67.家路
ぐらり、とアイシスの体が揺れる。
慌ててシンはアイシスの体を支えるべく手を伸ばす。
アイシスはだいじょうぶだと、さらにその手に力を込める。
発動したそれに、シンは体の中から不思議な力が満ちていくのがわかる。
アイシスが胸元に押し付けた手のひら、シンはその手の上に自分の手をそっと重ねる。
「……これが、生命か」
「うん。偽物、だけどね」
「みたいだな」
シンの体に命が宿った。アイシスが生み出した命。
だけどそれは偽物にすぎない。見せ掛けだけの偽りの生命。ただ、世界を欺くための虚飾の魂。
完成されたものではない。未完成、だけれども目的だけは達成できる。
「……よく、賢者の石を扱えたな」
それでも不思議に思う。アイシスにはまだ無理だと思った。
アイシスは恥ずかしそうに苦笑する。
「そのために、力を制御するためにちょっと特別なものを使ったから」
「そんな素材、持ってたか?」
「古竜の爪」
「……え? ああ、あのとき拾ってたのか」
そうだっただろうか、とシンは記憶を探ってみるがどの場面のことか思い出せなかった。
あの戦いのとき、アイシスは密かに斬り落とされた古竜の爪を採取していた。あれほど高位な存在の素材ともなれば想像を超えた力を発揮するだろうことはわかっていたからだ。
きっと、何かの役に立つ。そう思ってすぐに拾い集めていたのだ。
「お兄様が斬ったものだから、私がもらってもいいよね」
「そりゃあ、そうかもしれないけど……、大胆だな」
あの状況、周りの目に余裕があったわけではない。そんなところに気を配ることができたものはそういないだろう。
それでも、下手をすると見咎められていたかもしれない。
「結局はこうして必要になったんだからいいでしょ?」
「……そうだな」
シンは改めて眼前にある空間の歪みに向き合う。
緊張したように大きく深呼吸、そして、そこへ向けて手を伸ばす。
するり、とすり抜ける。先程までのように何か壁のように当たるような感触はなかった。前回アイシスがそうであったように、シンのその手には何の抵抗も見られなかった。
「行こう、シン」
「……ああ」
二人は足を踏み出す。
同時に前へ進む。その先へと。
その歪みの中へと入っていくと、やがて視界が変化する。薄暗い世界から光溢れた世界へと。
アイシスは改めて実感する。これが違う世界なのだと。肌で感じる空気そのものが違うのだ。
そして、この世界は。
「……帰ってきた」
シンの生まれた世界だ。
ちらりと立ちすくんだシンの顔を覗き込むと、シンは呆然したようにただぽかんと口を開けていた。言葉でこそそう言ったもののいまだその実感はないのだ。
アイシスはそんなシンの背中にそっと手を添える。その背を押すように。
その意図を察したのか、シンはアイシスに向けて小さく頷くと、再び歩き出す。
「……場所はわかるの? ここがどこか」
ここがシンのいた世界だということはアイシスにもわかる。だけど、アイシスがわかるのはそれだけだ。周囲に視線を巡らせてみても、そこには家屋がぎっしりと並んでいるだけだ。
目的の場所、シンの家にすんなりとたどり着けるかどうかわからない。あるいは、ここがどこなのかから調査することから始めなければならないのかもしれない。
だけど、シンは首を横に振る。
「よく知ってるよ。ここは、近所の公園だ」
立ち止まるとシンは懐かしむように目を細める。
ブランコに鉄棒、砂場に滑り台。子どもの頃ここで遊んだときの姿のままで残されている。
「いや、ちょっと古くなってるかな」
それに、小さくなっている。とも思ったが、それはきっと自分が大きくなっただけなのだろう。
ふっと軽く笑うと再び歩き出す。
ぼうっと眺めていて少し遅れたアイシスは、小走りで駆け寄るとシンの横に並ぶ。
無言で歩くシンの隣で、見慣れない光景に目を奪われる。見たことのないもので溢れている。わかってはいたが、これは本当に違う世界なのだ。
本当であれば、それらについて一つ一つ聞きたいくらいに興味を抱いてはいたが、緊張感で満たされたシンに尋ねることは憚られた。
やがて、一つの家の前でシンの足が止まる。
シンは駐車場にある車を一瞥すると、インターホンに指を伸ばす。
ゆっくりとボタンを押すと、ピンポーンとありふれた音が響き渡る。
「―――はい。……っ」
そこから聞こえた声にアイシスはびくりと体を震わせる。押して音が鳴ったのはわかるが、まさかそこから声が聞こえるとは思っていなかったのだ。
そして、そこから息を呑むような気配が感じられたことにも戸惑う。
「……中から見えてるんだよ……」
そんなアイシスの様子に気付いたのか、シンは小声でその仕組みを伝える。
