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3-3.獣人と人間

3-3.獣人と人間



 ほどなくしてフーラはルイスを追いかけた。

 おぼつかない足取りで歩いていたというのに、ルイスはかなり速く歩いていたみたいで、もう森の中にはいなかった。


 ようやくルイスに追いつけたときには、いつもの海岸に出ていた。



 ルイスは浜辺に乗り上げたままのヨットに座って、ぼんやりと海の方を眺めていた。



 フーラが近づくと、ルイスはこっちを振り返った。

 そしていつものように優しく笑いかけてくれたけど、その微笑みはどこか寂しげだった。


「ここ、座る?」

「うん……」


 ルイスはヨットの真ん中から少し右側に寄った。

 フーラは空いた左側に腰をかける。

 そうしてまたルイスは海の方に視線を向けた。

 フーラはその虚ろな横顔を見ていたが、しばらくして同じように海の方を眺めた。



 昼間、青い世界を作り出していた海と空は、今ではすっかり濃紺の世界に変わっている。

 夜でもきらきらと輝きながら揺れる水面は、まるで空にかかる星のようだ。

 その何十にも散りばめられた星の真ん中で、北極星は動かないままじっとこちらを見つめている。



 いったいどれくらいそうしていただろうか。

 しばらくしてから、ルイスがぽつりと喋りだした。


「フーラも、みんなと同じなのか?」


 その問いに、フーラは一瞬何のことかと考えを巡らしたが、すぐにさっきのことだと思いつく。


「わたしは……分からないの。ルイスがどうして怒ってるのか。だって、わたしにも獣人と動物の違いが分からないし、さっきだってどうしてルイスがあんな行動に出たのか分からない」


 フーラは思ったままに答えた。

 そして一旦そこで言葉を切ってから、また話し出す。


「わたしはここでしか暮らしたことがないからよく分からないんだけど、ここではね、弱い動物は強い動物に食べられているけれど、それは強い動物に命を受け継いでいるの。強い動物はそれを得てもっと強くなるんだけど、その中で弱い動物はずっと生き続けるの。だから食べられることは、決して悪いことじゃないのよ」


 それがこの島にある逆らうことの出来ない当然の摂理だ。

 だから仲間が他の動物に食べられても、悲しみはしない。

 

「それが”ここでの生き方”……か」


 フーラの話を黙って聞いていたルイスは、ぽつりとこぼすと、また黙ってしまった。

 ぼんやりと海の方を眺めるルイスの視線は、今日の昼過ぎにここで話していたときと同じように、遠く海の向こうにある世界を見ているようだった。



 そこでフーラはルイスが「生きる意味」を探していたことを思い出す。



 ルイスは「どうして生きているのか」が突然分からなくなったと言っていたけれど、それじゃあフーラは「どうして生きているのだろう」?

 生まれることも生きることも、食べられることも朽ちることも、それらすべてがこの世界では当然で、意味なんて考えたこともなかった。それはフーラだけでなく、この島に住む動物や獣人たちも同じはずだ。


 弱い動物は強い動物に命を与えている。そのために「食べられる」んだと思っていた。

 しかしそれは正しいのだろうか?

 それじゃあ強い動物は何のために生きている?



 考えれば考えるほどに、答えが見えなくなって、頭の中は混沌とする。

 考えることなんてフーラはあんまりしたことがなかったから、それだけで頭がパンクしそうだ。



 フーラがひとり頭を抱えていると、再びルイスが喋りだした。


「でもそれって、矛盾していないか?」

「え?」


 再びルイスが何を指しているのか、フーラは分からなかった。

 考えを巡らしているうちに、ルイスは言葉を続ける。


「ここにあるのはごくごく当たり前の食物連鎖だ。それは俺だって分かっている。だけどフーラは今、食べられることは悪いことじゃないって言っていたが、それじゃあどうしてみんな逃げるんだ。食べられても生き続けられるなら、逃げる必要なんかないじゃないか」


