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第四章 灰の季節・壱

 工房街は油のにおいと金属粉の光で満ちていた。初めての工房は坂の途中にあり、扉の上で小さな風見がかさかさ鳴る。中へ入ると、のりの甘いにおいと紙の粉っぽさが混ざっていた。水車の回る音に似た低い唸りは少し速すぎ、ところどころ跳ねている。今日は“つまる日”だと分かる。


 ここは帳簿や作業記録をつくる綴じ工房だ。通路は二歩ぶん。人が向きを変えるとすぐ詰まる。紙を切る(断裁)→穴をあける(穿孔)→金具で綴じる(打ち)→背に布を貼る(背貼り)→検品→出荷、という順で流れていく。音の正体は、断裁機のシャク、金具打ちのトン、紙束のしゃりっ。並びが崩れると、通路がすぐ詰まる。


 工房主が軽く会釈した。「見学と手伝い、少しずつね」。案内役は黒髪の少年、アジェルだった。右耳に手を当て、唸りを聞いている。


「今のつかえは?」

「三分で見て一手だけ動かします。要点は四つ。①工程2→4のあと ②相談は入口手前 ③板で○△×(事前相談は増えれば○) ④赤は退き道(見える所)、『三分会議』と『三つの数字』で解決します。」


 工房主が手を上げた。「ちょっと待って。『三分会議』って何をする? その『三つの数字』は何を見るんだ?」


「三分だけ静かに現場を見る→一行メモ→次の一手を一つです」雪巴は息を整えて答えた。「数字は『中断の回数』『やり直し(再作業)』『提出前の相談』。まず午前だけ板に○△×(○=良い側/△=途中/×=要対処)で付けます。効果がなければすぐ元に戻します」


「午前だけならいい。入口に『調律中』の札も出しなさい。呼ばれたらすぐ止めること」


 アジェルがうなずく。「聞いたな。やるなら早く。俺は数字を見る」


 雪巴は板を借り、三つの欄を作った。〈中断/再作業/事前相談〉。欄の端に小さく目印も書く。中断と再作業は減れば○、事前相談は**増えれば○**にする。まず三分会議を一回。通路の紙束、工具台の混み、順番待ちの視線。入口に「調律中」の札を掛け、通路の紙束を一旦脇へ寄せる。工程2は今日だけ工程4のあとへ回す。相談の受付を扉の横に移し、赤いもどる矢印を掲げた。


 きょうの攻防は三つだ。


 ひとつ、「速く見せる」か「正しく進める」か。入口で相談を受けると一見遅いが、やり直しが減れば全体は速い。 入口で一言を受けると、検品のやり直しが一件減る。


 ふたつ、「紙の順番」か「現場の順番」。工程2を後ろへ回すと帳簿の整列は崩れるが、通路の詰まりは消える。 交差点の滞留が消える。


 みっつ、「隠す」か「見える化」。赤いもどる矢印で退き道を先に出す。危ないときは矢印まで一歩さがり、ひとつ前の手順や安全な場所に戻って仕切り直せるようにする道だ。失敗は隠さず、小さく止めるために。 退き道を掲示すると、止める場所が全員で共有される。


 昼前、唸りが少し低くそろった。紙のこすれる音が減り、声が短くなる。再び三分会議。板に○△×で記す。事前相談は増えれば○。中断と再作業は減れば○。アジェルが数字を書き足した。


「午前の結果。中断 26→19、再作業 14%→11%、事前相談 3→7」

「やり直しが減ったのは、入口で一言もらえるからだと思う」

「午後も同じ設定で回す。戻しは赤のまま」


 夕方、工房主が小さくうなずいた。「紙に負けないやり方、ね。続けてみよう」。外へ出ると、風見はさっきより静かだった。雪巴は胸の内で三つ数えた。明日も三分で始め、三分で確かめる。

・綴じ工房……帳簿や記録をつくる工房。通路は「二歩ぶん」で詰まりやすい。

・提出前点検……終わり5分、入口で迷いを受け取る時間。やり直しを減らす。

・三つの数字……中断/再作業/事前相談を板に○△×で記す(事前相談は増えれば○)。

・退き道……赤いもどる矢印で示す一手戻しの道。安全に仕切り直すための場所。

・調律中(札)……観察・調整中の合図。呼ばれたらすぐ止める約束。

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