09.マーガレットの森
翌日、アイシスはミネヴァとネリアの二人と共に街を出てマーガレットの森へ向かうことになった。
アトリエを訪れた二人に驚いたアイシスだったものの、シンからの紹介ということですぐに納得した。アイシスから見える二人はともかく、シンからしてみれば腕の立つ二人でしかないのだから。おそらく、二人がそれなりの地位にある人間であることくらいは理解しているだろうが、あまりそういったものに頓着しないシンにとってはさほど気になるものでもなかったのだろう。
ただ、アイシスにとってはそうもいかない。
「……よろしかったのですか?」
恐る恐るというようにアイシスが問いかける。
「ええ、かまいませんよ。シンさんと話はついていますから」
話はついている、というのはお金の話だ。
そもそもいつもであれば冒険者のサナノスに依頼するところであり、それには当然費用がかかる。その分を今回は二人に回せるようになるわけだが、実際には直接にお金を渡したわけではなく、錬金道具を創る際に値引きをするということで合意に至った。
「……」
そういう問題ではないのだが、とアイシスは思った。
正直に言ってお金がどうこうというのはどうでもいい話だ。問題なのはミネヴァが王女だということだ。
確かに二人は強い。
この年で聖騎士に任じられているネリアは当然のことながら、万能姫とうたわれるアイシスは文字どおり多芸多才でありその実力に疑いはない。
当たり前の話ではあるが、アイシスよりもシンよりもはるかに強い。
このマーガレットの森はそれなりに希少な錬金素材が採取できる森ではあるため、アイシスたちも時折足を運んでいるが、ごく一部の場所を除いてはそれほどの危険もない。森のよほど深い部分に潜ることがなければ。
だから、この三人であればよほどの不測の事態でも起こらない限り何も問題はない。
実際にここまでの道中、アイシスがほとんど何をするでもなくミネヴァとネリアの二人で鎧袖一触とばかりに現れた魔物を片付けていた。
だけど、王女にこのようなことをさせることに心理的な抵抗はどうしても拭いきれない。
あくまでもアイシスの気持ちとしての問題ではあるが。
「……さすがの腕前ですね」
その心の裡を素直に発することもできず、出て来た言葉はミネヴァの実力を称えるものであった。
もちろんそれは嘘ではない。もともと姫の実力は噂で知るところであったが、そのアイシスの想定を明らかに上回っていた。
これが本当の才ある者の力かと感心していた。
「いいえ、貴女の剣の腕もたいしたものです」
「ありがとうございます。王女殿下にそう言っていただけるとは光栄です」
「……別にお世辞を言っているわけではないのですけどね」
ミネヴァは苦笑する。
同じように褒めたつもりだったが、アイシスの反応は芳しくなかった。
アイシスは知っている。自分に才能がないことを。だからミネヴァの剣技とは明確な差があった。決して埋まることのない差が。だからアイシスにはお世辞にしか聞こえない。
だけどそれはミネヴァの紛れもない本心だった。ただ、認識がずれていた。
ミネヴァにとってアイシスとは錬金術師であり、戦士ではない。戦う者ではなく作る者なのだ。
確かにアイシスの剣は才能があるというものではなかった。だが、そういう視点で見ればアイシスの剣技は舌を巻くほどに洗練されていた。
「―――この辺りでいいでしょう」
およそ三日後、三人は森の中のそれなりに深いところまで来ていた。
アイシスの言葉に二人は周囲にぐるりと目を配る。
確かにこの辺りは闇の気が濃い。それを肌では感じているが、周囲の様子を見る限りそれだけでありここに何かがいる様子はない。
二人が視線で問いかけるとアイシスは静かに頷く。
「少し、周囲を警戒していてください」
そう言ってアイシスは一つの錬金道具を取り出すと、すぐにそれを発動させる。
「それは?」
「これは環境に影響を与える道具です。簡単に言うと、この辺りの属性を操作し、闇の力を高める道具です」
「……なるほど」
ミネヴァはその説明でおおよそを理解した。
この広い森の中でブラックドッグを探し出すのは難しい。できないとは言えないがそれなりに骨の折れる作業になるだろう。
だから、ここにブラックドッグの好む空間、強い闇の力を持って領域を構成することで誘い出そうというのだ。
ミネヴァが目配せをするとネリアは頷く。
基本的な索敵能力という意味においてはミネヴァのそれはネリアを上回る。ただ、聖騎士として強い聖なる力を扱うネリアは闇の力を敏感に察知することができる。例えばブラックドッグなどのように強い闇の力を持つものであればミネヴァよりも正確に索敵することができるのだ。
「……来た」
ネリアが呟く。
暗がりの中から影のような獣がのっそりと姿を現す。
この森では基本的にあまり強力な魔物は現れない。そして、当然それには例外もある。ブラックドッグもその例外の一つだ。
