13.メルクーア
「……ん?」
ふと来客に気が付いたアイシスは作業の手を止め顔を上げる。
そして大きく息をつく。
一瞬それを無視しようとも思ったが、ちょうど先程切りの良いところまで終わったことを思い出して休憩をするには良い頃合いだと考え直した。
そして、入ってきた客はアイシスの思いもよらない相手だった。
「ネリアさん? どうかなさいましたか?」
アイシスの知る限り、ネリアはずっとミネヴァの傍にいた。ミネヴァの立場、そして二人の関係を考えればそれが自然であり、ネリアが一人で動いているのを見るのはこれが初めてだった。
だからなぜ彼女がここにいるのかわからなかった。
「謝罪に来ました。昨日のことについて」
「……謝罪」
頭を下げるネリアに何について、とは聞かなかった。それはわかっている。
だけど、なぜ彼女がわざわざそこまでするのか。
ふと、先程まで作業していたところに目を落とす。
「……なるほど。ご心配なさらずとも仕事はきちんとこなしますよ」
昨日、アイシスの機嫌を損ねてしまったことで道具の出来が悪くなってしまうことを恐れてここに来たのだと考えた。そうであればわざわざ謝罪に来るというのも理解ができる。
だが、ネリアは首を横に振る。
「違う。わたしが来たのはただあなたに謝りたかった。それだけ」
「謝るためだけに?」
「……大切なものを悪く言われる気持ちは、わかるつもりだから」
ああ、と腑に落ちる。
ミネヴァという王女は有名だ。その名前は他国にいたアイシスのもとにまで届くほどに。
だけどそれは良い話だけではない。
なんでもできる多才な姫。それゆえに多くの者たちから万能姫と讃えられてはいるものの、それを面白く思わない者も少なくはなかった。
なんでもはできるが、それでも一流の才を持つものには及ばない。その器用貧乏さゆえに貧乏姫と口さがない者たちに蔑まれることもあった。
ネリアはそんなミネヴァをずっと見ていた。それでも国のため、民のためにと生きるミネヴァを誇りに思っていた。
はずなのに、彼女の大切なものを貶めるようなことを言ってしまった。
「わかりました。その謝罪は受け入れます」
「……ありがとう」
アイシスの優しい声音を聞いてネリアはやっと顔を上げる。
そして、アイシスの微笑みを見てやっと安堵の息を漏らす。
「教えてほしい。あなたのこと、そして彼のことを」
「私のことも、ですか?」
「うん。二人のことが知りたい」
そう言われてなぜ話そうという気になったのかはアイシスにも本当のところはわからなかった。
別に隠してきたわけではない。それでもあえて語ることはなかった。世話になったブライデに対しても出自については簡単な説明をしただけだ。深くを語ることはなかった。
ただ、なんとなく彼女に親近感のようなものを覚えていたのかもしれない。そういえば、と自分には年の近い友人のような存在がいなかったことを思い出す。
少し長い話になるから、と二人分のお茶を用意して席につく。
「気付いているかもしれないですが、私はこの国の人間ではありません。隣の……ガエメニ国から来ました」
「ガエメニ……」
それは予想外だった。
他国の人間、そして貴族の令嬢だろうというのはネリアも薄々はわかっていた。だけど、二人の様子から軍事国家のガエメニというのが結びつかなかったのだ。
なんとなく、二人の雰囲気は戦いというものからかけ離れている。
「実は私は侯爵家の娘なんです。名前は―――アイシス・フォン・メルクーアと申します」
「……あのメルクーア侯爵家?」
「やはりご存知でしたか……」
アイシスは少し気恥ずかしそうに苦笑する。
対してネリアは驚きに目を見開く。メルクーアは他国にその名が轟くほどの有名な貴族だ。
アイシスはそのメルクーア侯爵家の末の娘として生まれた。
軍事国家ガエメニにおいて一際異彩を放つメルクーア侯爵家は自らを『商人』と名乗った。
彼らの売り物は人間。つまり自分たちだ。
一族の才能を育ててそれに高い値をつけて売り込む。その商売をこそ自分たちの生き方としていた。
たとえばアイシスの上の兄は近衛隊長として王の守護に就き、上の姉は宮廷医師として王宮に勤めている。そして、父である現メルクーア侯爵は農業を発展させ、国に多大な利益をもたらした。
その一芸に優れるメルクーアの一族において、唯一アイシスは何の才も発現させることはできなかった。
一人落ちこぼれとみなされる中で、アイシスはずっと家族の愛を求めていた。
別に愛されていなかったわけではない。兄姉と同じように自分の住む部屋は用意されていたし、家族と同じものを食べて過ごした。物に不自由するようなこともなかった。むしろ、兄姉と比べても愛情は注がれていた方だろう。
だけど、特別な何かを与えられることはなかった。
兄のように強力な武具を持たされることもなく、姉のように希少な医療道具を送られることもなかった。
いくらでも用意できるものであるならばともかく、数の限られるものがアイシスの手に渡ることはなかった。それは、才あるものにのみ許されるからだ。
だからアイシスは悲嘆に暮れながらも努力を怠らなかった。家族の一員だと認められるために様々な分野に手を伸ばし、学んでいった。
その結果は平々凡々たるものだった。無能というほどではなかったが、何も優れたものは見出されることはなかった。
いつからか、アイシスは周りの人間に不名誉なあだ名でささやかれることになった。
隣国にある王女がいる。彼女はあらゆることに優れ、様々な才を持つことから万能姫と呼ばれていた。だけど、誰もが彼女を褒め称えたわけではない。そんな者たちは、なんでもできるが決して一流には敵わない器用貧乏な彼女のことを貧乏姫と呼んだのだ。
アイシスはその姫になぞらえて『本物の貧乏姫』と影で蔑まれることとなった。
