31.試験
「私の婚約、ですか……」
アイシスは無感情に呟く。
そういった話が出ることを全く予期していなかったわけではない。それでも実感があるかと言われればそれもない。
なんとも言えない不思議な感情を抱いていた。
だからそれをすぐに飲み込むことはできなかった。
横目に何かを言い掛けるシンの姿が目に入り、すぐさまそれを制止する。
「……アイシス?」
「だいじょうぶだから」
「でも、家の都合で……」
アイシスは笑みを浮かべる。
シンの懸念はわかる。出会ったときにアイシスの身の上を話していたからだろう。そういったことを家に命じられるアイシスに思うところがあるのだ。なんとかしたいと。
間違ってはいないのだろう。だけど正しくもない。
深刻そうに険しい表情を浮かべるシンに対してティールは軽く息をつく。
「勘違いしているみたいだが、これは普通のことだからな」
「……普通って?」
「当たり前の話だが、アイシスは貴族で侯爵家の娘なんだよ。その常識から考えればまだ婚約者が決まっていないのはむしろ遅いくらいだ」
それは家の中でのアイシスの立ち位置がどうのという話ではない。
ただ貴族の娘として、婚約者がいるというのは何もおかしな話ではない。そして、それが親によって決められたとしても、それは特段アイシスが蔑ろにされていることでもないのだ。
ましてや、勝手に家を出ているアイシスがどうこう言えることでもない。
「一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「お兄様はもう婚約なされているのですか?」
その問いにティールは露骨に顔をしかめる。
それは特に何か深い意図があったわけではない。話の流れでただ気になったから聞いてみたというだけのものだ。自分の婚約の話が出たというところで他の兄姉はどうなのだろうかと。
ティールは一つ大きく息をつく。
「……一応は決まっている。婚約者候補、ではあるがな」
「え……?」
アイシスは目を見開き絶句する。
聞いておきながらそれはないだろうと思っていたのだ。
兄姉の中でもティールは特にこういったことに興味が薄かったはずだ。たとえ親に命じられたとしてもすんなりと受け入れるとは思えなかった。
それも、明確な拒絶理由があるわけでもなく、ただ面倒だと断りそうだと。
だが、それは逆に言うならそこまでの忌避理由もないということだろうか。
「候補、というのは?」
「そのままの意味だ。何も決まっていないというのはそれはそれで面倒もあってな。そういった煩わしいものを避けるためにそうなった」
「婚約ではないのですか?」
「俺がまだ了承していないからな」
そう言い切るティールにシンは訝しげな視線を向ける。
先程の話であれば婚約というのは貴族として当然のことのように言っていた。シンはそういった文化についての知識はほとんどないが、男だから婚約しなくていいというものではないだろう。
にも関わらずティールは自由意思でどうとでもできるというような言い方だった。
「不思議に思うか? それも簡単な話だ。俺が強いからだ。強ければ我儘も通る。それがメルクーアのあり方だ」
その力ゆえに誰からの束縛も受けない。ただ自分の意志で国を守る、それがメルクーア侯爵家なのだから。
それは当然に家の中にも適応される。自らの望むままに生きることができる。
とはいえ、本当の意味で何にも縛られないというわけでもない。
たとえば愛情。
こんな風に生きているティールではあるがそういった情がないわけではない。共に暮らしてきた家族に対する愛情は当然にあるし、家に対する愛着もある。わざわざメルクーアの不利になるようなことをしたいとも思わないし、家のために何かをしたいという思いもある。
そして、かわいい妹への愛も。
「そう……そういうことですか。だからお兄様がわざわざここまでいらしたということなのですね」
そもそもの話として、ティールがここに来る必要がないのだ。
婚約の話があるとして、アイシスがここにいることがわかっているのならば使いのものをよこせばいい。いや、その必要すらない。手紙をアイシスのもとに送り、帰って来いと命じるだけでいいのだ。
アイシスはそれを拒否しない。それはアイシスの家族であればわかっている。
だがティールはここに来た。その理由は一つ。
「私を、試してくださるということですね?」
「ああ、そうだ。お前の力を確かめに来た。……まぁそれだけというわけでもないのだがな」
「え? なにか?」
「いや、なんでもない。こっちの話だ」
ティールは首を横に振る。
アイシスに直接関係のあることでもないし、今話すことでもない。
「さて、見せられるなら見せてみろ。お前がここで何を得たのか」
アイシスはしばし考え込むと、シンに尋ねる。
「……使っていい?」
「ああ、好きにすればいい」
ここが分水嶺。いつかこのときが来るのはわかっていた。であるならばここで全てを使う必要がある。今できることの全てを。
アイシスは立ち上がると、部屋の隅まで歩いていき、そこに立てかけてあった剣を二本手に取る。
それは普段使っている、刃のついていない訓練用の剣だ。
アイシスはそのうちの一本をティールに差し出す。
それが何を示しているのかを理解して、ティールは怪訝そうに眉を顰める。
「……剣でいいのか?」
「お兄様にとってはそれが一番わかりやすいと思いますから」
剣を受け取るとティールは立ち上がる。
「うちの店の裏にはそれなりの広さがある。……普段はそこで剣の鍛錬なんかをしているんだが」
ティールがどうしたものかと視線を彷徨わせているのを見て、シンが口を挟む。
「そこで手合わせをすればいいのか?」
「……それなりの広さはあるんだが、さすがにあんたに全力で暴れられるとなると狭すぎる」
「ではどうすれば?」
「幸い、ここは街のかなり端にある。少し歩けば街から出られるから街の外に行こう」
その提案に了承すると、三人は店を出て街の外へと向かう。
シンの言ったように、それほどの時間が経たないうちに街を出て、見晴らしのいい場所へたどり着く。
この辺りはシンたちもよく使う場所で、街中では使うことのできない強力な錬金道具や、あまり他人の目に触れたくない錬金道具などを使うときに利用することが多い。
以前に、王都へ移動するための道具、アケルナルの門を使ったのもこの辺りになる。
シンの知る限り、ここを誰かが通りかかったところを見たことはない。
ここでなら多少派手に暴れたとしても問題ないはずだ。
「ここでいいのか?」
「はい」
そう簡単に言葉を交わすと、アイシスとティールは距離をとって向かい合う。
アイシスが緊張をほぐすように大きく深呼吸して剣を構えると、それを見たティールは確認するように小さく頷く。
しかし、それだけだった。だらりと脱力したままで剣を構えることもなく、そのまま自然体を保っていた。
戦う準備ができたという意味ではない。そもそも準備などする気もないのだ。
舐めているとも思われる態度。だけど、アイシスとティールにはそれだけの実力差があるのだ。何が起ころうとも剣でアイシスが勝つことはできない。
ティールだけでなく、アイシスもそれは理解している。そして、遠目に見ているシンも。
だからそんなティールの態度にアイシスが言うことはなにもない。いまだ兄の興味が引けるようなものを何一つ見せていないのだから。
「―――行きます」
剣を握る手に力を込め、アイシスは突進する。
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次話『32.全力』10/02 21:00投稿となります




