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『氷の理を宿す子 ― 森の魔女に拾われて ―』  作者: テレン


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第5話 罪の温度

朝。

いつものようにネヴィスは早く目を覚ました。

天井の木目を見つめて、寝返り。

背中の痣――氷の翼が少しだけ疼いた。

あの戦いの夜から二日。

森は静かだが、空気が違う。まるで森そのものが息を潜めているみたいだった。


「アルマ?」

部屋を見回す。

暖炉には火が残っている。でも、彼女の姿がない。


外か?

そう思って玄関を開けかけた時――

「……おはよう、ネヴィス」

背後から、少し掠れた声。


振り向くと、アルマが机にもたれかかっていた。

髪は乱れ、目の下にはうっすらと影。

それでも微笑もうとしている。


「どうしたの!? 顔、白いよ!」

「平気。ちょっと、力を使いすぎただけ」

そう言っても、手が震えていた。


ネヴィスは走って水を汲みに行き、戻ってコップを差し出す。

けれどアルマは首を横に振った。

「ありがとう。でも、水より、休む方がいいわね」

そう言いながら、彼女は軽く笑った。


「……僕、何もできない」

ネヴィスは拳を握りしめた。

「戦うことも、守ることも……。アルマが倒れたら、僕、どうしたらいいの?」


アルマは椅子に腰を下ろし、少年の髪を撫でた。

「焦らないで。力を使うと、体の中の“温度”が変わるの。

あなたの力は氷。冷たさが心の中心にある。

私のは影。冷たさと光の境目を歩くもの。

どちらも、少し無理をすれば壊れるわ」


ネヴィスは真剣に聞いていた。

「温度……」

「ええ。人にも、魔法にも、感情にも温度がある。

罪の重さもね」


「罪?」

「そう。私があなたを守るために止めた時間。

それも“罪”の一種。

世界の筋を無理に引いた分だけ、代償がくるのよ」


アルマは微笑んだが、その頬は冷たく、少し青白かった。


「僕が……代わりにやる」

「え?」

「僕の力で、アルマを治せるかもしれない」


「ネヴィス、それは――」

止める暇もなかった。

ネヴィスは両手を彼女の頬に当てた。


瞬間、空気が凍った。

氷の翼の痣が淡く光り、部屋の中の温度が一気に下がる。

だが、同時に――アルマの呼吸が、ゆっくりと落ち着いていった。


「……あら」

アルマが目を瞬かせる。

「冷たいのに……あたたかい?」


「わかんない。なんか、手が勝手に……!」

ネヴィスは慌てて手を離した。

氷は溶けるでも広がるでもなく、彼女の頬に淡い霜を残しただけ。


「ネヴィス」

アルマは微笑み、少年の手を取った。

「それは“凍結”じゃない。“安定化”よ。

あなたの力が、私の乱れた理を整えたの」


「治ったの?」

「ええ。少しだけ、ね」

アルマは椅子にもたれ、少し息を整えた。

「あなたの力は、壊すものでも奪うものでもない。

止めて、守る力。

……あの夜、小鳥を止めた時も、本当はそうだったのよ」


「でも、鳥は……」

「“動きをやめた”だけ。命は形を変える。

あなたの冷たさは、命を“残す”力なの」


ネヴィスは目を見開いた。

自分の掌を見つめる。

白く、冷たい。けれど、その中に小さな熱があった。


「僕……守れるの?」

「ええ。誰よりも」

アルマは微笑んだ。

「あなたの冷たさが、この世界でいちばん優しいの」


ネヴィスはうつむき、拳を握った。

「もっと強くなる。もう二度と、誰も傷つけないように」

「強くなるのはいいけれど、優しくあることを忘れないで」

「うん!」


その瞬間――

家の外から、低い音が響いた。

ドン、ドン、ドン、と規則的な振動。


「なに……?」

アルマは眉を寄せ、立ち上がる。

「……これは、遠鐘とおがね。王都からの号令よ」


ネヴィスが不安そうに顔を上げる。

「教会の人?」

「ええ。“聖句の列”が動き出した。

正式な審問と……“儀礼執行”のために。」


窓の外、遠い空に白い鳥の群れが舞っていた。

その中に、銀の紋章をつけた聖獣――報告用の伝令魔鳥が混じっている。


アルマは小さく息をついた。

「少し早いわね、動くのが」

「どうするの?」

「準備をする。……戦うためじゃない、生き延びるために」


ネヴィスは一歩前に出た。

「僕も手伝う!」

アルマは一瞬だけ彼を見つめ、口元を緩めた。

「もちろん。

でもまずは――私の朝ごはんを作って。

“戦う母”は、お腹が空いては何もできないのよ」


「……うん!」


ネヴィスが笑い、アルマも笑った。

けれど、その笑みの奥には、張りつめた氷のような緊張があった。


暖炉の火がぱち、と音を立てる。

外では遠鐘がまた響く。

その音は、春を告げる鐘ではなかった。

――次の嵐を告げる鐘。


アルマは椅子に座り直し、ネヴィスの方へ顔を向けた。

「ねえ、ネヴィス。今日の授業はね、“温度”についてよ」

「うん?」

「熱いものは燃やす。冷たいものは止める。

でも、本当に大切なのは温度を感じること。

感じられれば、迷わずに選べる。――どんな時でも」


ネヴィスは真剣に頷いた。

「感じる、か……」

「そう。君の力は“感じる”ことから始まる。

……だから、怖がらないで」


「うん。

僕の冷たさで、アルマを守る」


「ええ。

そして私の影で、あなたを包む。

――それでいいの」


二人の声が、春を待つ森の中で重なった。

外では風が吹き抜け、木々の間を白い花びらが舞う。

雪ではない。

新しい季節の欠片。


遠くで、鐘がもう一度鳴った。

冷たいのに、どこか温かい音だった。


――氷の子と魔女の、罪と温度の物語。

その続きは、もうすぐ訪れる。


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