70.結婚
久々の休日、自室でのんびりと過ごそうと考えていたネリアは突然の呼び出しに応じ、しぶしぶ王宮内の応接室へと向かっていた。
「―――失礼します」
扉を開けたネリアは顔をしかめる。
その中にいたのは二人。ここに呼び出した張本人であるミネヴァ・ソル・ミスラと、その婚約者となったティール・フォン・メルクーアだった。
念のためとぐるりと視線を巡らせたうえでため息をつく。
「……殿下、このような室内で男と二人きりになってはいけません」
「そうかしら? 婚約者なのだから問題ないのではありませんか?」
「婚約者でも……いえ、婚約者だからです」
そう言われたミネヴァは不思議そうに小さく首を傾げる。
男と二人きりはいけない。それはわかる。婚約者であってもいけない、という言い分もわかる。だけど、婚約者だからこそ、というのはわからない。
「婚約者でなければいいの?」
「婚約者以外の男性と二人きりになることは不可能ですので」
なるほど、と頷く。
今この場に二人きりなのは侍女に外してもらっているからだ。そんなわがままが通ったのはティールが婚約者であるからで、婚約者でもない男と二人きりにして王女から離れる侍女などいるはずもない。
そういう意味でも不可能だというのは間違っていない。
そんな二人のやり取りを楽しげに眺めていたティールに対して、ネリアは不服そうに視線を送る。
そもそもなぜここにいるのかと。
「ミネヴァ様、このお……この方はどういう要件でここにいらしたのですか?」
「ふふ、それは婚約者である私と親交を深めるためではないかしら?」
そんなことはないだろう、と思う。
ネリアが訝しげにティールを見つめると、ティールはからかうように小さくふっと笑う。
そもそもネリアからすれば彼がなぜミネヴァとの婚約を承諾したのかもわからないのだ。
もちろん、ティールが悪人でないだろうことはわかっている。
だけど、彼にとってこの婚約にどういう得があるのかがわからない。何の得も無いとまでは言わない。ミネヴァと結婚することでティールが得られるものもあるはずだ。ネリアにも思い当たるものはいくつかある。それでも、自由騎士と呼ばれる彼にとって犠牲となるものの方が大きいとしか思えない。
ただ、逆に考えると、その自由による気まぐれという線はありうるかもしれないとも思っているが。だとすればその程度の気持ちで大切なミネヴァと結婚されても困る。
「いや、姫様の言っていることは間違いというわけでもない」
ティールは答える。
ミネヴァの言うように親交を深めるため、というのも目的の一つだ。
婚約者となったものの、お互いのことをそれほど識っているわけではない。二人ともそれなりの有名人であるため、表層的にはそれなりの情報を持っているものの、それはあくまで風評や風説的な側面が強い。外側についてはともかく、内面的にはあまり深く知っているとは言い難い。
だからこそ、できるならこうして顔を合わせるべきだとお互いに考えているのは事実だ。
ミネヴァもティールもこの婚約が政略的なものであることは重々承知しているが、お互いに好意を持てるのであればその方がいいと思っている。そして、お互いをよく識ればそういう関係になれるはずだと。
だから、間違いというわけではない。
「それで、本当の目的は何なのですか?」
そして、ネリアもそれはわかっている。
そのうえでそう尋ねる。それが本題でないこともわかっているからだ。
はっきりとそう言われたティールは苦笑を浮かべて肩を竦める。信用されていないわけではなさそうではあるものの、いまだ信頼を得られているとも言い難いようだ。
「彼が婚約者では不満かしら?」
「わたしにそのようなことを言う権利はありません」
「そういうことを聞いているわけではないのはわかっているでしょう?」
「……騎士としては尊敬しています。人間としては、まだよくわかりません」
「わからないふりをしているわけではないの?」
「……」
言われてネリアは顔をしかめる。
意識していたわけではないが、そう言われればそういう部分もあるかもしれない。
そもそも彼はあのアイシスの兄なのだ。彼女から家族の悪い話は聞いたことがない。むしろ大切な家族だと話していた。そういったところを鑑みるに善人の部類であることは間違いないだろう。
ただ、彼が何を考えているのかがわからないのだ。
ネリアにとってティールは数少ない自分の力ではどうすることもできない存在だ。たとえ命を懸けたとしても彼には勝てない。ミネヴァを守りきれない。
