69.取引
アイシスがずっと過ごしたメルクーアの家。
いつだって家族はアイシスのことを考えてくれた。何を見つけることもできないアイシスにいろんなことを教えてくれた。何かがきっかけで才能が芽吹くかもしれないと。
でも、結局アイシスは何をしても結果を出すことができなかった。だから、アイシスは追い詰められていった。
そんなときに、母は判断したのだ。無理をすることはないと。仮にこのまま何の才に目覚めることがなくとも、アイシスは一端の侯爵令嬢だ。ただ普通に貴族として結婚するという幸せだってあると。
それは決して悪意からのものではない。
ただ、娘の幸せを願ってのことだった。アイシスにとってそれが一番幸せになれるのではないかと。
だけど、アイシスはそれを受け止めることができなかった。その母の気遣いも、まるで自分は家族の一員ではないと突き放されたように感じてしまったのだ。
そして、その悲しみから救い出してくれたのがシンだった。
それから数年、錬金術士として頭角を現したアイシスは、家族と話し合いの場を設けるためにシンとともにメルクーアへと帰ってきた。
「そうして、私は家族からも才能を認められることができた」
「あ、ああ。そうだな」
シンは困惑の表情を浮かべる。
その辺りの話はすでにおおよそを把握していることもあるし、何より、今の状況でその話をする意味がわからなかった。
アイシスはそんなシンの反応に構わず続ける。
「でも、全てが変わったわけじゃない。それでも私は、家族にとっては特別なままだった。……突然私への態度が変わるのもおかしいものね。私は私であることは変わらないんだから」
「まぁ、そうだろうな……」
それはシンにもなんとなくわかる。
たとえばアイシスの兄であるティール。彼のアイシスへの態度は過保護と言ってもいいくらいの可愛がりようだった。確かに、シンの目から見ても普通の家族、とは少し違うかもしれない。
それがアイシスを心配してのことなのか、ただアイシスが可愛いだけなのか。詳しくはわからないが特別であることには間違いないだろう。
ずっとそうやって接してきた。
アイシスが才能に目覚めたからといって家族のアイシスへの想いが変わるわけではないのだ。
「わがままかもしれない。今だって私は十分幸せなんだから。でも、それでも。私は心のどこかでただの家族の一人として愛されることを望んでいた」
アイシスは家族を愛している。
そして、家族から愛されている。
それだけで全てがうまくいけばいいのだろう。だけど、人間とは複雑で、欲張りだ。ただうまく噛み合わず、それだけで心にはどこか澱のようなものが生まれてしまう。
「シンの家族を見て、そして、シンと家族を見て、私は素直に羨ましいと思った。とても自然な家族なんだと」
「そっか。そう言ってもらえたら、嬉しいかな。俺としては」
「だから私は取引を持ち掛けた。それが商人―――メルクーアだから」
「……なるほど」
そう繋がるのか、と思わず感心した。
この話がどういう関係があるのかようやく理解できた。アイシスはあの場に残って両親とその取引の話をしていたのだ。
そして、その内容にも少し心当たりがある。
アイシスが何を求めたのはおぼろげにしかわからないが、アイシスが提供できるものについては想像できる。
「両親にまた俺と合わせる。それを取引材料にしたんだな」
「え?」
「……違うのか?」
それはシンにとって意外だった。
アイシスが差し出せるものとしてはそれが適したものであるように思えるし、それが最も両親を喜ばせるであろうことだと考えたからだ。
「だって、それはシンとの取引でしょ?」
それこそアイシスにとって当然のことなのだから。
シンはアイシスを一流の錬金術士に育てる、そして、アイシスはシンを元の場所に帰すための錬金道具を創る。それが取引の内容だ。
だから、シンが求める限り、アイシスは道具を創る。それが取引なのだから。シンの両親とは関係ないと言ってもいい。
「じゃあ、何を……?」
そう尋ねると、アイシスは神妙な顔を浮かべ、口をつむぐ。
