59.婚約
帝国との話し合いを終え、ミネヴァは帰途についていた。
その馬車の中、向かいに座るティールの様子をちらりと窺う。
話し合いこそつつがなく終えることができたものの、それで全てが終わったわけではない。無事に城に帰るまで完全に気を抜くことはできない。
皇帝が直接動かなかったとしても、勝手に何かをしでかす者がいないとも限らないのだから。
そこで、この場にいないネリアの代わりにと、ティールがついでにそこまでの護衛を申し出てくれたのだ。
「あのお嬢さんが気になるのか?」
「それは……もちろん、それもありますけど」
ネリアがいない理由、それは別の重要な仕事を任せているからだ。それは、シンたちを襲った暗殺者の身を守ることだ。仮に彼らが襲われて殺されてしまえば証拠が全て消えてしまうことになる。
すでに賠償金は受け取ってはいるものの、帝国には国の上層部にいる真犯人を追求してもらわなければならない。そのためにはそれまでは彼らの安全を保障する必要があるのだ。
そして、それができるのは、それを任せられるのはミネヴァの半身であるネリアだけだ。
ミネヴァとしては可能性は低いと思っている。だけど、仮にその襲撃があるとすればそれなりの規模での戦いになるだろう。もちろん、ネリアの力は信じているが、それでもやはり心配ではある。
「心配することはない。今の彼女を倒すのは至難の業だ。……たとえ俺であっても一筋縄ではいかないだろうな」
「……それほどですか?」
ミネヴァは驚きに目を見開く。
ネリアが強いのはわかっている。あの戦いを経て、自国においても最強の聖騎士だと多くの者から認められるに至っているのだから。
ただ、眼前の彼がそこまで評するほどだとは思っていなかった。現状でこの世界における最強の戦士である彼ですら苦戦を強いられるほどの腕前を誇っているとまでは思えないのだ。
彼が言うのであれば正しいのだろうが。
「俺から見て剣の腕はまだ未熟だな。だけど、おそらく彼女はそれなりの道具を持っているだろう。アイシスの錬金道具を」
「それは……はい。そうですね」
竜との戦い以前にあったときに、その戦いのための道具をアイシスから受け取っている。そして、それとは別に個人的に使うための道具もアイシスは渡してくれたのだ。ネリアだけでなく、ミネヴァにも。それを使えば自分の身を守れるようにと。
「彼女はそういった道具を使う才に恵まれているみたいだ。あるいは、勘がいいとでも言うべきか」
ミネヴァは再び驚く。
ティールには特殊な眼はないはずだ。シンやアイシス、そしてネリアのように直接何かの本質を見抜くことはできない。
にもかかわらず、ティールはネリアが錬金術の才能を持っていることを見抜いたのだ。おそらくは彼の勘のようなもので。
なるほど、それもまた彼の才覚の一つなのだろう。
「……それで、本当によろしかったのですか?」
「ん? 別に護衛なんかたいした負担じゃない。どうせ行く方向は同じだし」
「いえ、その話ではなく……婚約、の話です」
おそるおそるというようにミネヴァは尋ねる。
婚約の話は実はそれなりに前から進んでいた。なのにそれが成立しなかったのはひとえに彼の了承が得られなかったからだ。
だから、ティールはこの婚約に否定的なのだと思っていた。それをあの場であっさりと認めさせてしまったことにミネヴァは多少の負い目を感じていた。
「ああ、それか。別にいいさ。……と、あまり軽く言うのも失礼かな」
だけどティールはあっさりと肯定する。それでいいと。
「両親からもせっつかれていたからな。早く決めろと。俺としても特に不満があったわけでもないし」
「そう、なのですか? それではなぜ今までは?」
「不満というわけでないが、よく知らない相手と婚約する気はなかったからな。実際に見定める時間をくれと先延ばしにしていた」
だとすればさらに疑問が生じる。
「……その見定めができるほど私と関わりがあったとは思えませんが?」
「わかるさ、同じ戦場に立ったのだから。……二度も」
「二度?」
戦場に立った。それが先の竜との戦いであることはわかる。隣で肩を並べて戦ったというわけではない。ティールは前方、ミネヴァは後方。それでも同じ戦場だというのは間違っていない。
だけど、ミネヴァの知る限り、彼と共に戦ったのはその一度だけだ。
