3-1.獣人と人間
3-1.獣人と人間
それからというもの、ルイスはイタチ族の獣人たちの住むほら穴の中で寝泊まりをした。
イタチ族の獣人たちは、朽ちてしまった動物たちの毛皮でつぎはぎされた毛布をかぶって寝るのだが、ルイスは大きな背負うタイプのカバンからつるつるした袋状の布にもぐって寝ていた。最初の夜にそれを見たとき、フーラだけでなく、他の獣人たちも目をきらきらさせていた。
昼間はみんな川で遊んだり狩りに出かけたりするが、ルイスはフーラに引っ張られて潮干狩りに出かけていた。流れ着いたもののひとつひとつをフーラが尋ねれば、ルイスはそれがどういうものかをひとつひとつ答えてく。
そうして日が暮れかけたら縄張りに戻ってご飯を食べる。
フーラのようなイタチ獣人は、小柄な体格ながらかなりの肉食性で、ネズミやウサギ、ヘビやカエルなど、手に入る動物なら何でもエサにする。それらをしとめると石で出来たナイフで捌いて、生のまま肉を食べる。
一方大陸からやってきたルイスは、肉を生のまま食べる習慣がないため、木の枝を集めてそこにマッチで火を起こし、肉を炙って食べた。
肉の食べ方もそうだが、フーラたちは何よりもルイスが簡単に火を起こしたことに驚きを隠せなかった。
少なくともこの界隈の獣人たちの間で火を起こせるものは誰もいない。ルイスが火を起こすのに使った道具を見てみれば、片手に収まる小さな箱と先端に赤いものが付いた小さな木の棒があるだけで、それだけで火を起こせるルイスを見て、これが人間の英知なのだと深く感心した。
フーラは人間の真似をしたくて、ルイスにお願いして炙った肉をもらったりしたが、生肉に比べれば何だか味が落ちている気がした。味覚までも人間と違うのかと、その一つ一つにフーラは感動を覚えた。
そうして寝る前には、これまでフーラが拾い集めてきた大陸からの漂着物について教えてもらった。
先日拾った円筒状で片面は透き通りもう片面にはひもが通されたものは[かいちゅうでんとう]というもので、形は違うけど同じ役割をするものをルイスも持っていた。薄い四角の入れ物に入った黒い円形のものは[レコード]というもので、別の道具に入れて音を聞くためのものらしい。
そうしているうちに、フーラはルイスの世界の言葉をひとつずつ覚え、ルイスもこの島の言葉を覚えていく。
ひとつ言葉を覚えるごとに、会話の幅が何倍にも広がる。
フーラは沢山のことをルイスに尋ねた。
まずは大陸での暮らしのこと。
大陸では、動物の縄張りと人間の縄張りがはっきりと分かれていて、人間たちはその縄張りの中で、色々な工夫をして暮らしているらしい。
例えば、確実に天敵から身を守るために[いえ]という箱形の住処を作ったり、 飢餓を減らすために自ら色んな植物やウシやブタなどを大きくなるまで育てて食べるらしい。
しかし、[いえ]や食べ物を得るには[おかね]が必要で、それを得るために人間たちは一日に色んな仕事をしているみたいだ。
次に人間の発明のこと。
人間ていうのは一日の間にあれもやりたいこれもやりたいと、非常に欲深い習性の生き物みたいで、少しでも多くの時間を作れるように沢山の発明品を生み出しているようだ。
こうした話を聞くまで、巣穴にいても天敵がやってくるのは仕方ないことだし、それで食べられてしまうのも当然。飢えるときがあるのも当然だし、一日のうちにやることなんか遊ぶことと食べることと寝ることだけだと思っていた。
しかし人間たちはそれを当然と思わず、少しでも生まれたままの姿で生きようと考えを巡らしている。
そうした人間たちのひとつひとつの知恵を聞くたびに、フーラは驚きと興奮を隠せず、大陸へのあこがれが増すばかりだった。
それからフーラはルイスのことも尋ねた。
ルイスのふるさとは大きな大陸の西側にある大きな国で、年齢は21歳。フーラは自分がもはや何歳かなんて覚えていないけど、獣人で言うとルイスはフーラよりも少し年上な感じだ。
