前だね。モモカと言う家の子供なんだ」
「ち、違う。家はヤオイ」
「ん……じゃあ、モモカ・ヤオイだ」
モモカが変な顔をしている。
「どうした?」
「ここは外国なの?」
「君は自由都市連盟の人間じゃないのか?」
モモカが首を振り、自分は『日本人』だと主張する。エイタはそんな名前の国を聞いた事がなかった。
モモカの様子から嘘を言っているとは思えないが、確かめようと考えた。
「モモカの基魂情報を調べさせて欲しいんだけど、いいかな」
「基魂情報? ……いいけど、注射するの?」
「注射が何か知らないけど、ちょっとチクチクするけど痛くはないよ」
モモカが承知したので<基魂符>を取り出し、表側の端をモモカの額に押し当て魔力を流し込む。モモカの身体に魔力が流れ込んだ時にピクリとしたが、我慢したようだ。
エイタの脳裏に情報が浮かび上がった。
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【モモカ・ヤオイ】
【年齢】八歳
【性別】女
【称号】日本生まれの小学生
【顕在値】レベル1
【魔力量】1/1
【技能スキル】一般生活技能:八級
【魔導スキル】自動翻訳:三級
【状態分析】
魔導異常<なし>、疲労度<3>
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「エッ……モモカは女の子なのか」
モモカが黙って頷いた。腫れがなくなった顔は動物の赤ん坊に共通する可愛さが有り、澄んだ瞳と形の良い鼻がバランスよく並び、相当な美女となる将来性を感じさせた。
少女の手を見るとほとんど荒れていない。貧しい家庭に育った子供なら、家の手伝いとかさせられ多少は手が荒れているものだ。モモカは金持ち、または貴族の娘だったのかもしれない。
そして、日本人だと言うのは本当らしい。小学生は知らないが、モモカの話から学校の生徒らしい。スキルに自動翻訳を所持している。珍しいスキルであると同時に三級というのは異常だ。
「どうして、こんな所に居るんだ?」
「……判らないの。公園の砂場で遊んでたら、嫌な臭いのする場所に来ちゃって……それから怖いおじさんに捕まって……」
モモカの話では、近所の公園で遊んでいる時、突然知らないスラム街に魔法のような力で飛ばされたらしい。そのスラム街の住民に捕まり、そいつの息子の代わりに商人に売られ、ここに来たのだと言う。
「日本という国は聞いた事がない。よほど遠い国なんだな」
「あたし帰れないの?」
また涙目になるモモカを宥め、パンとスープを食べさせる。お腹が減っているので食べているが、モモカが満足する食事ではなかったらしい。
「このパン、硬いし美味しくない」
「ここじゃあ、これしかないんだ。スープにつけて食べてごらん」
モモカがコクリと頷きパンを食べ始める。
辺りが暗くなり始めるとモモカが不安そうに天窓を見詰める。
「どうした?」
「明り点けないの?」
「ああ、ここにはランプもロウソクも無いんだ」
辺りを闇が支配するようになるとモモカはエイタの腰にしがみつき離れなくなった。闇が怖いらしい。
「今日は疲れただろ。そこの寝台で寝な。このマントを使っていいから」
「お兄ちゃん……ありがと」
エイタは麻袋に入れてあった一角兎の毛皮で作ったマントを取り出してモモカに渡す。モモカはマントに包まるようにしてエイタの寝台で眠ってしまった。ただ、その小さな手はエイタの手を握って離さなかった。
翌朝、残りのパンとスープで朝食を摂り、モモカと一緒に西側に在る工房へと向かった。工房には井戸や排水口が有り、即席の洗い場を作ってある。そこで洗濯の為に作った大きめのタライに水を汲み、モモカに行水するように言った。
モモカはタライの水に指を浸し。
「冷たい……」
エイタは苦笑して、料理に使っている黒曜石製の加熱石板をタライに入れ魔力を込めて手を離す。石板が熱を持ち水を温める。
「アレッ……温かくなっている……何で?」
モモカが不思議そうな顔をしているので、加熱石板を拾い上げ。
「こいつは魔力を熱に変える魔導工芸品なんだ」
「魔導工芸品? ……魔法? よく判らない。でも、これお風呂なの?」
エイタは少し恥ずかしそうにしているモモカの為に、タライを工房の隅に移動し魔物の革で作ったカーテンで見えないようにした。
モモカは所々破れている服を脱ぎ、タライの中に入って身体を洗い始める。モモカにはタオル代わりの布の切れ端を渡してあった。
「服は俺のシャツを着ろ。それから脱いだ服は洗濯するんだぞ」
そう言って工房中央にある作業台の所に戻ったエイタは、武器のアイデアを練り始めた。
「傀儡工ならではの武器を作りたいな」
……………………
………………
