吾輩は新米地縛霊である。悪霊に昇格する予定はまだない。
死んだ。若くして、それもかなりあっけなく。
ヒートショック、というものの部類なんだろうと思う。
久々に10秒じゃ食べ終わらないようなものを食べて、血糖値が上がった状態で蛇口の調節をミスって江戸っ子が好きそうな温度になったお風呂に浸かったら、世界がぐるんと大回転した。真冬に不摂生が祟って、その末路だった。
そうして私は六畳一間のボロアパートから離れる術を失い、今に至る。
あって無いようなベランダにて室外機に腰掛け、日々少しづつ表情を変える星を眺めるのが日課だ。余裕がないと出来ないこの行為に御満悦なう。
やっぱり休息は大事だ。瞑想とかの、頭空っぽでいられる時間って何より愛おしい。
ちなみに、第一発見者は会社の人と管理人さんで、葬式には家族とかつての同級生が来てくれた。
会社の人間? 私の死でブラックが問題視されて近々丸ごと解体されるらしいから、来たのは毎日怒鳴ってきたただの年上の知人だ。
あとは死んだ目をした私と同じ期間社内に缶詰になってた人が何人か。この人たちから休日をありがとう、みたいな事を口々に言われた。ほんと、死んで礼を言われる人間って珍しいんじゃなかろうか。手で触れずに自分の耳を動かせる人とどっちが希少だろう。それによって私の胸の張り方が変わってくる。やあやあ我こそは希少種であるぞ! って。
私が足も満足に伸ばせない浴槽でポックリ逝ってしまったあの部屋だが、ざっくり言って心理的瑕疵物件なので、私の次の居住者が決まるまでに1年かかった。
無断欠勤は当日中に突撃訪問からの強制連行される会社に勤めていたもので、『体液がシミに……』みたいな事は無かったが、色々思うところはあるようで浴槽を取り替えてから売りに出された。年月の重みを感じる洗面台の隣に真っ白ピカピカの浴槽、っていうのも逆に身構えちゃって怖いんじゃないかと私は思った。
しかし、心理的瑕疵を許容してでも衣食住に必要なお金を出し渋る人間が真っ当に生きている訳もなく。
新しいその住人は、異彩を放つ浴槽を気にしないどころか、アパートに帰ってくるのは必ず深夜、アパートを出る時は必ず日の出と共に、湯船ぇ? シャワーに決まってんだろ、という……完全なる生前の私の同類さんだった。
まだ20代なのに30歳を超えているようにしか見えないほど肌が荒れていて、目元は真っ黒な隈が居座っていて、瞳にハイライトが入っていなくて、唇がぱっくりカサカサで、髭はマスクで誤魔化して、という、見覚えしかない24時間働く戦士のお顔をしていた。
なんということだろう。傍から見ているととてもまともに見ていられない。見てんのか見てないのかどっちだ、って言い回しだが、手で目を覆いつつ指の隙間から覗くあの感じだ。幽霊がホラー映画を見る人のするようなポーズをとってるのは、傍から見たら多分まあまあ面白いんじゃなかろうか。鏡にも映らないから観測できる人間がこの場にいないけど。
そんなこんなで、目も当てられない独身男性の生活を地縛霊ゆえの不可抗力で見守ること1週間。
食事だけでもちゃんとしないと、あれじゃすぐに身体壊しちゃうだろう。未来ある若人が会社に使い潰される前例は、私で最後がいいだろう。
そういう訳だから、おさんどん、やってみよっかな、と思い立った。
実は、部屋が無人の時間帯にポルターガイストとかの実験を少々やってみていた。
最大2キロくらいの物なら悠々と動かせるぞ、という事を知り、こっそり家に置いてある男性のパソコンを弄ってネット通販が出来るぞ、と気づき、食事の世話をするのに必要な条件が整ってしまったものだから。やるっきゃないよね。ね。
カード番号とかをアカウントに保存してるタイプの人だったから、運良くネットショッピングが実現できちゃったんだ。
勝手に残高を減らしちゃうのは申し訳ないけど、本人に還元するから許してほしい。私だって星を眺めるだけの日々もそろそろ退屈で、何でもいいからやる事が欲しかったんだ。
その代わり、こっそり室外機の下に遺して見落とされたヘソクリ全部あげるから。
思い立ったが吉日で、私は早速ネットで野菜とお肉と調理器具その他をポチッとした。届くのは明日だから、今日は食事の用意はしない。
