61.世界
ある日、シンのもとに一つの連絡が届いた。
完成した、と。
指定された日時に、シンはとある場所を訪れた。誰の目にもつかない、街外れ。シンにとっては馴染の場所。
そこで待っていたのはアイシスだった。
「できたよ」
アイシスが持っていたのは一つの錬金道具。
それは、かつてアイシスと交わした約束の道具。
そして、シンが帰るための道具。
「ありがとう」
手渡されたその道具に、感慨深そうにシンは目を細める。
「私じゃ場所を特定できないから、シンじゃなきゃ使えないけど」
「なるほど、そうだろうな」
シンは受け取ったそれに力と、願いを込める。
糸束のようなそれは、ほどけるとふわりと宙に浮かび上がる。
「限界解放―――導き、結べ。アケルナルの界境」
それは空中に不思議な形を成すと、淡い光を発する。
そして、みしり、と軋むような音を立て、空間に亀裂を入れる。
それは人間が一人入れるほどの大きさだった。
「……え?」
思わず声を漏らしたのはアイシスだった。
想像と違う。この先はシンがもといた場所に繋がるはずだ。それが、その先がこんなにも得体の知れないものだとは思いもしなかった。
アイシスがちらりと横目でシンの様子を窺うと、シンもまた同じ感想だったのか、呆然と立ち尽くしているのが目に入る。
それはつまり、自分が何か失敗したことを意味する。
「ご、ごめん。わからないけど、何かが間違ってたみたい」
「……いや、そうじゃない、はずだ。だけど、これは……なんだ?」
直感的にシンにはわかっていた。
アイシスが失敗したわけじゃない。これは間違いなく成功しているのだ。
では、なぜこのようになっているのか。それがわからない。だけど、きっとこれは正しいのだ。
「……どうするつもりなの?」
動き出そうとしたシンに尋ねる。
「もちろん、入るさ」
「危ないよ。……わからないけど、これがなんなのか」
「そうかもしれない。だけど行かなきゃならないんだ。……もしかしたら、何も問題ないかもしれないし」
「それは……そう、かもしれないけど……」
その可能性もある。
なにしろわからないのだから。
そして、一歩踏み出したシンの背中に声を掛ける。
「私も入る」
「え? それは……何があるかわからないんだぞ」
「わからないのはシンだって同じでしょ?」
「それは、そうだけどさ。これは俺の問題であってアイシスが危険を冒す必要はないだろ?」
「そんなことない。これは私が創ったもの。私のせいかもしれない。だからその結果を私も見届ける必要がある」
アイシスのせいじゃない。シンとしてはそう思う。
だけど、断言できるほどにこれがなんなのかわかっているわけではない。
何かを言おうと口を開きかけるが、アイシスの顔を見てシンは諦めたようにため息をつく。
「……わかった。無茶はしないでくれよ」
「シンの方こそ」
そして二人はそれに足を踏み入れる。
中は不気味なほどに静かだった。
何もないただ広いだけの仄暗い空間。赤く、そして黒い。
だけど、何もないように見えるが、そこに見えない何かが存在するようにも見える。
悍ましさのようなものを感じると同時に、どこか神聖さのようなものすら感じられる。
「何か……懐かしいような気もするな」
「え? ……そう、かな?」
シンはぽつりとそう言ったが、アイシスにはそう感じられなかった。こんなものは初めてだとしか思えなかった。
あるいは、シンのもといた場所に関わっているのかもしれない。
「いや、それは関係ない……はず、だけど」
だけどシンの歯切れはあまりよくない。
そういう意味ではシンもこんな場所は間違いなく初めて見るものなのだから。
「こっち、かな」
「わかるの?」
「いや、わからない。そんな気がするだけ」
「もしかして繋がってるのかな。……ここは、通路のようなもの?」
「通路、か。違うとはいえないけど。どちらかというと広間、あるいは、玄関、のようなものの気がする」
「……なるほど」
正直アイシスにはわからない。シンがそう言うのであればそうも思えるが、なにしろアイシスにはここはただの何もない空間にしか見えないのだ。
シンは何かに惹かれるものがあるのか、不思議と行くべき場所がわかっているように見えるが、アイシスにはそのようなものは一切感じられなかった。もはや、自分たちがどこから来たのかすらわからなくなっていた。
やがて、空間の歪みのようなものが見えてくる。大きさは見上げるほどに桁外れだ。見た目も別物だ。だけど、その本質は変わらない。アイシスが創った錬金道具によってつくられた空間の裂け目と同じものだ。
つまり、これはどこかへと続いているのだ。おそらくは、シンがもといた場所に。
