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最終章 千年書庫より愛を込めて

サエラは、それからもしばらく生きた。

筆は持てなくなっていったが、もう夜も怖くはなかった。


夜、風が塔を鳴らしても――“北の竪琴”は、もう脅かす音ではない。ヴァロークやノエルにもたれ掛かり静かに聞いていた。


彼女は体調がいいとよく台所に立った。


「…愛するあなたたちに」


そして、三人で楡のテーブルを囲んだ。サエラは生きるために食べる。共に同じものを口にすることは、愛を伝えることと同じようだと思った。


ノエルに仕事を引き継いだ。新しい王はノエルを気に入っているようで、度々呼び付けられる。ノエルは嫌々従っているふりをして、意外と満更でもなさそうだった。


駒鳥の務めもまた引き継がれた。

新しく来た孤児たちに、文字や掃除、その他サエラに教えられたことを全て教えた。


「忘れたくないものはちゃんと書きとめてね」

彼は塔の下の小部屋を学び舎に変えた。


サエラは仕立て台を出して新しい服を作った。伸び盛りの子には裾を長めに、寒がりの子には裏地を。

何かを直すこと誰かに食べさせること――それが彼女の一番優しい魔法。


そして子らにも愛を伝えるのだった。ノエルはその度に複雑そうにサエラに擦り寄った。 



ヴァロークは相変わらずぶっきらぼうだがよく働いた。森で薪を集め、木を切り新しい家具を作った。夜は相変わらずサエラを抱きしめ、眠りについた。


サエラが「愛しています」と言うたび、彼は顔を背け、耳を赤くした。

「……ああ」


そう返すだけだったがその一言の重さをサエラは知っていた。ノエルも知っていた。だから三人はいつも笑っていた。


サエラは日に何度も、幸せそうに、愛おしそうに告げた。


「愛しています、ヴァローク」

「愛しています、ノエル」


確かめるように。刻み込むように。



ある晴れた春の陽気の静かな午後。


窓から斜めに差す光が長く落ちる銀の髪を照らした。


長い時間眠っていたサエラがふと、宙に細い腕を伸ばした。


ヴァロークが大きな手でしっかりと掴み、ノエルがもう片方の手をそっと両手で握った。

彼女は微笑んだ。


「――あい、して、る」


次の瞬間、彼女は、銀色の灰になった。

指先も胸も全て跡形もなく、音もなく。

煌めく灰は風が卓と床と、そして二人の肩に運んで、ふんわりと降り積もった。


「サエラーーーーッ!」


ヴァロークの悲鳴に近い慟哭が塔を揺らした。

王であったときも、戦のさなかも、決して泣かなかった男が酷く泣きじゃくっていた。


ノエルは唇を噛み涙を必死に耐えた。

泣けば全てが崩れてしまいそうで、必死に両腕で自分を抱いた。


彼は目を閉じひとつだけ言葉を思う。


『確かにそれはある。必ず、己の中に』


自分の中に確かにサエラの心はある。


その夜、ノエルはサエラが書いた書の頁を静かに厳かに閉じた。

インクでは書きれない言葉を静かな指でなぞった。



――そして、また千年が過ぎた。


書庫の塔はもうない。森の根に、苔に沈んだ。


誰かが膝に本を置き静かな声で読みはじめる。


ひとつの塔に、ひとつの灯りがありました。

灯りのそばにはいつも

銀の髪の書き手がいました。


そのひとはとてもこわがりで

長いあいだ愛を遠ざけて

ずっとひとりきり。

愛すると死がこわくなるからです。


けれどある夜、

とうとう愛を知りました。


そして“ただいま”と言い

“おかえり”と言いました

隣で食べて隣で眠りました。

それが愛でした。


もうこわくなくなった

書き手は最後に言いました

――「愛は、やさしく、愛おしく、幸福でした」と。


子どもが聞く。

「ねえ、愛って死んじゃうの?」

語り部は首を振る。

「かたちが変わるだけ。ずっとあるんだ」

別の子が問う。

「銀の髪のサエラは、どこにいるの?」

「君の胸の真ん中に。――“忘れたくない”ひとのところに」


本の裏表紙には古い字で題がある。


『千年書庫の物語』

その末尾に、小さな署名。――Noël


そしてその下にもたくさんのたくさんの無数の名前。


ノエルが、弟子の孤児たちが、また弟子たちが書き足した。


サエラの名は愛の象徴として、いつか子供だった全ての人の中にある。


転ばぬように手をつなぐとき。寒い朝に熱を分けるとき。新しい服の裾を伸ばすとき。


誰かに「ただいま」と言える家に灯りがともるたび、誰かに恋をして口付けるたび。


――言葉にならなかった言葉、言葉にした言葉

 

その両方を、わたしたちは愛と呼ぶ。

サエラ達はたくさん書いている中でも、愛する子達です。ぜひ愛してもらえればと思います。形を変え、他の作品にするかもしれません。

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