なのにルイスは沢山のことを知っていて頭が賢く、色んな知恵をくれた。
とても優しくて魅力的な人。
ルイスと話すとわくわくと心が躍り、出会ったときのように頭を撫でられれば穏やかで優しい気持ちになる。
この気持ちの名前が何なのか、フーラは分からなかったけれど、そんなことはどうでもよかった。
ルイスといる時間は、とても楽しくてあまりにも心地よかったから。
そんな時間はいつもよりも早く流れて、いつの間にかルイスが来てから一週間が経っていた。
いつものようにフーラはルイスを連れて海岸に向かった。
相変わらず楽しそうに流れてきたものを拾うフーラを見て、ルイスはクスクスと笑う。
「本当にフーラは大陸が好きなんだな」
ルイスはドングリ型の海色を柔らかく細めて、たったの一週間でだいぶ慣れたオドベヌス島の言葉で言ってきた。
それはいつものことなのに、フーラは何だか気恥ずかしくなる。だけどそれよりも楽しさが勝ってにっこりと頷く。
「とっても好き。不思議なものばっかりですてきだもの!」
フーラが嬉しそうにそう言えば、ルイスは少し目を丸くしてからにっこりと笑いかけてくれる。
そして二人でくすくすと笑いながら海沿いを歩く。
「あら、これは何かしら?」
ほどなくしてフーラはある漂着物に目を向け、それを拾い上げる。
それは、硬い金属のかたまりで、片側は銀色の筒状になっていて、反対側はほぼ直角に折れ曲がっている。折れ曲がった方は太く、漆黒のざらざらした感触のものが付いている。折れ曲がっている間には小さな歪んだものが飛び出た丸い空間が出来ている。
これが何かの答えが早く欲しくて、フーラは迷わずルイスを見上げる。
しかしルイスはそれを見て何とも言えない顔をしていた。
「ルイス?」
普段はあんまり見せない顔に、フーラは首を傾げる。
その様子にルイスはふっと寂しげに笑うと、フーラの手からそれを受け取る。
「これは”銃”と呼ばれるものなんだ」
「ジュウ?」
「そう、銃」
そこまで言うと、ルイスは手の中の銃を見たまま少し押し黙る。
やっぱりどこか寂しげだった。
「これ、海水に浸かって使えなくなってるけど、実はこれと同じもの今持ってるんだ」
ルイスはそう言って持っていた銃をフーラに戻すと、いつも腰に下げている鞄から自分の銃を取り出す。
新しく取り出した銃は、拾った方に比べれば筒状の部分が細くなっていて、ざらざらの部分は丸みを帯びている。
「これはこうやって持つんだ」
ルイスはざらざらの部分を右手で握り、人差し指を丸い空間に差し込んだ。
「この人差し指の部分は引き金って言って、ここを少し引けば、先端の穴から小さな弾が飛び出るんだ」
と、人差し指を少し動かして引き金を引く素振りを見せる。
てっきりフーラは実演してくれるのかと少し期待してしまったが、筒の先から何も出てこないので首を傾げた。
そして気になっていたことを尋ねた。
「それは何をするためのものなの?」
その言葉に、寂しげでも残っていたルイスの微笑みが顔から消えた。
再びルイスは手の中の銃に目を落とした。
そしてふっと笑って、その問いに答えてくれた。
「これは命を奪うためのものさ」
そう吐き捨てて言ったルイスの顔は、いつもの優しい微笑みでもなく、さっき見せた寂しげな感じでもなく、とても皮肉っぽかった。
「フーラはいつもここで流れてきたものを拾って俺たち人間の世界に憧れているようだけど、決していいことばかりじゃないんだ。人間っていうのは欲のかたまりで、それを満たすためには手段を選ばないんだ」
言いながらルイスは少し眉間にしわを寄せる。目線は彼の手の中の銃に向けられているのに、どこか遠くを見ているようだ。
「たとえば、どこかの国では他の人間を殺し合ったりもしている。他の国では人を殺して、肋骨を食べる文化があるそうだ。本当に醜いものが多いんだよ」
そうやってぼんやり呟くルイスの瞳の奥には、何か仄暗いものがあるのを感じた。
「それはその人たちの命をもらっているんじゃないの?」