その大きさゆえに距離感すら狂うそれに一歩一歩近付いていく。
「―――グォオオオオオオオッッl!!」
突如、咆哮が響き渡る。
世界が揺らぐほどの振動。
背後を振り返るとそこには巨大な獣の姿。大きさで言えばあのときに見た古竜にすら引けを取らないほどだ。
黒い狼。
それは三つ首を持つ、異形の狼だった。
その六つの眼が放つ敵意、シンとアイシスは即座にそれに反応すると、小瓶を取り出しそれを飲み干す。
「……こんなこともあろうかと、改良を加えておいてよかったな」
それは以前に古竜と戦ったとき、ネリアが使っていたものにさらに改良を加えたものだ。残念ながら、さほど強力になったとは言えないが、それでも確実に効能は上昇している。
古竜との戦闘の経験から、いざというときのために戦力を高めておくことも必要だと感じたからだ。
「シン?」
アイシスは疑問の声を漏らす。
それを飲み干した瞬間、即座にシンが錬金道具を使い、巨大な水の壁を展開したからだ。
だけど、疑問は一瞬。それが何のためのものかを理解する。
シンの動きに遅れることわずか。異形の狼はこちらに向けて強烈な炎弾を吐き出していた。
おそらく、その威力は古竜には劣る。だけどそれが三発。
炎弾は壁にぶつかるとその壁を吹き飛ばすように爆発する。
そこから発する暴風に跳ね飛ばされるようにシンとアイシスは地を転がる。
同じように転がった二人ではあるが、戦い慣れているゆえか、アイシスはいち早く立ち上がり体勢を立て直すと、弓を取り出し矢をつがえる。
そして、力の限り引き絞るとそれを解き放つ。
その矢は正確に三つ首の狼の首の一つに命中する。
だけど、狼はその衝撃に首を少しだけのけぞらせはしたものの、その矢は強靭な皮膚に突き刺さることはなかった。
「硬い……」
アイシスは顔をしかめる。
その可能性は予期していた。仮に目の前の怪物が古竜に匹敵するほどの強さであるのならば、この程度の攻撃に大した効果は見込めないだろう。
そのアイシスの攻撃に合わせるように背後から魔力の球が同じところにぶつかる。シンが放ったものだ。だけど、それも同じように効いた様子は見られなかった。
シンもそれはわかっていたのか、たいした動揺を見せることもなく、ただ小さく息をつく。
アイシスは一歩前に出ると、錬金道具を取り出し、それを発動させる。
いくつかの氷の刃が生まれると、それが狼目掛けて一直線に襲いかかる。
もちろん、それでたいした傷にもならないことはわかっている。あくまでも時間稼ぎのためだ。
だけど、予想に反して意外に効果があったのか、狼は鬱陶しそうに顔を振り払う。
「限界解放―――蝕み染まれ、アルゴルの呪印」
その隙にシンが発動させた錬金道具は相手を呪うものだ。毒やしびれ、幻覚、様々な効果をもたらす強力な呪い。だけど、それもたいした効果はないだろうと予測していた。
それは狼の特性によるもの。シンの見る限り、おそらく狼は闇の属性を持つもの。ゆえに呪いに対してはそれなりの耐性を持っていると予想できる。
そもそも、これほどの上位の存在には呪いなど効きづらいのだから。
「……効いた?」
それはあくまで探る目的だった。効果がないことを前提とする牽制。そのはずだった。だけど、手応えがある。その呪いが効力を発揮しているのだ。
さすがに毒などの致命的なものは無効化されてしまったようだが、明らかに狼の動きが鈍っているのが見て取れた。
シンの感覚では、おそらくは古竜ほどの存在ではないと感じた。推測ではあるが、今の道具では古竜にはなんら影響は与えられないはずだ。つまり、この狼は古竜よりも下位の存在。
もちろん、古竜と比べれば、の話であって、それと比較になるほどの上位存在であることは間違いない。
勝ち目があるかと問われれば難しいところだ。たった二人で戦えるような相手ではないのだから。
「長期戦は無理だ。最大火力で一気にけりをつける」
「……使うの?」
「こういうときのために用意した切り札だからな」
「わかった」
アイシスはあからさまに顔をしかめる。それが危険なことをわかっているからだ。そして、そうせざるをえないこともわかっていた。
そのくらいしか勝機はないだろう。
その一瞬、気を緩めていたわけではない。だけど、気が逸れてしまっていた。
「下っ!」
シンの叫びに合わせてアイシスは咄嗟にその場から飛び退く。
次の瞬間には、アイシスのいた場所の足元から影のような漆黒の杭がいくつも飛び出していた。少しでも遅れていれば今頃は串刺しになっていただろう。
「グルルルル」
狼は苛立ったように唸り声を上げると、二人に向かって真っ直ぐに突進してきた。
「くっ」