 ルイスの言葉に、フーラは言葉をなくす。

 そんなことたった今言われるまで、気がつかなかった。

 しかし、早く答えを返さないと、とフーラは必死で考えを巡らす。


「それは、やっぱり食べられるのは怖いから……」

「どうして怖い?」

「それは痛いから……?」

「痛いと怖いのか?」

「それは……」


 ルイスが次々に疑問を投げかけるごとに、フーラの頭の中はますます混乱して、ついには言葉に窮する。

 見えない壁にぶち当たったかのような感じで、それすらも初めての感覚であったから、フーラは困惑するばかりだった。


 ルイスは一拍間を開けてから、言った。



「それは死ぬのが怖いからだ」



 その言葉に、フーラは再び言葉をなくした。

 そんな様子のフーラに構わず、ルイスは更に言葉を続ける。


「確かに命は巡る。それが巡るから、この大自然が出来上がっている。だけど生きているものは必ず死ぬ。その死が怖いから、足掻くんだ」


 ルイスはさっきの”矛盾”にひとつひとつ答えを出していく。

 その答えの中で、フーラはある疑問にたどり着く。


「食べられることは、死ぬことなの?」


 フーラは、今まで一度も感じたことのなかった疑問を、ルイスに投げるかける。

 ルイスは曖昧に微笑んだ。


「それが死なのかは、色々と解釈の仕方があるけどな。だけど、食べられてしまったら、二度と自分でいることは出来ない」

「”自分”?」

「そう、だってそうだろう? フーラは大陸に思いを馳せているようだけど、食べられてしまったら、たとえ食べたやつが大陸に行ってしまっても、フーラの目では見えない。みんな、明日、また明日と自分のままでいたいから、食べられたくないんだ」


 そこまで言って一旦言葉を切ると、ルイスはほどなくして話を続ける。


「それは他の人に対してだって同じだ。俺はさっきキツネを撃った。お世話になっている獣人たちが、突然襲われて食べられるのを、見捨てることなんか出来なかった。それだって、彼らに長く生きて欲しかったからだ。きっと彼らもみんなと一緒に逃げたかったに違いない。まぁ結果的に救えなかったし、そのために何のためらいもなくキツネを撃った俺が言えることではないかもしれないけどな」


 と、最後に力なく笑ってそう言った。


 ルイスが一言一言言うたびに、フーラはさらに見えない壁にぶち当たっているかのような感覚を覚える。

 ルイスの考えは、フーラからしたらとても不思議なもので、フーラの頭の中の混乱は消えそうになかった。

 今までの常識を覆すかのような、衝撃的なものばかりだったからだ。





 ルイスはもう一度ふっと笑うと、ぱんと膝を叩いて立ち上がる。


「明日、俺はここを発つよ。短い間だったけど、特にフーラにはお世話になった」


 それまでぼんやりと虚ろだったルイスの瞳は、すっかりといつもの優しい色に戻っていた。


 ルイスはフーラに右手を差し出す。

 それは出会ったときにしてきたものと同じだったので、フーラも右手を差し出して、ルイスの手を握った。


 フーラは首を傾げながら、あのときに言った言葉を口に出す。


[よろしく?]


 するとルイスはくすくすと笑って首を振った。


「違う違う。それは仲良くするときの挨拶なんだ。今回はありがとうの握手」

「ありがとうの握手?」


 フーラがもう一つ首を傾げれば、ルイスはいつもの温かい笑顔で言った。



[ありがとう]



 そう紡ぐルイスを、フーラはぼんやりと見上げていた。



 明日からまた、ルイスは「生きる意味」を探しに行く。

 フーラの常識を覆したまま、去っていこうとする。

 ルイスはフーラよりも沢山のことを考えて色んなことを知っていそうなのに、答えもないまま消えていく。


 彼はこの島で何を知ったのだろう。

 この島に失望したのだろうか。


 ルイスが去ったら、フーラはここで何をするのだろうか。



 楽しかった時間は、空しさと混沌に掻き消されていきそうだった。



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