3-2.獣人と人間
3-2.獣人と人間
太陽が西の真ん中に差し掛かってきた頃に、フーラとルイスも森へ帰った。
森に入るといつものように川の下流では、シカやアライグマなどの動物や獣人たちがそれぞれの生活を送っている。
そこまではいつもと同じ光景。
しかし、イタチ族の縄張りに戻れば、いつもはあまり見ない光景があった。
寝床のほら穴の横にある木の周りに、イタチ族の動物や獣人たちがみんな集まっていた。
そのうちのミンク獣人のおじさんがフーラたちに気がつくと、満面の笑顔で話しかけてきた。
「お、二人ともおかえり。今日はとっておきのご馳走を用意したぞ」
そう言っておじさんは誇らしげにほら穴の横にある木の方に目を向けた。
そこには、耳の長いウサギ獣人の少年が、木の枝から逆さ吊りされていた。
「だっ誰が”ご馳走”だ! 早く下ろせ!」
少年は肩から血を流したまま、ミンク獣人のおじさんに強気で怒鳴る。
しかし叫びながらも、からだががくがくと震えていた。
何故なら血が滴るたびに、周りを囲む動物や獣人たちがじゅるりとよだれを垂らしていたからだ。
「わあ、おじさんがしとめたの? こんなご馳走、何日ぶりかしら」
フーラは両手を叩いて喜んだ。
ウサギの動物の方はいつも簡単に捕まえられるが、獣人の方はなかなか捕まえられない。そのため、レアなエサにありつけて、他のイタチ族の獣人たちと同じようにフーラもよだれを垂らした。
嬉しくなったフーラは、思わず横に立っているルイスを見上げた。
しかし、ルイスは驚愕の表情を浮かべたまま、固まっていた。
せっかくしとめたのに何の反応も返さないルイスに、ミンク獣人のおじさんは機嫌良くがははと笑いながらルイスの背中を叩いた。
「どうしたんだルイス。嬉しくて言葉も出ないってか? そりゃあそうだろうよ」
ルイスは、海色のドングリ型の瞳を大きく見開いている。
だが、少しずつ眉間にしわを寄せると、驚きの顔は少しずつ不審の表情に変わっていった。
ルイスはミンク獣人のおじさんに何の反応も示さないまま、木に吊されたウサギ獣人の少年に近寄った。
無言でそこに近寄るルイスに、イタチ族の獣人たちは彼が何をするのかと不思議な目で見ていた。そのうちの多くはようやくウサギ獣人を食べられると期待して、よりいっそうじゅるりと舌なめずりをする。
ルイスはウサギ獣人の少年の前まで来ると、その場でしゃがみ込み、目線を近くした。
「な、なんなんだお前! 近寄るな! 僕を食べても美味しくなんかないんだぞ!」
吊されたウサギ獣人の少年は、何も言わずに近づいてきたルイスをとにかく睨みつけて威嚇する。だが内心ではかなり脅えているようで、からだの震えは増すばかりだった。
しかし、そんな少年の威嚇を気にした様子もなく、ルイスは少年の頬に右手を伸ばして言った。
「怖かったな。今助けてやるから、もう大丈夫だ」
ルイスは安心させるような温かい声色で少年に言って、優しく微笑みかける。
少年はルイスの言葉に、安心していいのか警戒するべきか戸惑いを感じたようで、眉をひそめたままルイスの瞳を見上げる。
しかし程なくしてルイスが腰に下げている鞄から十徳ナイフを取り出せば、少年は「ひいぃっ」と声にならない悲鳴を上げてぎゅっと目を瞑った。
ごくりとその場にいる全員は息を飲んでルイスを見守る。
ルイスは立ち上がると、少年の足を吊している縄を十徳ナイフで勢いよく切った。
木の枝から逆さに落ちたウサギ獣人の少年は、勢いよく地面に頭をぶつけて「ぐえぇ」と声を上げる。
ルイスは再び少年の前にしゃがみ込むと、少年を抱え上げ、イタチ族の縄張りの外に向かって歩き出す。
何も喋らないまま縄張りの境界まで行くと、ルイスは腕に抱えていたウサギ獣人の少年を地面に下ろした。
