66.再誕
それからシンは静かに暮らしていた。
これまでとは違う、のんびりとした暮らし。特に何かに迫られることもなく、気が向いたときに好きなように何かを創ったりの日々。仕事としては時折訪れる馴染みの客相手に依頼を受けるくらいだった。
ブライデと話をして、とりあえずむやみに焦るようなことはしないようにとだけ考えたのだ。
時間が解決することもある。あるいは、何かをやりたくなる、やらなければならなくなるかもしれない。それまではこのゆったりとした生活も悪くないのかもしれない。今は、それでいい。
そんな日々がしばらく続いた。
そして、訪れたのは少し疲れたようなアイシスだった。
「……どうしたんだ? 何か困りごとか?」
心配そうに尋ねるシンに対して、アイシスとしてはむしろ何のことかわからないというように首を傾げる。
「疲れてそうだけど、だいじょうぶか?」
「え? ああ、そういう……。一応休息は取ったつもりなんだけど、どうしても気が逸っちゃって」
「……何かあったのか?」
「あった、というか、できたというか。……いや、まだ完成ではないんだけど、でも……」
アイシスには珍しくはっきりしない態度に今度はシンが首を傾げる。
もちろん、アイシスはいつも自信たっぷりといった性格でもない。最近ではそんな様子を見せることも少なくなったが、シンの知るアイシスは自信なさげに振る舞うこともよくあった。これだけ優れたものを創っておきながら何が不安なのかわからないくらいに。
ただ、アイシスの家庭の事情を聞いてなんとなく理解はすることができた。
それでも、そういった場合にはあからさまに弱気を顔に出すことや、はっきりとそう言うことが多かった。今のように曖昧な態度を見せることはシンの記憶にもほとんどない。
アイシスは覚悟を決めたように大きく深呼吸する。
「じゃあ……行こう」
「どこへ?」
「もう一度、あの場所……あの世界へ」
想定外の言葉にシンは目を丸くする。
呆けたままのシンの手を引くように、アイシスは以前の場所まで来ると、再びシンに扉を開くように促す。言われるままにシンはアイシスに渡された錬金道具を使うと、前回と同じように空間に亀裂を入れ、そこから中へと進む。
その先にあったのは以前と同じ世界、正確なところはわからないが、シンは便宜上ここを冥界と称することにした。それが一番しっくりくると。
その冥界の中を二人は進む。そして、しばらく歩いたその先にあったのは空間の歪みだ。前回、シンが阻まれた見えない壁が目に入る。
だが、その前にはもう一つの壁がある。
その歪みを塞ぐように番をしていたのは三つ首の狼。前回はなんとか対処することができたものの、結局は倒し切ることはできなかった。
それに、今回も同じようにいくとは限らない。
眠るように伏せていた狼がシンたちに気付き、顔を上げる。そして、六つの眼がじろりと睨みつけるように輝く。
だけど、狼は意外なことに敵意を見せなかった。それどころか、伏せていた体をのっそりと起き上がらせると、少し横にずれて、そして再び何事もないように伏せる。
それから二人のことなどどうでもいいというように眠りにつく。
「……どういうことだ?」
戦いを覚悟していたシンは訝しげに声を漏らす。すでに戦闘準備に入っていたシンは肩透かしにあったように立ちすくむ。
「敵だとみなされていない、のかな? ……一度倒したから?」
「……かもしれないな。あるいは、あの男から何らかの指示があったか」
「それもあるかもしれないね」
どちらかというとシンはこちらだと思う。この狼はおそらく古竜に近しいほどの上位の存在だ。だけど、そこまで高度な知性は感じない。言われたことくらいはこなすだろうが、自発的に二人をどうすべきか考えて対処するとは思えない。
それに、おそらくこの世界を統べているのはプルートという男だ。あの神の如き男の下で、この飼い犬にそこまでの自由があるのかというのは疑問なところだ。
だから、これはプルートの意思だと考えるのが自然だろう。
つまりはシンたちが彼に客として認められたということだろうか。