あるいはこの感情は恐怖に近しいものなのかもしれない。
「俺が今日来たのはアイシスのことについてだ」
「……アイシスさんが、どうかされましたか?」
予想外の名にミネヴァの言葉に僅かに緊張が混じる。
ネリアも興味を抱いたのか僅かに前のめりになる。
そもそもティールが婚約を承諾した理由の一つがアイシスだろうとミネヴァもネリアも考えている。それは予想といった範囲ではなく、むしろ暗黙の了解と言ってもいい。
この国において王女と婚約をすれば、ティールにとってアイシスの動向を把握しやすくなるという計算があるのはお互いに承知していることである。
「何か情報を掴んだということでしょうか?」
「いや、違う。家から連絡が来ただけだ」
「家? ということはメルクーアから?」
「ああ」
どういうことだろうかとティールの表情を窺うが、そこにはどこか楽しそうな笑みがあった。それを見て悪い話ではないのだろうと密かにほっと息をつく。
「アイシスは今家に帰っているらしい」
「そう、だったのですか。……貴方は帰らなくてよろしいのですか?」
アイシスが帰っているのであればティールも同じく帰ろうとするのは自然なことだ。むしろ、今ここにいることが不思議に思える。
「それも考えたが、今から帰ってもおそらく入れ違いになるだろう?」
「ああ、それは確かに。……それで、それがどうかしたのですか?」
「どうやら結婚の挨拶らしい」
「結婚? ……婚約ではなく?」
「そこか? 誰と、とは聞かないんだな」
「それは、まぁ、聞くまでもないでしょう」
アイシスに直接聞いたことはない。だけど、それはなんとなくわかっている。
アイシスが結婚を決意するのならばその相手はシン以外にはありえないだろう。だからそこは聞くまでもないことだ。
「そもそも婚約とは何のためにするものだ?」
「何のため……結婚の準備、ではないでしょうか?」
「本来はな。だが実際には何か理由があってではなく、そうするものだからそうしているにすぎない。貴族としてのしきたりゆえに、といったところか」
「……言われてみれば、そうかもしれませんね」
なぜ婚約がされているか、それはそういう決まりだからという部分が大きい。特に必要とされているからというわけではない。そういう手順が踏まれるというのが慣例となっているからにすぎない。
むしろ、結婚という目的のためというよりは、貴族同士、家と家との繋がりのために婚約というものが利用されているのが現実だろう。
そう考えるならば、アイシスとシンが結婚するにあたって婚約という手順を踏む必要はないのかもしれない。
「そういう意味ではこれこそが本当の意味で婚約というのかもしれないな」
「なるほど、そうかもしれませんね。……ですが、認められるのでしょうか?」
そこは心配ではある。
メルクーアという家は実力的に才能に溢れている。だからむしろあまり気にならないが、その実質は高位貴族である侯爵家なのだ。その中でも特に国内において重鎮と言っていい名家であろう。
侯爵令嬢であるアイシスとシンの結婚を侯爵家が認めるのだろうか。
「その点は問題ない。そのためにアイシスは色々と動いていたようだしな。今回のは本当に挨拶、あるいは報告といったところだ」
「色々、ですか? ……なるほど」
言われてみれば思い当たるところがないではない。
たとえば、ミネヴァが母の解呪を頼んだとき、あのときアイシスはなぜか敢えてシンにそれを任せていた。あの当時は自信がないのかと思い、そういうものかと流していたが、今になって考えてみればあの言動は少し不自然にも思える。
あれはきっと、シンに功績を挙げさせるためだったのだろう。思い返せばことさら弟子という立場を強調させていたようにも思う。
そして、きっとそのためにシンに爵位を取らせたのだ。
「どうやら私も彼女の手の内にあったようですね。……ですが、それはたまたまなのでは?」
ティールの言い様によれば全てがアイシスの計算だったのだろう。シンという人間の名を挙げるために。だけど、ミネヴァがアイシスのもとを訪れたのも、ドラゴンゾンビが暴れたのも偶然にすぎない。それを予期できるはずはないのだ。
何も起こらなかった可能性だって低くはない。
その場合にはこれほどの功績を残すことはできていないはずだ。
「そうだな。ここまで早いとはアイシスも予想していなかっただろう。だから、そのうちでよかったはずだ」
実際に、ここまで順風満帆に、というのはアイシスも考えていなかったはずだ。偶然だというのも完全に間違っているわけではない。