食事を作らない代わりに、ポルターガイストの実験でものを動かしてもバレないから都合が良いや、と放置していた汚部屋を綺麗にしておいた。
コンビニ弁当のゴミを袋にまとめて、軽く掃除機をかけただけだけど、結構見違えたと思う。
「…………ストーカー?」
帰宅したお兄さんは、第三者の手が入った室内の様子をぼんやり眺めてから、そんなことを呟いて首をこてんと傾ける。それと同時に分厚いレンズの眼鏡がカチャッと音を立ててズレる。
この部屋の様子を見て、真っ先にストーカーの関与を疑うのか。ここ、事故物件なのに。
そうかそうか、このお兄さんってそういうお話を嗜むタイプの方だったのか。そういう沼に肩まで浸って、第一の発想で出てきちゃうほどなのか。
ほとんど寝てるとこしか見た事ないから、この発見はどうにも新鮮だなぁと思わされた。
ちなみに、眼鏡がズレる音が聞こえるほどの至近距離、かつ真正面でドヤ顔仁王立ちする私の存在は、相も変わらず完全にスルー。このお兄さんは見えない人である。
「まあ……いいか」
絶対に良くないと思うよ、お兄さん。通報とか、監視カメラ導入の検討とか、ここって事故物件なんだし盛り塩の用意とか、何かしらやった方がいいって。私の事は不動産の価格も価格だったから知ってるはずだよね。
しかし、見えない上に気配も感じ取れない鈍ちんに私の忠告が伝わる訳もなく。
疲労で思考力が低下しているのだろうお兄さんは、ヨレヨレのスーツ姿でフラフラとベッドに吸い込まれ、横になって3秒で夢の世界へと旅立ってしまった。
スォッと私を透過して突き進んでも鳥肌ひとつ立ててないお兄さんって、もしかしなくても結構な剛の者だと思う今日この頃。
翌朝。
いつも通りに起きてすぐ始発電車に向かうお兄さんだけど、家から出る直前でピタッと立ち止まり、ズカズカとテーブルの前まで戻ってくる。
すっとしゃがみ込んで仕事用に常備してある四角い付箋になにかか書き込んで、それから改めて「いってきます」と出勤して行った。
……「いってきます」だって。今までせいぜいがため息だったのに、「いってきます」だって。
『ブラウニーさんへ
掃除ありがとうございました。作ってもらえるなら夕飯は和食がいいです。』
ちなみに、付箋のメモの内容はこの通りである。
ブラウニーとは、西洋圏で言い伝えられている妖精さんの名前だ。家事手伝いをやってくれる代わりにちょっとしたお菓子を持っていく、どちらかと言うと良い妖精。小人の靴屋とかのあれ。材料費その他は家主持ちで、お給金はお菓子な姿の見えない小さい家政婦さん。
一晩寝ただけで、ストーカーから随分とメルヘンな存在に認識が変わったものだ。
それにしても、まだ一食も提供してないのに要求されるとは思わなかった。このお兄さん、順応が早すぎる。……作るけども、和食。材料的に作れそうだから、定番の肉じゃがを。
「……明日はカレーになってたりして」
お兄さんが望むなら、私としても楽でいいけども。
炊きたてご飯と肉じゃがを味わうお兄さんの独り言に、カレーのルー買っておいて良かった、と思う私であった。
……いやいやいや。お兄さん、警戒心どこに捨ててきたのよ。
明らかに侵入者が用意してるとしか思えない食事を躊躇いなく食べるべきじゃないでしょ。
「美味い美味い」って美味しそうに頬張ってさぁ……作り手としては嬉しいけども。
「……おお。カレーだ」
肉じゃがの第2形態をお出しした、深夜23時54分のリアクションである。
ネクタイだけシュルっと外したクールビズお兄さんは、今回もまたすんなり食卓について無警戒にカレーをパクリ。
「肉じゃがの面影がある。なんか和風だ」
でも美味い、とスプーンは止まらない。
「いやぁ、漬物系ってあんまり得意じゃないから、福神漬けとか、らっきょうを合わせて出されなくて良かったや。それとも、そういう所も実はお見通しだったりする?」
だとしたらやっぱりストーカーさん? と、頭の回ってなさそうなぽんやり声のお兄さん。
いいえ、福神漬け云々は偶然です。付け合せに関しては昨日の今日だけど買い出しが間に合ってなかっただけです。そして私はある意味でストーカーより厄介なおさんどんです。
でも、そういう事なら色々とポチる前に知れてよかった。