それはためらっているというよりも、緊張しているように見えた。
シンは首を傾げる。
「シンの両親に、私を家族に……あなたたちの娘にしてくださいってお願いしたの」
「それは……」
ああそうか、とすんなり頷いた。
なんとなくアイシスの望みがそういうものだろうということはわかっていた。自分の両親に会って、こんな普通の家の一員になりたいと思ったのだろう。
とてもまっとうな願いだな、と思った。
だけど、それはアイシスの要求だ。取引というからにはアイシスから提供するものもあるはずだ。
ちらりとアイシスの顔を窺うと、覚悟を決めたような真剣な表情を浮かべていた。
「その代わりに、私は孫を抱かせてあげます、って約束した。―――シンの、子を」
「……え?」
全く予想だにしなかった言葉にシンの思考が停止する。
何を言ったのか理解ができなかった。
呆然とアイシスの顔を見つめると、恥ずかしそうに目を逸らされる。
「え? あ、えーっと……」
「……」
アイシスの言葉が何を意味するのか、それはわかった。だけど何を言えばいいのかわからず、気まずい時間が流れる。
やがて、アイシスの瞳が不安げに揺らぐ。
しまった、とシンは思う。だからすぐに口を開いた。
「……気持ちは俺も同じだ。ずっと、アイシスと一緒にいたいと思ってる。……でも、アイシスは高位貴族のご令嬢だ。俺みたいな得体の知れないやつといつまでも一緒にはいられない」
本当はシンだってそう思っていた。ずっと一緒にいたいと。
だけど、シンはそんなことはできないとも思っていた。だって自分はアイシスと別れて一人あの世界に戻ることを選んでいたのだから。
そんなことを口にする資格はないと思っていた。
そして、口にすれば、もうそこでこの世界というものを失ってしまうのではと怖かった。
「でも、シンももう貴族だよ」
「それは、そうかもしれないけど……」
一応の地位はある。
この国でしか通用しないものかもしれないけど、国王より直々に賜った爵位を持っている。
それでどこまで胸を張れるものかはシンにはいまいち計りかねるところではあるが、この世界において少なくとも自分という存在を証明することはできる。
「ご家族は、それで納得するのか?」
アイシスがそんなこと考えているとはメルクーアの家族は想像もしていないだろう。そして、そんなつもりで自分にアイシスを預けてはいないだろう。
それは、アイシスの家族に対する裏切りだとみなされないか。
「だいじょうぶ。前に帰ったときにその話はしたから」
「え? いつ?」
「シンがいたときだよ。……直截に言葉に出したわけじゃなかったけど、そういう話をしてたよ」
「そう、なのか? 全く気付かなかったよ」
言われてみても、そういった話をしていたことを思い出せない。
ただ、確かによくわからない言い回しはあったかもしれない。なんとなく阿吽の呼吸とでも言うべきか、家族にしかわからないやり取りなのかと。
「言ってたでしょ? お兄様もお姉様も認めるって」
「そう、かな? ……そう、だったか?」
記憶をたどる。
言われてみればそういったシンにとって不自然な言動があったような気がしないでもない。記憶に残っているの少し不機嫌そうな彼女の父の顔だった。
なるほど、そういうことか。
「だから、メルクーアの家族にはもう了承を得てるよ」
「いい、のか? アイシスはそれで」
「うん。私は、ずっとそれを願っていたから。……シンと、二人生きていくことを」
そう言ってアイシスは笑みを浮かべる。
正直に言えばシンだって嬉しく思う。アイシスにそう想われていたことも、そして自分の想いが受けいれられることも。
そんな未来があるのなら。そんな未来を歩めるのなら。
「そう、だな。二人でなら、そんな未来を創っていける」
ここまで読んでいただいてありがとうございました。楽しかったと思ってもらえたなら幸いです。
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次話『70.結婚』11/09 21:00投稿となります




