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2-2.流れてきた人

2-2.流れてきた人



 しかしその沈黙は、そんなに長くはかからなかった。



 その人は丸くしていたどんぐり型の瞳を少し細めると、口元に手を当て、肩をふるわせた。手の下で持ち上げられている口角は頬を押し上げて、一気にくしゃっと柔らかい顔になった。細められた瞳は、凪の時のように穏やかな海の色をしている。


 突然笑われたことに、それこそフーラは戸惑いを隠せなかった。

 何か笑われることをしただろうかと、頭の中がパニックになる。

 それと同時に顔に熱が集まるのが自分でも分かるほどだ。


 その人はひとしきり笑うと、柔らかい表情のままフーラに話しかけてきた。


「---、-------。----------。----」


 聞こえてきた声は心地よく耳に通る少し低めの声。

 だけど何を言われたのかはさっぱりで、何一つ聞き取れなかった。

 フーラは瞬きをいくつかすると、よく分からないという意思表示で首を横に傾げた。

 するとその人はフーラが全く理解していないことに気がついて、困った顔をする。

 フーラもフーラで何か言わないといけないと思い、とにかく自己紹介をすることにした。


「あの、初めまして。わたし、フーラって言うの」


 しかし、今度はその人が眉をひそめて首を傾げた。

 どうやら言葉が伝わらないようで、どう意思疎通をとればいいのかフーラは困ってしまった。


 その人は少し考えるそぶりを見せると、何かいい案が思いついたのか、眉をぴくっと上げて頼もしげな顔をする。

 そして自分の胸に手を当てて、一音一音ゆっくりはっきりと発音した。


[ル、イ、ス]