10秒で食べられるようなゼリー系か、棒状で口の中がパサパサになる栄養食か、みんな大好きレンチンで食べられる保存料が効いてそうなラーメンか、くらいの選択肢しか食事風景を見てこなかったから、漬物が苦手という情報は貴重だ。
大人なんだからある程度は苦手でも我慢して食べられるだろうが、パクチーだけは無理、とかあったら大変だし。
「いっそ、好き嫌いとか全部書き出しておこうかな」
それ、凄く助かります。
それからまた、しばらく月日が経過した。
残高の変化に気づかれたり、せめてものお詫びで私のへそくりを明け渡したり、といったイベントはあれど、私とお兄さんの日常は変わらず続いている。
私の扱いは、未だに『ブラウニーさん』である。
「わ、今日はオムライス? しかもハートのケチャップに『萌え』って、ブラウニーさんってば意外と日本のオタク文化に詳しいんだね」
ステレオタイプのイメージで良ければ、日本人の幽霊である私だってそれらしい共通認識くらいは持っている。
前回の爪楊枝に手作りの国旗を添えたお子様ランチ風が好評だったので、今回もちょっと遊びたくなってしまったが故の、この『萌え萌えオムライス』だった。
食べる前に「萌え萌えきゅーん! ……なんちゃって」とかやっちゃってるのを全部私に見られているとも知らず、今日もお疲れなお兄さんは、楽しそうにおふざけに興じてから美味い美味いとオムライスを食べている。
ハートマークを残すように食べ進めるなんて、可愛らしい遊び心だ。
……最後にあえて綺麗に残したハートをギザギザに切り分けるんだから、随分な遊び心だ。これはこれで面白いからよし。
「明日はいつもより2時間くらい早めに帰れるはずだから、それに合わせてお風呂沸かしておいてくれる? よろしくね」
食器を流し台に置きながらのお兄さんの注文を脳内メモにしっかり残して、今日の家事は終わりである。
疲労感からか私の存在さえすんなり受け入れたお兄さんだが、目の前で食器が勝手に現れているのを目撃したらパニックになるかもしれないし、食器洗いは翌日の昼にまとめてやるようにしている。朝食に関してはレンチンで食べられる状態のものが冷蔵庫に入っているとお兄さんは知っているので、お兄さんが在宅の間、私は一切の活動を自粛している。
一応、私なりの最低限の棲み分けのつもりだ。
……そうそう、そう言えば。
私が地縛霊になるだけの未練、その話がまだだった。
それはずばり、お嫁さんである。
ベタな事を言うと、「ご飯にする?(以下略)」に憧れてやまなかった年齢イコールの社畜ちゃんが私である。
そういう訳だから、私が今の地縛霊から人間を取り殺すような悪霊に進化することは無い。満たされない願望を燻らせ、悪感情に堕ちていくことが無いから。
少なくとも、彼がこの生活のまま、この部屋に住んでくれている間は。
尻切れトンボではありますが、おまけで看病イベント書いてみたんで良かったらどうぞ。
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お兄さんが風邪をひいた。
それでも出勤だよね、社畜だもんね、ブラックだもんね、と憐れみつつ見送る気でいたら、まさかのお休みを獲得できたらしい。
電話口でお兄さんが「すみません」とボソボソ謝りつつも、最後に聞こえてきた怒鳴り声は「丸一日も休んで、明日は帰れると思うなよ!」だった。
体調が悪くなると精神的にも弱るもので、怖い上司に散々怒鳴られたお兄さんは布団の中でグズグズと鼻を鳴らしている。……泣いてるのか、それとも単なる鼻づまりか。風邪だもんなぁ。判断が難しい。
そして、私としては看病をどうするべきかが悩ましい。
ポルターガイストをお兄さんに見せてはいけない明確な理由は特にないが、だからといって平然と鍋が空中浮遊する様子を見せて本当に大丈夫なんだろうか。
……でもなあ。
こういう時って食事のために動くのも億劫だもんなあ。かと言って食べないと治るものも治らないし。
私が面倒見ないと、本当に私の二の舞になりそうだよなぁ……。
「……ストーカーよぉ……、グスッ、居るなら出てきて看病してくれよぉ……」
わぁ、お呼びです? 熱出すとやっぱ人恋しくなっちゃいます?