「わからないけれど、戦う必要がないなら良かったね」
「まぁ、そうだな。……でも襲いかかってきたらどうするつもりだったんだ?」
「え? そりゃ戦うしかないんじゃない?」
「……」
当たり前といえば当たり前ではあるが、あっさりとそう言われたことにシンは思わず絶句する。ということはアイシスはそのつもりでここに来たということなのだ。つまり、そのための準備、道具や装備も用意してきたはずだ。
結局何も問題が起こらなかったことに呆れたような安心したような息をつく。ここに来るとわかった時点で戦うことも想定はしていたが、できる限り戦いたくなかったのも事実だからだ。
そのまま二人は横たわる狼の隣を素通りし、空間の歪みの前まで進む。
シンはそれに手を触れるが、やはりあのときと同じく壁にぶつかったかのように手はそれ以上進むことはなかった。
それで、どうするのかとアイシスに視線を向ける。
アイシスは一つ頷くと錬金道具を取り出す。それは手のひらに収まる程度の球だった。
「そ、れは……」
それを見たシンは思わず息を呑む。それが持つ異常とも思えるほどの凄まじい力に気圧されたのだ。
これまで見たどんな錬金道具とも比べ物にならないほどの圧倒的な力。
その力がどこから来たのか、考えられるものは一つしかない。
「賢者の石を使ったのか」
「うん。……苦労はしたけどね」
それはそうだろう。
そもそもシンの見立てでは今のアイシスでは賢者の石を扱うことはできないはずなのだ。
「そうだね。だからこれはまだ未完成品」
「だろうな」
「でもね。未完成品でもなんでも、使えるならそれでいい」
シンは目を細める。
言っていることはそうだ。完成品としての完全な力を発揮できなくとも、必要な効果が得られるのであればそれでいい。確かにそれはそうだ。
だけど、これにそこまでの力はない。正確に言うのであれば、力自体はあってもそれを万全に発揮する機能がない。
これの効果がなんなのか、なんのためのものなのか、シンの眼にはおおよそのことが理解できているが、それでもこれでは無理だろう。
「じゃあ―――始めるね」
そんなシンの懸念をよそに、アイシスは準備に取り掛かる。
その球をシンの胸元に当てると、それは吸い込まれるようにシンの体の中に消え去った。
不快な感触はないが、どこか不思議な感覚にシンの眉がぴくりと動く。
だが、シンの予想どおり、このままでは何も起こらないだろう。この錬金道具の力を限界まで発動させたとしても。
その疑念を受けて、アイシスはこくりと頷く。
「今度は私の番。私がシンを悲しみから救う」
そして、シンの胸元に手を当てて、力を注ぎ込む。
「―――システム『マグヌム・オプス』……リバレート」
「なっ!」
シンは驚愕に目を見開く。
その顔にアイシスは微笑むと、全力で力を込める。
「アクセス―――シン域開放!」
シンの体にどこからか凄まじい力が流れ出る。
それはシンだけが使える力のはずだった。
実際、これまで何度試してもアイシスにはできなかった。そして、その理由もわからなかった。これが錬金術に依る力であるのならばアイシスに使えないはずはないのに。
なのにどう教わってもアイシスにはそれがどういうものなのか理解することができなかった。
きっとそれは、この力の仕組みが原因だろう。
どこからか流れ出てくるその力、その源はおそらく別の世界ではないかとアイシスは当たりをつけた。
直接その言葉を聞いたわけではないが、これまでもなんとなくはわかっていた。シンは自分たちとは違う世界からの来訪者なのだと。それでも、アイシスにはその概念、別の世界というものが理解できていなかったのだ。だけど、この世界を訪れ、そして、さらにシンのいた世界を感じて、やっと、その概念に到達した。
異世界という答え。
それが必要だったのだ。
だから、今のアイシスにはその理を扱うことができる。
「謀り欺け、偽りの世界―――虚飾のテルス」
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次話『67.家路』11/06 21:00投稿となります




