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『氷の理を宿す子 ― 森の魔女に拾われて ―』  作者: テレン


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第7話 森に迫る列

森の空気が変わった。

風が一方向に流れている。

木々が同じ方を向き、鳥が鳴かない。

――静けさが、警鐘になっていた。


「アルマ!」

扉を勢いよく開けたネヴィスが、息を切らして叫ぶ。

「東の道の先、光が見えた! たくさんの光だ!」


アルマは薬瓶を置き、外套を羽織った。

「もう来たのね……早いわ。三日はかかると思っていたのに」


「誰なの?」

「“聖句の列”。教会の行軍よ。祈りと武器を一緒に持ってくる人たち」

「戦いに来るの?」

「ええ、“正しさ”を持ってね」


アルマは軽く笑った。

けれどその目の奥に、冷たい緊張があった。


「ネヴィス、準備をするわよ」

「準備って、戦うの?」

「違うわ。――守る準備」


彼女は小屋の奥に手をかざす。

壁が淡く光り、木板がずれて隠し扉が現れた。

その中には、氷で封じられた魔法陣。

氷の結晶の奥に、銀色の核石が眠っている。


「この結界を完全に展開する。森の半分を包めるわ」

「そんなことできるの!?」

「できるけれど、私ひとりじゃ保たない。……ネヴィス、あなたの力が要る」


ネヴィスは目を見開く。

「僕が……?」

「ええ。あなたの“止める”力で、この結界を安定させるの。

 もし私が崩れたら、あなたが中心になる」


ネヴィスの喉が小さく鳴る。

怖い。でも逃げたくなかった。

「やるよ。絶対、守る」


アルマが微笑む。

「よく言ったわ。――さあ、始めましょう」



森の東端では、すでに光の行列が進んでいた。

「聖句の列、隊列を崩すな! 第三詠唱、継続!」

祈祷師たちの詠唱が風に乗る。

金の法輪が空中を回り、氷の枝を焼くように弾けた。


最前線を進むレオネルは、兜を外して風を感じていた。

「……冷たい。けれど、この冷たさ、嫌いじゃない」


隣を歩くセルジュが苦笑する。

「詩人かよ。こっちは足先が凍ってんだぞ」

「お前が厚着しないだけだ」

「理屈男はこれだから……」


その時、地面が鳴った。

ドン――と低い音。

次の瞬間、白い霜が地面を走る。


「結界反応! 北西方向!」

「……来たか」

レオネルの目が細くなる。

「アルマ・ヴァレン、迎え撃つつもりか」


セルジュは肩をすくめる。

「この森、ぜんぶ彼女の庭みたいなもんだ。

 足踏み入れたら、木まで敵になるぜ」

「構わん。俺はもう、一度見ておく必要がある」


レオネルは歩を進める。

その瞳には迷いがなかった。

彼の中の“信仰”は、すでに別の形に変わっている。



小屋の中心――

アルマとネヴィスは魔法陣の前に立っていた。


「いい? 私が合図したら、力を流して。

 “壊す”んじゃなく、“止める”。

 氷はいつも静かに動くものよ」


ネヴィスは深く息を吸い、頷いた。

「うん」


アルマが詠唱を始める。

低く、凛とした声。

「――氷の理、影の理、交わりて界を編め」


床が淡く光り、氷の核石が震える。

空気が澄み、音が消えた。

世界が一度、息を止める。


「今よ、ネヴィス!」

「……うんっ!」


少年の手が光を掴む。

氷の翼の痣が強く輝いた。

白と青が混ざり、結界の線が空へと伸びる。


――ゴウッ!


音のない衝撃が森を駆け抜けた。

木々が一瞬だけ白く凍り、次の瞬間には透明に戻る。

森全体が、静止と再生の狭間で震えていた。


アルマは結界の中心で、息を吐いた。

「よくやったわ。……これで時間を稼げる」


だが、同時に遠くで何かが軋んだ。

光の槍。

聖句の列の前衛が放った祈りの矢が、結界に衝突する。

霜が砕け、白い火花が散った。


「アルマ!」

「大丈夫。結界は持つ――けれど、長くはない!」


ネヴィスは拳を握りしめた。

目の奥が熱い。

「僕、行く!」

「待って!」

「守るって、言ったじゃないか!」


アルマは一瞬、言葉を失った。

それは、三年前に抱いた赤子の泣き声と同じ響きを持っていた。

“生きたい”という声。


「……行きなさい。でも、無理はしないで」

「うん!」


ネヴィスが扉を開け、外へ飛び出す。

風が頬を切り、雪が舞う。

遠くに見える、金色の光。

それが“聖句の列”の旗だとわかる。


「僕は……止める!」


彼が両手を広げた瞬間、

背中の氷の翼が形を取った。

音もなく、淡く広がる。

七歳の少年の背から、氷の羽が舞い上がる。


地面を覆っていた雪が静止し、空気が凍る。

彼の心臓の鼓動が、世界の中心になった。


「――動くな!」


森の時間が止まった。

風が止まり、木の葉が空中で止まる。

金の光が、届かない。


結界の中、アルマが息を呑んだ。

(……できたのね。自分の意思で、理を止めた)


森全体が、ひとつの“氷の心臓”のように脈動していた。



前線。

セルジュが息を呑む。

「おい……何だこれ。世界が、止まった……?」

レオネルは前を見据え、口を開いた。

「……やはり、あの子だ」


彼は槍を下げ、静かに笑う。

「アルマ、まるで神話だな。

 ――“氷の子が、時を閉ざす”」


そして呟く。

「この戦い、終わらせるのは俺じゃない。

 あの少年だ」


風が再び動き出す。

氷の結晶が砕け、空気が戻る。

止まっていた時間が、ゆっくりと動き始めた。


森の奥で、ネヴィスが膝をつく。

息が荒い。

でも笑っていた。


アルマが駆け寄り、抱きしめる。

「もう大丈夫。あなたは“止める”ことを覚えた。

 ……それが、戦うよりずっと難しいのよ」


彼は頷き、目を閉じた。

春の匂いが、微かに森を包み始めていた。


――この日、少年は初めて“力を選んで使う”ことを覚えた。

そして、聖句の列は、まだ森の入口で立ち止まっている。

戦いは、これから始まる。


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