…………
悩んだ末に決めたのがクロスボウである。機械弓・十字弓と呼ばれる事もあるが、引き金を引く操作でボルトを発射する仕掛けを持つ弓である。
しかし、このクロスボウには欠点があった。一旦、矢を射ると次を射るまでに時間が掛かる事だ。それを改良したものも幾つか世に出ているが、大型化する傾向があり狭い場所が多い迷宮で使うには問題が有る。
それに魔物用のクロスボウは大きな威力がないと仕留められない為、大型になり易い。だが、取扱を考えると小型にしたい。高威力と小型化、それを実現するには強力な反発力を持つ素材が必要である。
エイタには一つだけ心当たりが有った。最近、馬車の振動を緩和する為に使われている合金製の鋼バネだ。鉄にクロムとモリブデンを加えた合金で、鋼バネとして優秀な性能を持つ。
この迷宮でクロムとモリブデンの鉱石も見付けていたので、その合金を手に入れられる。
だが、その合金を使った弓を作成した場合、並の腕力では弦を引けない弓になる。つまり使い手を選ぶのだ。
エイタは職人だ。自慢じゃないがそこまで腕力はない。……とほほ・・本当に自慢じゃない。
解決法として、傀儡工らしい手法をエイタは選んだ。
「弦を引く傀儡義手を作ろう」
自動で弦を引き、ボルトを番える機械仕掛けの義手を作ろうと決めた。傀儡義手ならば人の手でボルトを番えるよりずっと早く連射出来るだろう。
「……でも、人造筋肉がない。ウィップツリーの樹液は十分な量を集めているんだがな……」
樹木系魔物から採取される樹液を固め加工したものが人造筋肉である。樹木系魔物と言えばウィップツリーもその一種なので、その樹液と添加剤さえ有れば人造筋肉が作れる。
「添加剤か、硫黄と水銀だな。硫黄は工房に有ったものを使えばいいけど、水銀は辰砂から抽出するしかないか。そうするとオークと戦わないといけないのか」
オークの巣である小空間の奥に在る採掘場所から辰砂が採掘されたのを思い出していた。
「お兄ちゃん、服はどうやって洗うの? 洗濯機は?」
モモカが大きめのシャツを着てエイタの前にトコトコと歩いて来た。その姿は小さな天使のように可愛かった。
「タライのお湯で手洗いするんだ」
エイタはお手本としてモモカが着ていたボーダー柄の長袖シャツを洗ってみせた。お湯の中で布を擦り合わせている様子を、モモカは珍しそうに見ていた。
「やってごらん」
「うん」
モモカがゴシゴシと服を洗い始める。
エイタは作業台に戻り、水銀の事はひとまず置いて設計図を書き始めた。瘴気の明りだけだと手元が暗かったので、工房に有った唯一の照明魔導工芸品である夜光灯のスイッチを入れる。
「アッ、明り……ここには明りが有るんだ」
モモカが嬉しそうに言う。シンプルな燭台のようなものに白銀コインと魔玄素変換器を組み込んだ簡素な作りの照明具だった。因みに照明具のエネルギー源は魔玄素変換器に投入されたマナ珠である。魔玄素の塊であるマナ珠を魔力に変換し白銀コインに刻まれた『魔光変換』の魔導紋様が光として放射しているのだ。
このタイプの魔導工芸品は高価であり、シンプルなものでも金貨三枚ほどする。
モモカは自分の服を洗濯し干そうとしてどうしようと迷った。ピョコッと首を捻り、近くに紐が置いて有るのに気付き、その紐を工房の柱と柱の間に張り物干し場を作って洗濯物を干した。
その後、作業台で設計図を書いているエイタの横にチョコンと座って興味深そうに設計図を見始めた。
エイタは設計図を描き上げると、いつの間にか横に座っているモモカに笑い掛けた。
「お腹が空かないか?」
「ん……ペコペコだよ」
そろそろ昼時だろう。顕在値レベルが上がって基礎能力がアップしたエイタは、以前よりお腹が空くようになった。そこで迷宮内に有る食材を使って昼食を用意するのが習慣になっていた。
とは言え、迷宮内の食材は限られている。肉は双角小豚・一角兎・アモンバード、野菜は迷宮内で採れる茸とイバラ豆ぐらいしか無い。
イバラ豆は棘の付いた鞘に入っている紫色の豆で、味は少しだけ苦味が有る。だが、塩水を沸騰させたものでアク抜きをすると美味しく食べられる。
今日はアク抜きしたイバラ豆と豚肉の細切れを使った料理を作る事にした。エイタが作った銅製のフライパンを加熱石板で熱し双角小豚の脂身から作ったラードを入れ、ラードが溶けたら豚肉の細切れを炒め始める。そこにアク抜きしたイバラ豆を入れ、豚肉から出た脂を吸わせながら炒める。味付けは塩だけだが、エイタが作る料理の中では上位に入る美味しさだ。
モモカは木で作ったカップに入れられた料理をスプーンで掬って口に運ぶ。
「あふっあふっ……美味しい」
パンとスープの食事とは違い、美味しそうに食べるモモカを見て、エイタは笑みを浮かべた。