「皇帝の前に立っただろう? 君にとってはあれも戦場のはずだ」
「……なるほど。そう、ですね」
それには納得できる。
王族である自分にとっての戦場とはむしろそっちなのだから。これは自分から申し出たまさしく戦いだ。
だけど、本当にそれでいいのか。
「本当に、結婚してもよろしいのですか?」
「……やけに食い下がるな。嫌なのか? であればもう少し検討するが?」
「いえ、とんでもない! 私としてはありがたい限りです」
ミネヴァの言葉にティールは首をひねる。
もちろん権利はティールにある状況だ。ティールが認めれば婚約は成立する。そこはもはやミネヴァの心情が考慮される段階はとうにすぎている。
だとしてもティールとしてはミネヴァが納得していないのであれば無理にと言うつもりはない。そんな婚姻はティールにとっても望ましいものではないからだ。
だけどそんな雰囲気でもない。
「あなたは自由騎士でしょう? ……よろしいのですか? 結婚など」
そういうことかとティールは頷く。そして同時に嘆息する。
「自由騎士、か。……それは他人が言っているだけだ。俺は自由を標榜したことなど一度もない」
「……そうなのですか?」
ミネヴァは意外そうな目で見る。
自分の知る限り、眼前の彼はまさに自由を体現したような男なのだから。
「俺は自由なんてものに縛られる気はない」
「自由に、縛られる、ですか?」
聞き慣れない言葉にミネヴァは怪訝そうな表情を浮かべる。
「現に君は思ったんだろう? 自由を望むのであれば結婚などに縛られたくないはずだ、と」
「あっ……」
言われてみればそのとおりだ。
自由という言葉に縛られて、彼は結婚などしたくないはずだと思い込んでいた。
「俺にだって結婚する自由くらいはあるさ」
「おっしゃるとおりです。……申し訳ありませんでした」
「別に謝るようなことじゃない。実際、そう思われても仕方ないくらいには好き放題やっているからな」
ティールは軽く笑い飛ばす。
そうして好き放題をした結果、母にもそれなりに苦言を呈されてしまっているのだ。ティールとしては他の家族だって同じようなものだろうと言いたいところではあるが、ティールの動向というのはとかく目立っているため、どうしても家族の中でも矢面に立ってしまう。
それが自分を心配しているというのももちろん理解している。
「ありがとうございます。あなたに感謝を」
「気にしなくていい。俺としても望んだ結果だ」
ミネヴァにとって、トーラスにとってこの婚約は望ましいことだ。
芸術の国としての評判は優れているものの、それ以外はやはり他の国に劣ってしまう。良いところはせいぜい様々な目新しいものが入ってくることくらいだ。
そこにティールを迎え入れることで国の軍事力の底上げを図るという目論見があるのだ。
ティールは個人としての戦力もさることながら、戦いというものをよくわかっている。あまり知られてはいないが他人に指導する能力も優れているのだ。
そして、その意味でティールを得ることによってガエメニとの繋がりを得ることもでき、さらには他国への牽制にもなる。
そういった理由で成り立った婚約だ。
だけどそれはこちらの都合だ。
「……あなたにも得があるのですか?」
「得ってほどじゃないがな。……メルクーアの人間っていうのは基本的には特化した人間だ。それしかできない。だから伴侶にはなんでもできる人間ってのが望まれやすい」
「ふふ、そういうことであれば私でもお役に立そうですね」
その答えはミネヴァにとっても喜ばしいものだった。
お互いが役に立てる関係であればきっとうまくやれるだろう。
「なんにせよ、あなたが来てくれたことに感謝します。……来てくれたのがあなたで良かったです」
「……まぁ、そうだろうな。俺で良かったと思うよ」
そのしみじみとした呟きにミネヴァは小さく首を傾げる。
ティールは呆れたような小さな笑みを浮かべる。
「自分で言うのもなんだが、俺はメルクーアで一番理知的な人間だからな。なにせメルクーアというのは……兄姉は常識のないやつらばかりだ」
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次話『60.傑出』10/30 21:00投稿となります