アイシスはそんな不思議な効力を持っているのかと、シンが先程押した器具をまじまじと見つめる。
やがて、小さな声でそこからお父さん、という音が聞こえた。
その後、長い長い時間が経ち、そのドアが開かれた。
そこから顔を出したのは、シンの父だった。
「父さん、ただいま。……母さんも」
その言葉にシンの父と母はぎょっと目を見開く。ありえないものでも見るかのように。その視線がシンの頭から足先まで何度も行き来する。
それも当然だろう。さすがに表情には出さなかったが、シンも思わず苦笑を浮かべそうになる。シンにその記憶はないが、あの男、プルートの言うことが正しいのであればシンはもう死んでいるのだから。
時間の経過が同じだとするならば、それからもう数年経っていることになる。実際、父と母の顔を見れば少し老けたようにも見える。体も少し小さくなったかもしれない。
「……シン、なのか……?」
「信じられないかもしれないけど、そうなんだ」
しばらく見つめ合う。言葉もなく。お互いにどう言えば適切なのかわからず、言葉を探り合っていた。
やがて、父と母はシンの隣にいるアイシスに気付く。
二人からの視線を受けて、アイシスはおずおずと小さく会釈する。
「とりあえず、入りなさい」
「うん」
父に促されて、シンは玄関に入る。その際に後ろに目を向けて、アイシスに向けて小さく頷く。ついてくるようにと。
家に入るとアイシスはシンと同じように真似て、その後ろをぴったりとついていく。
そのままリビングに入ると、父と母はソファーに腰掛ける。シンとアイシスもその向かいのソファーに腰を下ろす。
父はシンの目を見ると何かを言い掛けて、そこで言葉が出なかったのか視線を外す。
それもそうだろうな、とシンは思う。自分から帰ってきたシンと違い、両親にはなにがなんだかわからないはずだ。混乱の極みにあるのも当然のことと言える。
「父さん、母さん、聞いてほしいことがある。……信じられないかもしれないけど―――」
シンはこれまでのことを話し始める。
自分がどこでどうやって生きてきたのか。
もちろん、両親からすればとても信じられるような話ではないはずだ。そこまでお堅い人間だとは思っていないが、それでもここまでのファンタジーをすんなり受け入れられるほどではない。
だけど、そんなことを言い出すのであれば、今ここにシンがいるという事実が異常なのだ。それは喜ばしいことなのかもしれないが、それでも普通に生きてきた人間の理解の及ぶところではない。
それでも、両親は否定することなくシンの話を聞き続けた。長い長い話を、まるで一言一句聞き漏らすことのないように。
あちらの世界で目覚めたときのこと、さまよい歩いてアイシスに出会い、そして助けてもらったこと。それから二人、錬金術というもの扱い店を開いて暮らしていたこと。
話を聞き終えた父と母は、半信半疑ではあるものの、シンが語るそれを事実として受け止めた。ここにいるのは、紛れもなく自分たちの息子なのだと。
「―――って感じ、かな。……あと、実は、こっちで暮らしてたときの記憶が一部分なくなってるんだ」
「記憶喪失……? 一部分というのはどういうことだ?」
「ええっと、ここに帰って来る前に会った神様みたいな男が言うには、ものづくりに関係する部分が全部消えてるみたいなんだ」
「それは……どうしてそんなことに?」
そう問われてシンは苦笑を浮かべる。
プルートから聞いた話は理解している。その部分の記憶はなかったが、おそらくそれは事実なのだろうと納得している。
そして、それはシンしから知らないことなのだ。きっと、シンは両親にも相談をすることなどなかったはずだ。
記憶はなくとも自分のことだ。自分の性格くらいはなんとなくわかる。誰にも話すことなく自分の中で抱え込んでいたのだろう。
そんな話を両親は驚いたように聞いていた。シンがそんな悩みを抱えていたとは思ってもいなかったのだ。
両親の少し悲しそうな顔を見て、シンは聞こうと思っていた質問を口にするのをやめた。本当は、自分がどうやって死んだのか知りたいと思っていたのだが、それを今の両親に聞くことは憚られた。
そうして、しばらくの時間が経った。
「―――ご飯はどうするの?」
母がそう尋ねると、シンはそういえばと思い出したようにアイシスと顔を見合わせる。アイシスとしてはシンの好きなようにしてほしかったので、任せるというように小さく頷いた。
「なら、どこか食べに行くか?」
父に言われてシンは少し考え込む。
確かにそれも悪くはないと思った。幸いにもこの近所にも飲食店はあるし、車だってある。困ることはない。
でも、と思った。
