39.城
「―――それで、あなたはまだ家を出るの?」
「え? それは……」
アイシスは言葉に詰まる。母のその問いの意味がわからなかったからだ。
自分はこれからも錬金術士として生きていく。そのつもりだ。だからあの街でまた店をやることを当然のことだと思っていた。
「ここでやればいいのでは?」
「あ……」
そう言われて納得する。
確かに母の言いたいことはわかる。錬金術をやりたいのならばやればいい。だけど家を出なければならないわけではないはずだ。
むしろ、この家にいればメルクーアの潤沢な資金を使うことだってできる。より多くのより優れた素材を集めることができ、より高度な錬金術を使うことができるはずだ。
そして、それは自身の成長を促すことにも繋がる。
だから、このメルクーアの屋敷で錬金術士として工房を作ればいいとハーラは提案しているのだ。
「それは……」
納得はできる。
それは正しいのかもしれない。
あの街で店を開くのであれば自分たちでやらなければならないことも多い。素材の収集も、買付も。他にもいろいろな人間と関わることを避けられない。
実際、姉のジルフィはそういったことを煩わしいと考え、誰かと関わることを最小限に抑えてこの家で研究に明け暮れている。
その生き方を間違っているというつもりもない。そもそもメルクーアなどそんなものだ。
だけど、今のアイシスには喜べなかった。
思い返してみればきっと姉の暮らしと大差ない。
結局アイシスはあの自分の工房に引きこもり研究に明け暮れている。店は開いているものの、大勢の客が押し寄せるような評判の店ではない。役に立っていないとは思わないが、どうしても必要な店というわけでもないはずだ。
それでも。
「―――あの街が好きになったから」
少ないなりにそれなりの人間と関わってきた。
修道女のブライデに日々の暮らし方について世話になった。冒険者のサナノスには生きていくということを教わった。
友達もできた。サナノスの弟子のミリカや、王女のミネヴァ、そして彼女の騎士であるネリア。
他にも些細な関係にすぎないが、街の人間は自分によくしてくれた。
そして、シンと一緒に試行錯誤してできた店。
そんな生活が好きになった。
「だから、私はあの街に戻ります」
「……そう」
アイシスがはっきりと告げる。
ハーラがそれに静かに頷くと、同じように隣のマウディも頷く。
言っていることはわかるが、それでも少し思うところはあるようだった。
娘を愛する両親としては目の届くところにいてほしいと願うのはごく自然なことなのだから。
「ああ、それから―――」
そんな様子を見て、シンは横から口を挟む。
「錬金術士の工房ってのはただのお店ではないんですよ」
「それは、どういう意味で?」
そのシンの言葉が何を指すのかわからず、不思議そうにハーラは聞き返す。
咄嗟に言ってしまったため、シンは次の言葉の準備ができておらず、少しだけ考え込む。
「えーっと、工房っていうのは錬金術士にとって一つの城、みたいなもので、地理的なものだけじゃなくて、その土地と一体になっているんです。……そういう意味ではここも似たようなもの、じゃないですか?」
「似ている、とは?」
「ここも同じなんですよ。ええっと、この屋敷自体がおねえさん……ジルフィさんの支配する領域になっていますよね?」
思い当たるところがなかったのか、ハーラは小さく首を傾げる。
一方、突然話を振られたジルフィはぎょっとしたように目を見開く。自分にはあまり関係ない話をしていると考えていたということもあるが、それを見抜かれたということにも驚愕していた。
それほど大げさな仕掛けをしていたわけではないが、それでも誰かに影響が出たりすることのないように一応の気は遣っていた。
その顔色を見咎められたのか、ハーラに問い詰められる。
「どういうこと?」
「……別に悪いことはしていないわ。この地から魔力を吸い上げてこの家に結界を張って、それで私のやりやすいように調整してるだけ」
ハーラは目を細める。
嘘をついていないか、まるで睨みつけるようにじっとジルフィの顔を見つめる。
やがて、ジルフィが目を逸らすのを見て、ハーラはため息をつく。
「……嘘ではないけど全てではない、といったところね」
「……」
「まぁいいでしょう」
沈黙で返すジルフィに呆れたように告げる。
そして、それがどういうことなのかとシンに視線で促す。
シンは一つ頷くと話を続ける。
「簡単に言うと、ここはおねえさんのための場所になっているため、別の施設を入れると魔力をうまく扱えないというわけです」
「魔法が使えない?」
そんなことはないだろうとハーラは疑問を挟む。