 それが挨拶の言葉なのか、その人の種族のことを言っているのか、名前のことなのかよく分からなかったが、とりあえずフーラもそれを真似する。


「ル、イ、ス?」


 同じようにフーラが発音できれば、その人は少し嬉しそうに頷いた。

 そして自分の方に指を差してもう一度発音した。


 しかし、今度は同じ言葉なのにさっきとは違う仕草になったので、フーラは再び首を傾げる。

 どういう意味なのかまったく分からなかったので、とりあえずその人と同じようにフーラも自分に指を向けてもう一度発音する。


「ル、イ、ス?」


 すると、その人は少し目を丸くして、顔の前で手を振った。

 どうやら何かが間違っていたようだ。

 その人はフーラの手を取ると、自分の方に向けて同じ言葉をもう一度発音した。

 そしてフーラの手を放して、自分の手でもう一度自分の顔に指を向けると、同じ言葉を再び発音する。


 その仕草でどういう意味かがフーラにも伝わってきた。

 掴みかけた意味を確かめるために、フーラはその人に指を差して、もう一度それを発音する。


「ル、イ、ス?」


 するとその人は再び嬉しそうに頷いた。

 そして自分の指を向けたまま、短く「ルイス」と発音した。

 どうやら「ルイス」というのはその人の名前のようだ。

 そしてそのように自己紹介すればいいのかと、フーラは心の中で感心してしまった。

 同じようにフーラも自分に指を差して自分の名前をはっきりと発音した。


「フーラ」


 ルイスもフーラがしたように、フーラの発音を真似る。

 はっきりとルイスがフーラの名前を発音すれば、フーラもなんだか嬉しくなってにこにこ笑顔になる。


 すると柔らかく細められていたルイスのどんぐり型の瞳が、再び丸くなった。

 何か驚いたような表情だ。

 しかしすぐにルイスは背中に背負っていた大きな荷物を地面に下ろすと、腰に下げていた革張りの袋から何かを取り出し、それをフーラに向けた。


 ルイスの手の中に収まるほどの小さな銀色の箱。

 フーラに向けられた面には、真ん中に突出した円筒状のものが付いている。それは先日フーラが拾ったものにどこか似ている気がした。

 ルイスはその箱の右手側に人差し指を乗せると、それを少し強めに押した。



 ――――カシャッ。



 初めて見るものと聞き慣れない音に、フーラは再びぱちくりと瞬きを繰り返す。

 ルイスは銀色の箱の反対の面を見ると、またさっきのように柔らかく笑った。その顔はどこか満足気でもある。

 そしてフーラの頭から疑問符が飛んでいるのが分かったのか、ルイスはにっこり笑って銀色の箱を掲げると、[カメラ」とゆっくりと発音する。

 フーラが自己紹介の時と同じようにそれを真似ると、ルイスはにこにこと頷いて、銀色の箱の円筒状のものが付いていない方の面をフーラに見せる。


 そこにはフーラの姿が映っていた。


 そういえばずっと昔に拾ったもので、水面のようにフーラの姿を映し出すものがあったのを思い出す。

 これもそれと同じなのかと思って、フーラは箱の前で首を左右に傾けた。

 しかしそこに写っていたフーラは自分と同じように動かず、こっちをじっと見ている。


 その様子を見ていたルイスは、ククッと喉の奥で笑うと、カメラについている小さな丸い変なものを押していじる。

 すると、フーラを映していた面は、別の何かを映し出した。それはフーラが乗っている白いカゴの縁と砂浜だった。

 しかしさっきは動かないフーラの姿が映っていたというのに、今度はルイスが手を動かすたびに映し出すものが変わった。

 円筒状のものが付いた方を海の方に向ければ反対面に海が映り、空の方に向ければ空が映る。そして先ほどフーラに向けたときと同じように右手で何かを押すと、カシャッと音が鳴って、空が映っていた面は一瞬暗くなる。しかしすぐにまた空が映るが、今度はカメラをどこに向けても空が映る。

 ルイスは空に向かって指差すと[そ・ら]と発音し、カメラの中の空を指差すと同じように[そ・ら]と発音する。


 どうやらカメラというものは、見た景色をそのまま四角い面の中に切り取るものらしい。

 ルイスは同じようにいくつか景色をその中に切り取り、一個一個発音していく。


 そうやってフーラが初めて見るカメラを使いこなしているルイスを見ていたら、フーラの頭の中に一つの考えが浮かぶ。

 その考えは、まるで幻のようで、夢のようだった。

 ひとたびその考えに思考が行き着くと、心の奥底から何かが込み上げる感覚がした。じわじわとフーラの胸を高鳴らせる。


 フーラは早くそれを確かめたくなって、一つ一つ発音して説明してくれるルイスの服を引っ張ると、フーラは自分が乗っているカゴを指差して首を傾げてみた。

 ルイスはその仕草で何を聞きたいのか分かったようで、[ヨット]と発音する。


 すると覚えたての言葉とジェスチャーで、フーラはルイスに質問した。


[ルイス、ヨット、うみ?]


 ルイスは一瞬目を丸くしてきょとんとしていたが、すぐにフーラの言いたいことを理解したようで、柔らかく微笑むと頭を縦に振った。


[そう、俺はヨットに乗って海を渡ってきたんだ]


 と、ルイスは海の向こうを指した指を浜辺の方へと向ける。

 なんと言ったのかは分からなかったけれど、その仕草でフーラは自分の考えが当たったことを理解する。


 フーラはまるで夢のようだと思った。


 ずっと会ってみたかった人間。

 その人が今、魔法の道具を持って目の前にいる。


 じわじわとその感動が、胸の奥から押し寄せてくる。

 フーラは顔の前に両手をついて、思わずその場で飛び跳ねた。


「人間なのね! すごいわ、やっと会えたのね!」


 と、感動のあまり声を上げて喜ぶが、そこでフーラはふと思い止まる。

 フーラ自身はとても嬉しいけど、この感動をどうルイスに伝えればいいのか分からない。

 ひとりでに気まずくなってルイスを見上げると、一瞬きょとんとした顔を見せていたが、すぐに表情を柔らかくする。

 そしてフーラに何か尋ねてきた。


[嬉しい?]