「……貧乏姫」
ネリアの呟くような声にアイシスは苦笑を返す。
「幸いにも、というべきか家族は一応は私のことを愛してくれていましたし、邪険にされるようなことは一切ありませんでしたけど」
それでも、アイシスはどこか距離を感じていた。自分だけが家族の一員になれていないと思っていた。
そして、その日が訪れた。
その憂鬱な日々に終わりを告げる十四歳の誕生日に彼女は両親から贈り物をもらうことになった。
それは綺麗な衣装だった。美しすぎることもなく、派手すぎることもない。まさにアイシスを彩るために、アイシスを引き立たせるために作られたもの。素晴らしいものだとアイシスも思った。
アイシスはそれが何のために作られたものかを理解した。着飾って社交界に出るための、そこで戦うための装備なのだと。
つまり、結婚だ。
もはやアイシスにはそれだけしか求められていないのだと理解した。
その日の夜、彼女は家を飛び出した。そこに理由はない。ただ、独り家には居たくなかったのだ。
向かう先は屋敷の側にある森の中。その中にある開けた空間。アイシスは時間を見つけては日々ここで鍛錬に励んでいた。上達しない剣や、使うことのできない魔法。いつもそこで無駄な努力をすることで自分を慰めていた。
「―――そこで、泣いていたんです」
「……あなたが?」
アイシスは首を横に振る。
彼女がその場を訪れたとき、そこにはすでに先客がいた。
それが、シンだった。
「シンは、お腹を空かせて泣いていました」
最初は驚いたアイシスだったが、こっそりと家に戻り食料を調達してくると、シンに渡し、そこで話を聞くことにした。
その話は支離滅裂だった。箱入り娘ではあったアイシスだが、知識として何も知らないわけではない。それでもシンが語る話はアイシスには理解不能だった。
確かに、錯乱気味であったシンの言うことは理路整然としていたわけではない。だけど、その話しようから、シンが何もわからない愚者でないことは察することができた。少なくともそれなりの教育を受けたものだと。
だからこそより理解できなかった。シンという人間が。
それはシンの記憶がところどころ欠けていることも理由の一つだったのだろう。
シンは自分の生まれも名前も、育ってきた環境も覚えていた。もちろん、自分の両親など家族のこともはっきりと覚えていた。ほとんどのことはわかっていたが、自分を構成する肝心な部分がごっそりと削り取られているような感覚があった。大事な何かが抜け落ちていた。
その事実がいっそうシンを混乱させていた。
今の自分の境遇もあってだろうか、そのときのアイシスはなんとかして悲嘆に暮れるシンを助けてあげたいと思ったのだ。
だけど、その結果は逆だった。
助けられたのは、本当は自分だったのだ。
「シンは言ったんです。私には他の誰にもない才能があると、そして、その力が自分には必要なのだと」
それは他人から見れば一時の気の迷いかもしれない。だけど、アイシスはこのとき、これこそが自分のすべきことだと考えた。誰からも必要とされたことのない自分が求められていることに応えたいと思った。
だからアイシスはシンと共に外の世界に飛び立つことにした。
修行の旅に出ること、表向きは芸術の国トーラス王国にでも留学したことにしてほしいと書き置きを残し、旅に出るために必要な道具をかき集めると、二人はすぐに旅立つことになった。
「幸いにも、というべきかそういう貴族は少なくないですからね」
「うん。そういう変わり者の貴族はときどきいる」
貴族にとって芸術というのはそういう存在だ。家を継がない貴族の子女の中には道楽や一時しのぎで芸術を学ぶものが多いが、中には本気で芸術に尽力しようとする変わり者も少ないわけではない。
そういった者たちが、この芸術の国に留学してくるというのはこの国の日常と言ってもいい。
そういう意味で無能のアイシスがそうするというのは他者から見ても十分ありえる話だった。
そして、アイシスとシンの二人はこの街に流れ着き、そしてアトリエを開くことになった。
「……今度はあなたの話も聞かせてください」
「わたしの?」
「ええ、姫様との話を」
その言葉にネリアは渋い表情を浮かべる。
それは話すことができないわけでもなく、話したくないわけでもない。ただ、特段語るようなことがないからだ。
ネリアとミネヴァは生まれたときからの幼馴染みだ。お互いの母が古い友人だったことや、ネリアの母がそれなりに高位の貴族だったことから、二人はずっと姉妹のように育ってきた。
そうして一緒にいるうちに、ネリアはミネヴァの母アスナに憧れて聖騎士になりたいと思うようになった。そして、ミネヴァを守りたいと。
ネリアにとって二人の話はそれだけだ。幼い頃に何か劇的な事件が起こったわけでもない。ただ自然とそうなったのだ。
ただ、そう言われて一つ、誰にも言ったことのないことがあるのを思い出した。
「わたしとミネヴァ様……ミナ様はずっと姉妹みたいに育ってきた。でも、生まれたときは半年も離れていない」
年齢、という意味においてはミネヴァが一つ上だ。だけどその差は数ヶ月。言ってしまえばほとんど同じだ。
だけど、それが何を言いたいのかわからず、アイシスは僅かに首を傾げる。
「誰にも言ったことがないけど。―――実は、わたしの方がお姉さんのつもり」
アイシスはその意外な言葉に目を丸くすると、ふふっと吹き出す。
そんなアイシスを見てネリアも笑顔を浮かべる。
そういえば、と二人は思う。
お互いに笑顔を見たのはこれが初めてだった。
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次話『14.調合』09/14 21:00投稿となります