「それでもいいんだけど……。せっかくだから何か母さんが作ったものが食べたい、かな」
そう言うと母は少し驚いた顔をすると、やがて困ったように眉を曲げる。
「……たいしたものはないわよ?」
「いいよ。そういう普通のものが食べたいんだ」
「そう……普通のもの……」
シンの言葉に、母は若干不服そうに台所へと向かう。そして、食材を確かめるとすぐに戻って来る。
「そうね、シンの好きそうなものだと……オムライス、とか親子丼、とかどうかしら? チャーハンなんかでもいいけど」
「だったら……親子丼、かな」
「わかったわ。それくらいならそんなにかからないから。……シンは牛や豚よりチキンの方が好きだったものね」
「まぁ……そうだったな」
「ふふっ。それで……そちらの、アイシスさんは?」
「え? ええっと、私は……」
話を振られたアイシスはシンの顔を窺う。どうしたらいいかと。
シンが何も気にすることはないと言うと、アイシスはお願いします、とだけ言って頭を下げた。
それからしばらく父の質問に答えていると、母が二人分の料理を運んできた。お盆に乗っていたのは親子丼と味噌汁だった。
テーブルに並べられたそれが二人分しかなかったことに僅かに戸惑いを見せたが、母に促されると、シンは手を合わせていただきますとそれを味わった。
「……どう?」
「うん。……美味しい」
そして、とても懐かしく思った。
そこでシンはアイシスのことに気付いた。
「ああ、ごめん。母さん、スプーンはある? アイシスはたぶん箸を使ったことないと思う」
シンの知る限り、あちらの世界には箸は存在しない。これまでの生活でそれを見たことも聞いたこともなかった。だからアイシスも箸を使えないはずだ。
確かに、アイシスは箸を見たことはないし、使ったこともない。だからこれで食べることは難しかった。だけど、聞いたことはあった。
「確か西の果て、セイギッタ辺りで食事にこういうものが使われていたと何かで読んだ記憶はある」
「……そうなのか?」
「うん、見たことはないけど」
アイシスはスプーンを使い、興味深そうに親子丼を口に運ぶ。不思議そうになんどか頷くと、美味しいと呟いた。
二人が食事を終えると、そこから四人は団らんをして様々な話をした。大事なことも、どうでもいいことも、思いつく限りのことを話した。
だけど、それはずっとは続かない。
「……そろそろ、か」
シンは胸元に手を当てて呟く。疼くような圧されるような不思議な感覚。
ちらりとアイシスの方に視線を向けると、アイシスも小さく頷く。
はっきりと感じる。この世界からの拒絶を。
「時間みたいだ」
シンがそう言うと、父と母の顔が歪む。
きっとわかっていたのだ。シンがずっとここにいられるわけではないことを。だけど、それを口に出すことはできなかった。
シンはそんな二人に向けて優しく微笑む。
「一旦帰るよ。……でも、またこっちに顔を出すから」
「……また、帰って来られるのか?」
「うん、すぐに、ってのは難しいけど、また。……一年に一回くらい、ってのは難しいかもしれないけど、できたらそのくらい帰ってきたいと思ってる」
シンが立ち上がると、それにつられるように両親も慌てて立ち上がる。
「そんなに深刻に捉えないでいいよ。……俺くらいの年齢だとひとり暮らしで年に一回しか帰らないなんて別に変な話でもないだろ? たいして変わらない。ひょっとすると海外よりも近いかもね」
安心させるようにシンは笑う。
もちろんわかっている。そんなことで安心できるわけがないことは。だってシンは死んでしまっているのだから。両親からすればもう二度と会えなかもしれないと考えるのはごく自然なことだ。
それでも、それを承知の上でシンは軽く言う。
「じゃあ、また帰って来るから」
不安そうに瞳を揺らす両親に見送られながら、シンは玄関へと向かう。
「……いつでも、帰って来なさい」
「うん、ありがとう」
シンだって寂しくは思う。申し訳ないとも思う。
だけど、帰る場所があるということの嬉しさを感じていた。
「シン」
「なに? アイシス」
「先に行ってて。私はもう少しだけ話していく」
「……そう? うん、わかった。ああ、そうだな。もうちょっと説明してもらえるとありがたい」
「うん、任せて」
アイシスの意外な言葉に少し驚いたものの、すぐに納得したようにシンは家を出る。
その間際、振り返るともう一度両親に顔を向ける。
「―――それじゃあ、また」
ここまで読んでいただいてありがとうございました。楽しかったと思ってもらえたなら幸いです。
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