アイシスは即座に槍を取り出し構えると、シンをかばうように前に出る。シンの戦闘技術ではこの狼の近接攻撃を捌ききれないと判断したからだ。
狼が振り上げた前足を振り下ろすと、アイシスは槍を使い器用に受け流す。その重さに顔をしかめるものの、シンの道具により多少はその速度が緩められているのか、どうにもならないほどの速さではなかった。
その重さゆえ、攻め続けられれば押し込まれてしまうのは目に見えていたが、それでも数度であればなんとしのげると感じていた。
「光!」
シンがアイシスに伝えるために叫びながら錬金道具を一つ放り投げる。
アイシスはそのシンの合図に合わせて目を瞑る。
周囲一帯が目が眩むほどの光に包まれる。
至近距離でそのすさまじい光を直撃された狼は視界を奪われ、苦しそうに唸り声を上げる。
よろめいている狼を見て、アイシスは巨大な槌を取り出すと飛び上がる。そして、狼の頭の一つに力の限りそれを叩きつける。
「かった、い……」
その手に伝わるしびれに顔をしかめる。全力での一撃だったのにもかかわらず、頭の一つすら潰すことがかなわなかった。
だけど、無傷ではすまなかったのか、痛みからか狼はふらふらと後退る。
「アイシス!」
「え? ―――っ!」
その様子を窺っていたアイシス。
だが、その死角から狼の巨大な尾が襲いかかる。
避けることはできず、咄嗟にアイシスは手にある槌で受け止めるが、その衝撃で粉々に砕け散ってしまう。
「アイシス、だいじょうぶか?」
「う、うん。なんとか」
弾き飛ばされたアイシスを受け止めたシンが尋ねると、アイシスは握りしめた手を開閉しながら頷く。
今の攻防により腕にしびれはあるものの、戦闘に支障をきたすほどでもない。幸いにも無傷といっていいだろう。
シンはアイシスを抱きとめながら小さな錬金道具を三つ取り出すとそれを狼に向かって投げつける。
シンが投げた小さな球は狼が放つ三つの炎弾とぶつかると凍結し砕け散り相殺する。
その隙に二人は狼から距離をとる。
体勢を整えようとした二人だが、狼はさらに攻撃を続けるべく姿を影に一体化させるように地面に潜る。
「シン! 後ろ!」
姿を消した狼はシンの背後の地面から飛び出すと爪を振りかぶる。
シンは即座に錬金道具を展開し、障壁を張るが、それは鋭い爪により簡単に引き裂かれてしまう。
「くっ……」
「シン!」
後退るシンと入れ替わるようにアイシスは前に出ると剣でその前足を斬りつける。
狼が軽く前足を振るうとアイシスはそれを受け止めながらその力を利用して後方へ大きく飛び退がる。
「攻撃する。アイシス、足止めを!」
「わかった」
このままでは埒が明かないと判断したシンは、勝負を決めるために攻撃に出ることに決めた。
ただ、そのためには多少の時間が必要になる。
「限界解放―――呑み込め! アルバリの影沼」
アイシスが使った錬金道具は影となり、闇が這いずり狼の足を縛り付ける。
一瞬、狼が戸惑ったように見えた。
すぐに狼は自らの体を影と化すと先程と同じように地面に潜ろうとする。
アイシスもそれはわかっていた。そうなることは予想どおりだ。
だからアイシスはすぐにもう一つの錬金道具を取り出すとそれを投げつける。シンが使ったものと同じそれは、強烈な閃光を放ち、すべての影を薙ぎ払う。
狼は少しだけ地に潜った不安定な体勢で身動きが取れなくなってしまう。
アイシスは銃を取り出しそれを構える。それは誰も知ることのない兵器、この世界に一丁しかない狙撃銃だ。
銃身の長いそれで狙いを定める。
「限界解放―――喰いちぎれ、餓狼のアクベンス」
放たれた銃弾は半分地に埋まった狼の前足を貫通する。
想定していなかったのか、狼は何が起こったのかわからないようにうろたえると、体勢を崩してつんのめる。
「今! シン」
「ああ。……システム『マグヌム・オプス』……リバレート。アクセス―――シン域開放」
ここで使うのは最大威力の攻撃。後先考えない全てを込めた一撃。
古竜のような怪物をなんとかするために用意した、必殺の錬金道具だ。
「万象燃やし尽くせ! ―――落暉のセイリオス」
狼の頭上から巨大な球が落ちてくる。灼熱の輝きを放つそれは、落ちてきた太陽だった。
その光は狼を呑み込むと爆発を起こしすべてを焼き尽くす。
「あ、ぐっ……」
アイシスはシンの前に立つと障壁を展開する。
離れたその位置にあってもその星が放つ熱波は障壁越しに二人の肌を切り裂くほどだった。
眩い輝きの中、二人は身を寄せ合い夜の訪れまで待ち続けた。
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次話『62.冥界』11/01 21:00投稿となります