しかし、ルイスがどうしてそんな顔をするのか分からないフーラは、思ったままに尋ねた。
ルイスは銃から目を上げると、苦しげに目を細めた。
「そんなことをしなくても俺らは生きていける。ただ、早く死んで欲しいから殺す。それだけなんだ」
そう語るルイスを見て、そういえばいつかルタやミズナギドリのおばさんも似たような話をしていたとフーラはぼんやりと思い出す。
ルイスが言う「欲」の意味も「死んで欲しいから殺す」という感覚も、フーラにはまったく分からなかったが、ルイスの顔ににじみ出ている嫌悪感と侮蔑から、とにかくそれが人間の野蛮なところなのかと、ぼんやりと思った。
それと同時に、頭にふたつの疑問が浮かび上がった。
「それじゃあ、どうしてルイスはそれを持っているの?」
フーラの質問に、ルイスはまた自分の銃を見やる。
そしてぽつりと小さな声で言った。
「どうしてだろうな。自分でも分からない」
その様子は先ほどまでと同じようにどこか寂しげで、苦しげに細められていた瞳はぼんやりと虚ろだった。
「ルイスは、そんな人間の世界が嫌だったから、ここに来たの?」
フーラはもうひとつの質問を投げかける。
ルイスは銃に目を向けたまま、ぼんやりと少し考える素振りを見せると、顔を上げてフーラをまっすぐ見てきた。
そしてとても真剣な眼差しで言ってきた。
「俺は生きる意味を見つけたいんだ」
それはとてもはっきりとした声で、その場に響き渡った。
「生きる……意味?」
フーラが疑問符を上げると、ルイスはしっかりと頷く。
「こんなことを言うととてもおかしなことに聞こえるかもしれないけど、ある日突然俺は分からなくなったんだ。いや、多分考えたこともなかったんだ。どうして俺は生まれて、生きているのかを」
それまで真剣な表情だったルイスは、話しながら少し気恥ずかしげに笑った。それと同時に、皮肉っぽい色やどこか悲しげな感じが、ルイスの瞳に見え隠れしていた。
しかし、ルイスはすぐにそれを瞳の奥に隠すと、海の向こうに目を向けた。
「それを見つけるために、国を飛び出して、こうして旅を始めたんだ」
ルイスの目は、遠いふるさとに向けられているのか、それとも別の大陸を見ているのか。とにかく遠い海の向こうを見つめていた。
「それじゃあ……いつかはまた、旅立っていくのね」
思わずフーラはぽつりとこぼしてしまう。
その言葉にルイスは海に向けていた目をフーラに戻す。
そして寂しげに笑った。
「フーラや他のイタチ獣人たちはとても親切でとてもここは居心地がいいけど、色んな世界を見てみたいんだ」
「まぁ最後までルタと打ち解けられなかったけどな」と笑いながら言って、また海の向こうに目を向けた。
大陸からやってきた人間のルイス。
とても優しくて楽しい時間をくれる魅力的な人。
一緒にいるととても嬉しくなって、微笑まれると穏やかな気持ちにさせてくれる。
そんな心地よい時間にどっぷり浸かってしまっていたから、フーラはまったく考えていなかった。
いつかは去っていってしまうこと。
「生きる意味」を探しているルイスは、フーラがいつも見ているよりもずっとずっと遠くの世界を確実に見据えている。
「どうして生きているのか」なんて考えたこともなかったって言っていたけれど、フーラはたった今ルイスに言われるまで疑問に思ったこともなかった。
生まれることも、生きることも、食べられることも、朽ちることも、すべてが当然のことだと思い続けていた。
彼はその旅でいったい何を見るのだろう。
どんな答えを見つけるのだろう。
フーラはそれを見てみたいと思った。
でも、フーラも一緒に旅に連れて行ってくれるだろうか。
もしかするともうお別れはそこまで来ているのかもしれない。
そう思うと、穏やかだったはずの気持ちが、ざわざわと落ち着かなくなる。
ドキドキわくわくしていた心は、奥底からだんだん暗くなる。
それはまるで西に少し傾きかけた太陽と、時化ってきた海の波のようだった。