 また新しい単語が飛び出てきてフーラは首を傾げるが、ルイスは両手を挙げて嬉しそうなそぶりを見せてもう一度[嬉しい?]と尋ねてきた。


 その言葉はどうやら楽しいときに使う言葉のようだ。

 フーラはようやくこの感動をルイスに伝えることが出来るんだと喜びを噛みしめると、満面の笑みで[うれしい!]と答えた。


 そうやってフーラが喜んでいると、徐にルイスがフーラの耳に右手を伸ばしてきた。

 触れられるとくすぐったくて、思わずぴくっとからだを揺らしてルイスを見上げる。

 フーラの反応に、ルイスも伸ばしていた右手を少し引っ込める。


 そして再び目が合ったまま、お互い黙る。


 二人ともしばらく固まっていたが、ルイスはフーラをじっと見たままもう一度右手を伸ばしてきた。

 今度は恐る恐るといった感じだ。

 再び耳に触れる手はさっきよりも控えめで、さっきよりもくすぐったい。その感触にフーラの耳がぴくぴくと動くと、ルイスは少し目を見開くが、すぐに目尻を下げて微笑みかけてくる。

 そして耳に触れていた手を、そのままフーラの黄白色の髪に滑らせる。

 肩まで伸びた毛先まで指を滑らせると、もう一度フーラの頭に手を乗せる。

 

 今まであまりされたことのないことにフーラは最初戸惑っていたが、同じようにルイスの手がフーラの頭を滑るたびに、くすぐったかっただけの感覚は、じわじわと安心感を引き寄せてきた。


 ルイスは青く透き通った瞳を優しく細めると、[フーラ]と心地よい声で言ってきた。



 その瞬間、心の奥底から不思議なものが溢れ出してくる。



 くすぐったくて落ち着かないのに、何だかものすごく安心する。

 どうしてか分からないけど涙が出そうで、でもとてもわくわくしている。


 そんな相反する感情が次から次へと溢れ出てきて、どんどんとからだの内側から胸を叩いている。

 心臓はうるさく音を立てているのに、まるで何かにぎゅっと掴まれたかのように締め付けられている。

 今までに一度も経験したことのない気持ちに、フーラはどこか自分がおかしくなったのかと思ってしまう。


 フーラはどうしていいか分からず、ルイスの目を見つめたまま固まってしまった。

 そんな様子のフーラを見てルイスはクスッと笑うと、さっきと同じ優しい瞳でもう一度[フーラ]と言ってきた。



 すると、今度はさっきとは違うものがじわじわと押し寄せてきた。

 それはとてもゆっくりと込み上げてくるのに、さっきまで入り乱れていた心の中を確実に覆い尽くした。



 ――――嬉しい。



 聞き慣れたはずの自分の名前。

 なのにそれは心地よい響きでフーラの中に入ってきて、心に喜びを与える。



 まるで魔法の言葉のよう。



 フーラはルイスを見上げると、ルイスがするようにフーラも右手を伸ばして彼の頭を撫でる。そして同じように「ルイス」と言う。

 するとルイスは一瞬目を丸くすると、すぐにまた嬉しそうに微笑んだ。



 今日初めて会った、言葉も通じない人。

 しかしそこでは言葉などいらなかった。



 目と目で見つめ合っていれば、言いたいことが伝わってくる。

 手と手があれば、心が寄り添い合う。

 お互いの名前さえ分かっていれば、そこから一つずつ知っていけばいい。

 海の波も空に浮かぶ雲もゆったりと動いていて、世界はとてもゆっくりと回っている。

 何も焦る必要はない。



 ルイスはフーラの頭から右手を放すと、自分の頭に乗っていたフーラの右手をとって、手を握ってきた。

 そして握った手を振って、はっきりと発音した。


[よろしく]


 また新たな単語でフーラは一瞬頭の中に疑問符を浮かべたが、ルイスの優しい瞳と仕草で、それが大陸の挨拶だということがなんとなく分かった。


 フーラも同じようにルイスに握られた手を振って、はきはきと言った。



[よろしく]





 そんなどこか初々しいような二人のやりとりを、いつの間にかヨットのマストの上に止まっていたエンパッサーは、何とも言えない気持ちで見下ろしていた。



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