普段は遠慮気味に距離を取っているベッドへ、ふよんと近づいて端っこに腰掛けてみる。
幽霊が乗っかろうと、残念ながらスプリングは軋まない。
お兄さんも何も感じない様子で、モソモソグチグチと何か呟き続けている。でも、段々と呂律が怪しくなってきてるから、もう少ししたら眠ってしまうのだろう。
……てか、ブラウニーって置き手紙で呼んでたのに心の中だとストーカー呼びだったの? と思わなくもなかったが、発熱中だし判断力の欠如を考慮して大目に見てやろう。
ブラウニー呼び、地味に気に入ってたからショックだけど。メモの宛名に『ブラウニーさんへ』って書いてあるのを見る度に、英語圏で伴侶をマイスイート呼びする夫婦に憧れてた女子心がゴキゲンだったけど。
弱ってたから心にもないこと言っちゃったんだよね、ってことにしてあげよう。
「ブラウニぃー……うぅっ、もうやだよブラウニー……」
ブラウニー呼びに戻ったのはもしや、野生の勘だったり?
ブラック企業に使い潰されないだけの立ち回りの上手さ、こんな時に感じるのも変な感じ。
泣いて頼られると途端に母性が目覚めるんだから、私も私でお手軽ですけど。
でも、幽霊としての冷気で氷嚢の代用になれないかな、と思い立って、布団の中の頭が潜っている辺りに手を伸ばしてみたって、やっぱりするりとすり抜けてしまう。
あーあ、もどかしい。
んー……、小人の靴屋ごっこ、やるか? 寝てる間にこっそりと、お粥とか作っておくか?
もし作業中にお兄さんが起きても、夢だと思ってくれることを願って。
と、いうことで。完成したものがこちらです。
小鍋にざっと3食分くらいのお粥。具材は卵で、味付けのメインは顆粒だし。冷凍の青ネギを添えて盛り付け、この通り。
続いて浮上した問題は、お兄さんが起きた頃にはすっかり冷めて美味しさが半減してそう、っていう。
お粥どうしよ、と思いながら寝てるお兄さんの汗を拭うこと数回。
そろそろ水分とか補給した方がいいのでは? と思ってスポーツドリンクをコップに入れて、お粥と市販の風邪薬とセットでお盆の上にまとめて、お兄さんが起き上がった時に手の届く場所に設置。
それから、「発熱マジックで見える人になってたりしない? お兄さーん、ねーえー」とだる絡み。
病人になんてことを、と言われたら仰る通りですと反省の姿勢を示すことしかできないほどの蛮行である。私もすっかり幽霊らしくなったもんだ。
「……んん、」
そうしてひとり勝手にわちゃわちゃしていたら、お兄さんが小さく呻いた。
「お、起きる?」
聞こえるはずもないが、お兄さんの顔を覗き込んで尋ねれば、
「ねる、ぅ……」
と、まさかのお返事? があった。
驚きすぎて氷漬けになったみたいに動けなくなった。
「……え、き、聞こえ、てる? えっ。……えっ」
もぞ、とお兄さんが寝返りを打って、ようやく飲み込めた驚愕が口からポロポロこぼれた。幽霊って独り言し放題だから、すっかり心の声と口から出る声が直通になっていた私である。お恥ずかしい。
「聞こえてるの!? 私の声!!」とお兄さんを揺さぶりかけた手をギリギリで引っ込め、
「お、お兄さん、薬と飲み物もセットでお粥の用意できてるからね」
と一言。
お兄さんがとうとう『見える人』に! という歓喜を制御し切った自制心には、さすが私、と自画自賛。一瞬どもったのはご愛嬌。
「んー……、るっさぃ……」
暇つぶし&憧れの投影という過分な利己心で始めたブラウニー業だが、こうして邪険にされると途端にムカッとするのは何故なのか。
〜END〜