そして少し屈んで少年の頭を撫でて言った。
「さぁ、もう大丈夫だ。お行き」
それまで少年はどうしていいか分からず脅えるだけだったが、ルイスの温かみのこもったその言葉に、じわじわと輝きが溢れてくる。
ウサギ獣人の少年はひとつ頷くと、得意のジャンプをしながら急いで川の下流の方へ去っていった。
ルイスのその一連の行動に、イタチ族の獣人たちは困惑する。
フーラもルイスがどうしてそんなことをしたのか理解が出来ず、言葉をなくしていた。
しかしただ一人、その光景を見て黙っていなかった。
「おいお前、どういうつもりだ」
みんなから少し離れたところにいたルタは、去っていくウサギ獣人の背中を見守っていたルイスに声をかける。
ルタはこの一週間ルイスにずっと不審の目を向けていたが、今のことで更にそれは深まったようだ。ルイスを睨む目の力が強くなっている。
声をかけられたルイスはルタを振り返る。
そこには何の表情もなかった。
「あいつは俺たちのエサだったんだぞ。それをお前は今逃がしたんだ」
ルタはルイスを睨みながら、じりじりとルイスに近寄った。
しかしルイスは、ルタの言った言葉に眉をひそめた。
ルイスは落ち着いた声で淡々と言う。
「あの子は人だ。エサなんかじゃない。エサならいつも動物を食べていただろう」
「どう違うと言うんだ」
だが、ルイスの言葉はルタに掻き消される。
ルタの発言にルイスは目を見開く。
「あのウサギ獣人といつも食べてるウサギと何が違う? どちらも同じ動物だ。俺たちがこのまま生きるために必要な食糧だ」
当然のように話すルタに、ルイスはよりいっそう眉間にしわを刻む。
「だから自分たちと同じような獣人でも食べるのか」
ルイスの声は、落ち着いたものからだんだん抑えたものへと変わる。
「”同じような”? 言っている意味がまったく分からない。あいつと俺たちは違う。あいつらは弱い生き物だから、俺たちが命をもらうんだ。それをあいつらも望んでいる」
「それは――――」
「うああああっ」
ルタの言葉にルイスが更に疑問を投げかけようとしたとき、それを見ていた獣人たちの間から突然悲鳴が上がる。
そちらへ振り向けば、群がっていた獣人たちの真ん中で、いつの間にどこから現れたのか、ひとりのアナグマ獣人の肩にキツネが噛み付いていた。
「逃げろー! 食われちまう!」
そのアナグマ獣人の周りにいたイタチ族のみんなは急いでその場を離れて拡散し始める。見れば他にも3頭のキツネが、縄張りの中に入ってきていた。
キツネたちは拡散するイタチ族の動物や獣人たちを追い回す。まだ食べられたくない獣人たちは、すばしっこいイタチの特性を活かして必死で逃げる。
その場は一気に混沌と化した。
それまで口論していたルイスとルタも、突然の天敵の襲来にそれを中断する。
ルタは舌打ちをすると、川の方へ逃げる。
しかしルイスは何故かその場から動こうとしなかった。
みんなと同じように逃げるフーラは、ルイスのそんな様子を見て、その手を取って縄張りの外へ走ろうとした。
でもやっぱりルイスはその場から動かなかった。
「ルイス、どうしたの? 逃げないと食べられちゃうわ」
不審に思ったフーラはルイスを見上げて言い聞かせようとする。
だがルイスはキツネたちを見たまま、固まっていた。
その視線の先で、4頭のキツネたちはそれぞれ獲物を捕まえていた。そのうちの2頭が捕まえたのは、さっき噛み付かれていたアナグマ獣人とカワウソ獣人の子だった。
キツネたちは獣人たちの肉を残酷にも噛みちぎっていた。
ほどなくしてルイスは鞄から銃を取り出した。
そしてその銃をキツネたちに向けると、引き金を引いた。
――――バンッ。
何かがはじけるような音がすれば、アナグマ獣人に噛み付いていたキツネの一頭背中から、血が噴き出した。
