第七章 紡がれた想い
サエラが首を横に振る。
「ほら、口を開けろ」
ヴァロークは匙を差し出している。
「……自分で食べられます」
サエラは顔を赤らめる。
「駄目だ。そう言って大体食べない。だから身体が子どもみたいに細い」
ぶっきらぼうに聞こえる彼の声はどこか優しい。
サエラは視線を逸らし、観念したように口を開けた。温かなスープが舌を満たす。吐き気はなく、胸の奥がじんわりと温まる。
ノエルがぱっと笑った。
「サエラさま、子どもみたい!」
「……ノエル」
サエラは拗ねて頬をふくらませたが、その顔がまた可愛らしく、二人は堪えきれずに笑い出した。
三人の笑い声は重なり、塔の空気が明るく揺れる。
◇
寝台の上、サエラはヴァロークの胸に背を預けて眠っていた。
彼の厚い腕の中で安心という名の温もりを知る。
ヴァロークは目を閉じ確かめるように彼女の頭を撫でながら抱いていた。
◇
日々は流れノエルの背は目に見えて伸びていた。
だが、彼の紫の瞳は暗い。
「……僕、背が伸びるのやだ」
サエラは少し驚き膝を折って目線を合わせる。
「どうしてです?」
ノエルは唇を噛んだ。
「大きくなったら、サエラさまに忘却の魔法をかけられるでしょう?サエラさまのこと……忘れたくない」
胸の奥が強く痛む。サエラは言葉を失いかけるが、ヴァロークが低く言った。
「心配するな。俺がまた教えてやる」
短く、それでいて絶対の響きを持った言葉。
ノエルが目を瞬き、サエラは微笑んだ。
「……ノエルの新しい服を作らなければなりませんね」
声はどこか弾んで、嬉し気にうろうろと部屋を動き回る。銀の髪が揺れるたびに喜びが滲む。
ヴァロークはその無邪気な笑顔に胸を衝かれ、言葉を失った。
彼女が心から喜ぶ姿を初めて見た気がした。
◇
夜明け。サエラは久方ぶりに夢を見た。
同胞たちの最後の光景。
皆、笑い、幸福に包まれていた。
『愛しているよ』
『死は怖くない』
『心配するな、サエラ』
『愛することは幸せなんだ』
『ありがとう』
『ずっと…』
数多の声が流れ、一斉に彼女を包む。
温かく、優しく、切ない。
何ももうこわくなかった。
◇
目覚めると隣にヴァロークの姿があった。大きな身体で規則正しい寝息に揺れる。
その寝顔を見た途端、サエラは涙があふれ、嗚咽が漏れる。
「……サエラ?」
慌てて彼が身を起こしサエラを強く抱きしめた。
震える声で彼女は言う。
「愛は優しく、愛おしく、幸福でした。
私の同胞たちは死の淵でも、ひとりも死を恐れていなかった……ただ愛を、心からの愛を…嗚呼、私が、忘れていただけでした」
そしてまっすぐ彼を見た。
「ヴァローク、貴方を、愛しています」
サエラはとても美しく笑った。
彼は息を詰め、ただ名前を繰り返す。
「……サエラ、サエラ……サエラ…!」
サエラは涙の中で微笑んだ。
堰き止めていた感情。愛おしさ。
溢れて、溢れて、幸せに胸がいっぱいになる。
止まらない濁流を口にしないことは、なるほど確かに難しいことだった。
「愛しています。大きな身体も、不器用な心も、傷だらけの手も、優しい声も……その熱も、その全てがどうしようもなく、愛おしい……」
止めようとするように、ヴァロークは荒々しくサエラに口付けた。覆い被さるように強く。
背に手を伸ばして絡み、サエラも応え続ける。二人は何度も唇を重ねた。
息が乱れ、涙と熱が混ざり合う。苦しくなるくらいに深く深く繋がった。
やがて二人は黙って抱きしめ合う。そして、静かに涙を流した。
◇
「サエラさま……!?」
寝間着姿のノエルがヴァロークに抱きしめられているサエラが泣いているのを見て、駆け込んでくる。
「泣いてるの?!どうしたの!?ヴァロークいじめたの!?」
サエラは彼をしっかりと抱き寄せ、そっと優しく囁いた。
「ノエル、あなたを愛しています。…心から」
ノエルの瞳が大きく揺れ、涙がどっと溢れた。
「いやだ……!やだ!死なないで、サエラさま、ぼくを、置いていかないで!」
サエラはその金色の頭を撫で、静かに呟いた。
「死ぬことは、全く怖いことではないのです」
そして優しく微笑んだ。
「ノエル、あなたに、愛するあなたに、この塔の仕事の続きをお願いしたいのです」
ノエルは泣きながら必死に頷いた。
「……うん、うん……!」
三人は長く長く抱き合った。
太陽の光が窓から差し込み、塔の小さな部屋に淡い光を落としていた。
外は雪景色。しかし、枝の蕾はもう開きかけていた。