だけど、ティールはシンの力を見た。
だからわかる。
あの男であれば、遅かれ早かれ世界に気付かれただろう。必要があればそのときにうまく動けばよいだけのことなのだ。
「そこまで考えてのことですか。さすがに如才ないですね」
「アイシスは俺と違って知識もあるし頭も回るからな。俺には戦うことしかできないが」
「……そうも思えませんが」
時折ティールはそのような言葉を口にする。まるで自虐的に。
確かに、ティールは強い。それも桁外れに。それを考えれば他の能力が格段に劣っているようにも感じてしまうのだろう。だけど、ミネヴァからはそうは見えない。
それはティールの中の話であって、世間一般に照らし合わせればティールも十分に賢い部類に入ると思っている。
あるいは、どこか劣等感のようなものでもあるのだろうか。
ただ、そこに踏み込むにはまだ少々信頼関係が足りないようにも思う。
「ということは、今日はそのことを伝えるためにここに来ていただけたのですか?」
「そういうことになる。……アイシスのことだったら知りたいだろう? 姫様も、ネリア嬢も」
「そうですね。ありがとうございます」
感謝を述べてミネヴァは軽く会釈する。それに合わせるようにネリアも小さく一礼する。
ティールの言うようにアイシスのことであれば友人として知りたいと思っているのは事実だからだ。
それからは三人で軽く歓談をして時間を過ごした。親交を深めるために。
やがて三人は立ち上がる。
「今日は、わざわざありがとうございました」
「いや、俺も楽しめた。……機会があれば、また来るよ」
「是非、楽しみにお待ちしております」
ミネヴァは笑みを浮かべる。
ティールと婚約したのは政治上の利点ありきにすぎない。芸術の国としては名高いがそれ以外の部分については他国に遅れを取っているトーラスにおいて、少しでも軍事力を底上げするためにわかりやすいメルクーアの力を求めたのだ。
その結果、ガエメニとの結びつきも強くなり、トーラスには利点しかない。問題はティールが承諾してくれるかということだけであったが、幸いにもそこは解決することができた。
本当はそれだけでミネヴァとしては満足だった。
だけど、こうして会って話をしてみれば、ミネヴァは人間としてティールにも好意を持てることがわかった。個人的にも、彼を婚約者として選べて幸運だったと思っている。
だから、この縁を大切にしたいと願った。
「―――ひとつ、聞いてもいいですか?」
最後に、尋ねたのはネリアだった。
その声には、どこか緊張感を伴っていた。
「どうして、ミネヴァ様との婚約を受けたのですか?」
結局ネリアはそれを直截に聞くことにした。
それを知りたかったというのは間違いないが、それだけでなくティールの反応を見たかったということもある。
少し戸惑った様子を見せたティールであったが、いくつかの理由を淀みなく並べた。
二人が予想していたとおり、アイシスのことも大きな理由の一つだった。
ミネヴァもそれには納得したように頷いていた。
だけど、ネリアは違う。
「……ほんとうの理由は言えないのですか?」
そう問われたティールは驚愕にほんの僅か目を見開く。
ミネヴァからしてもそのように動揺した姿を見たのは初めてだった。これまで落ち着いた部分しか見たことのなかったティールの意外な表情になんとなく好感を抱く。
そして、それはネリアの言葉が正しいことを意味する。
ティールはすぐに平静を取り戻すと、軽く苦笑する。
「―――それは恥ずかしいから言えない」
予想だにしなかった言葉に二人は呆気にとられる。
実際のところ、二人は少し勘違いをしていた。何かしら理由があるのだろうという考えが強くあり、ティールの感情面についてあまり気にはしていなかったのだ。あくまで損得という理由なのだろうと。
だけど、二人が思っているよりもティールはミネヴァに好感を抱いていた。それが婚約を決めた大きな理由の一つでもあったのだ。
だけど、ティールがミネヴァにその好感を抱いた最初の理由。それはティールには言えるはずもなかった。
万能姫とうたわれるミネヴァの立ち振る舞いが、母を思い起こさせたということは。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。楽しかったと思ってもらえたなら幸いです。
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最終話『71.創造』11/10 21:00投稿となります