そうしてそのキツネはばたりとそのままアナグマ獣人を口にしながら倒れた。
いきなり出た大きな音に、逃げ回っていたイタチ族のみんなはは何があったのかと、離れた位置から様子をうかがう。
他のキツネたちも、一瞬何があったか理解できなかったようだが、構わずエサに食らいつく。
ルイスはもう一度キツネたちに向かって手を伸ばす。
そして再び引き金を引いた。
――――バンッバンッバンッ。
何かがはじけるような音は今度は3回聞こえる。
その音と同時に、キツネたちからうなり声が上がり、そして3頭はそのまま地面に倒れた。
ルイスはそれを確認すると、倒れたキツネたちの方に駆け寄った。
「おい、大丈夫か? しっかりしろ」
ルイスはキツネたちに食われかけていたアナグマ獣人とカワウソ獣人の子の側でしゃがみ込むと、彼らに声をかける。
彼らは肩から大量の血を流し肉も抉れた状態で、もう意識も遠くなりかけている。
そしてうつろな目をしたままルイスを見上げたまま、何も言わなくなった。
「お、おい、あんた。何てことをしたんだ」
他の獣人や動物たちを同じように拡散していたミンク獣人のおじさんは、離れた位置からルイスにそう投げかける。
息を引き取った二人の獣人を悲しげに見ていたルイスは、おじさんの声に顔を上げる。
おじさんはもう一度ルイスに向かって言う。
「何てひどいことをしたんだ!」
おろおろとした様子でルイスに言うその言い方は、まるでルイスを責めているかのようだった。
しかしそんなことを言われる理由が見当たらないルイスは、眉間にしわを寄せる。
「――ひどいことだって? 俺は彼らを助けようとしただけだ」
「いいや違う、あんたがしたことはひどいことさ! そいつらはあのままキツネに食われて強い命の中で生きるはずだったんだ! なのにあんたはその野蛮な道具でキツネを一瞬で殺した。そのせいでそいつらは食われることも出来ず、生きることも出来ない。あんたはそいつらまでも殺したんだ!」
おじさんは息を引き取った二人を悲しそうな目で見ながら、ルイスを指差して怒りの声で言う。
おじさんの言葉に、ルイスはふるふると首を横に振る。
「違う! 俺は殺してなんか……いや、俺からしたら君たちの方が理解できない。どうして仲間が襲われているというのに誰ひとり助けようとしないんだ!」
ルイスはその場で立ち上がると、散った先で茫然と立ちつくすイタチ獣人たち全員に向かって声を上げた。
両手は拳を握ったまま、震えている。
「ここに来たキツネの数よりも、君たちの方が大勢いた。キツネを追い払うことだって出来たはずだ。なのにみんな、襲われている仲間を置いて、逃げまどうばかりだったじゃないか!」
「それがここでの生き方だ」
しかしルイスの疑問の声は、たったそれだけの言葉で片付けられてしまう。
ルイスは信じられないといったように目を見開いて言葉をなくす。
そしてその場にいる獣人たちを見渡した。
みんなミンク獣人のおじさんと同じように不審の目でルイスを見ている。
その目をひとつひとつ見るごとに、ルイスの瞳には失望の色が濃く浮かび上がる。
「ここでは俺が異質というわけか……」
ルイスはぽつりとこぼした。
そして力なくふっと笑った。
「ごめん、ちょっと頭がパンクしそうだ。少し冷やしてくるよ」
ルイスはくるりと後ろを向くと、川の下流の方に向かって歩き出した。
その足取りはどこかおぼつかない様子だった。
「ふん、やっぱりあいつと俺らは分かり合えない。何故ならあいつが野蛮な人間だからだ」
その背中を見送る獣人たちに言い聞かせるように、川に逃げていたルタが言った。
みんなはルタの言葉に頷きを返した。
ただひとり、フーラを除いて。