これまでの道のりで対処してきた魔物と比べれば桁外れとも言える力を持つ魔獣。
ただ、この二人からすれば難しい相手ではない。その対処法がわかっているうえに、突発的な戦闘でもないからだ。
そして、相性も悪くない。
「―――祝福よ」
ネリアの言葉に呼応するように強大な力が渦巻く。そして、その手に握られた大剣に輝きが宿る。
聖なる力を扱う聖騎士、その中でも限られた者にしか使うことのできない聖光剣と呼ばれる技。
その聖なる輝きはブラックドッグ程度の相手であれば一撃で屠るに十分な威力だ。
「駄目っ!」
掲げた剣を振り下ろそうとした瞬間に静止の声が掛かる。
ネリアは半ば攻撃に移りかけていた姿勢を無理矢理に止める。それによって体勢が崩れたところにブラックドッグが振るう爪より放たれた闇が襲いかかる。
そのネリアの前に躍り出たのはアイシスだった。
「―――っ!」
アイシスの左腕から鮮血が舞い上がる。
だが、アイシスは苦痛に顔を歪めながらも即座に反撃に転ずる。懐に右腕を入れて取り出したそれをブラックドッグへと投げつける。
「限界解放―――呑み込め! アルバリの影沼」
錬金道具というのは誰にでも扱えるものだ。
だが、それは扱えるというだけにすぎない。
その真価を発揮させるためには錬金術の才が必要となる。錬金道具の力を限界まで引き出すこと、それを限界解放と呼ぶ。
「ぐっ。今! 首を、首を斬り落として!」
その瞬間にミネヴァは動く。
四肢を影に飲み込まれて微動だにできなくなったブラックドッグの首を、アイシスの指示どおりに一閃を持って斬り落とす。
そして、ブラックドッグを仕留めたことを確認すると、すぐにアイシスのもとに駆け寄る。
「大丈夫ですか!」
「はぁ、はぁ……だい、じょうぶ、です」
そのときにはすでにアイシスの傷は手当が終わっていた。先ほどつけられた傷はすでになくなっていたのだ。
先に傍にいたネリアに視線を送ると、ネリアは小さく首を横に降って否定する。ネリアが何かしたわけではないからだ。
その傷を治したのもアイシスの錬金道具だ。ただ、傷自体は治っているものの、その闇の力によってつけられた呪いのようなものは回復していない。一時的に抑えられているにすぎない。
「……どうして?」
ネリアは尋ねる。
その一言には様々な意味が込められていた。ネリアには状況が飲み込めていなかったからだ。
「ごめん、なさい……。私の、落ち度です」
ミネヴァにもネリアにも意味はわからなかったが、アイシスのその言葉は正しい。
気の知れた冒険者であるサナノスと共にすることに慣れてしまっていたため、重要な説明を忘れていたのだ。
「強力な、聖なる力では、はぁ、はぁ……。素材が浄化、されてしまいます、から……」
たとえば魔道具の材料として使う分にはそれで問題は起こらない。浄化されたとしても素材が持つ魔力は消えることはないのだから。だからこそミネヴァもネリアも何も考えることなくブラックドッグを倒そうと考えたのだ。
だけど、錬金素材としてはそうはいかない。
その闇の力が浄化されてしまえば錬金素材としては十分な品質が確保できないのだ。その素材が内包する闇の力が失われてしまう。
その説明をアイシスは忘れてしまった。
そして、それは二人の戦闘能力の確認を怠っていたということでもある。
二人が強いのはわかっていた。万能姫とうたわれるミネヴァの強さ、そしてそれを上回るネリアの剣の腕、それは理解していたつもりだった。
見誤ったのはネリアの聖騎士としての実力だ。剣が強いことはわかってはいたものの、ここまで強力な聖の力を扱えるとは思っていなかったのだ。
それでも、王女の護衛としてたった一人で供をしているという現状を鑑みるに、それができるだけの強力な力を持っていることは想像して然るべきだった。だからこそそれはアイシスの責任なのだ。
さすがに、聞かれてもいないのに自分の能力の全てを開示する責任はないのだから。
「……すみません。少し落ち着きました。申し訳ありませんが、素材の採取をお願いできますか? これに……」
そう言うと、アイシスは二人に袋を差し出す。
小さな袋ではあったが、それは見た目以上に大きなものであり、内部で大きな空間が広がっている錬金道具だった。
ミネヴァは頷いてそれを受け取る。
これを見るのは初めてではあったが、似たような魔道具はミネヴァも持っているのだから。
ただ、これは素材の採取のための特別な効果があり、長期間その品質を保っておく効果が付けられているのだ。
すぐに二人はブラックドッグの牙を採取すると、その骸を浄化した。
そして、ふらつく足取りのアイシスを支えながら、三人は帰路につくことになった。
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次話『10.毒薬』09/10 21:00投稿となります