記憶にある限り、この家の中でも普通に魔法を行使できていたはずだ。ハーラが優秀だというのもあるかもしれないが、それでも違和感を覚えたことはない。
「そう、ですね。普通に過ごす分には問題はないかと。ですが、たとえば触媒や道具が必要な大魔法を行使するとなるとそうもいかないかと。……ですよね?」
「……ええ、それで合ってるわ」
シンが話を振ると、ジルフィは肯定するように小さく頷く。
少しだけ不満そうに。
「だからここで錬金術は使えないとおっしゃるのですね?」
「はい。……錬金術自体が使えないとまでは言いませんが、工房として本格的に錬金道具を創ったりとなると……やはり難しいですね」
「なるほど。……あなたの言いたいことは理解しました」
ハーラが納得したように頷くのを見て、シンも安堵の息をつく。
「……難しい?」
だが、ジルフィは眉を顰める。
そして、しばらく考え込んだと思うと、シンをじろりと睨めつける。
「不可能、ではなくて、難しい?」
「え、ええ。そうですね。……難しいですが、不可能、ということはないと思います」
「どうやって?」
「え? ええっと……」
前のめりになって問い詰めるジルフィに気圧されながらも、どう説明すべきか考える。
一瞬、助けを求めるように視線を動かすも、他の者たちからはなんの反応もなかった。
「……地脈から魔力を汲み上げてますよね?」
「ええ。それが?」
「ただその魔力の全てを最高効率で使っているというわけではないはずです。その余剰部分を拝借します」
「それじゃ足りないでしょう!?」
「は、はい」
さらに問い詰めるようにジルフィは声を大きくする。
別に責められているわけではないが、咄嗟にシンは頭を下げてしまう。
その様子がおかしかったのか、隣からくすりと笑う声が聞こえる。
アイシスのそんな様子にシンは少しだけ冷静さを取り戻す。
「足りない部分は外から引っ張ります。それも一箇所では足りないでしょうから少しずつ色々なところから。最高効率で使っていない分、ところどころに隙間がありますので、そこから引き込むことは可能かと。……まぁ簡単ではないのでどちらにせよすぐに、となるとそういう意味では不可能でしょうけどね」
「……」
ジルフィは黙り込むと目を瞑る。
そんな様子に家族はうんざりしたようにため息をつく。
おそらくこの家ではよくあることなのだろう。自分の興味のあることにのめり込むと他に目がいかないくなるのだ。そういえばアイシスも集中するとこんな風になっていたような気がする。
ちらりと視線を向けると、自覚があったのか恥ずかしそうに目を背ける。
「できる、わね……。ええ、できるわ」
しばらく経った後、ぽつりとジルフィは言葉を漏らす。
それで終わりだった。
シンはその後に何を言われるのかと身構えていたが、ジルフィはそれで満足したようで他に何を聞くつもりもないようだった。
ジルフィは何度か小さく頷くと、ただ、一言だけ母に告げる。
「私は認めるわ」
「そう」
短いやり取り。
その唐突な言葉が何を示すのかシンにはわからなかったが、それで伝わったのかハーラは頷く。
「俺もだ。……以前にも言ったが」
そして、その話にティールも同意する。軽く笑みを浮かべながら。
だが、意外にも、というべきか、そんな二人の言葉に不快そうに父のマウディは顔をしかめる。
それを見てくすりと笑うハーラの仕草がアイシスに似ていて、シンはやはり親子なのだなと感慨にふけっていた。
「アイシス」
「はい」
ハーラが真剣な目を向けると、アイシスもそれを受けて緊張したように姿勢を正す。
「わざわざ言うことではないけれど、敢えて言うわ。メルクーアが侯爵家だということは理解しているでしょう?」
「はい、わかっています」
「では、何か考えがあると思っていいのね?」
「はい。もう準備は進めています」
そう答えられるとは思っていなかったのか、ハーラは驚いたように少し目を見開く。
そして、安心したように優しい笑みを浮かべる。
「―――なら、好きにしなさい」
少しだけ寂しさを滲ませながら微笑みを浮かべて、ハーラは突き放すように優しく告げる。
「はい。……ありがとう、ございます」
アイシスも嬉しそうに、そして、少しだけ寂しそうに笑みを浮かべた。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。楽しかったと思ってもらえたなら幸いです。
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次話『40.出会い』10/10 21:00投稿となります




