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第一章 窓の風

 海霧のにおいは、夜と朝のあいだでいちばんやさしい。群島リタの安い部屋で、雪巴は窓を少し開け、小さな砂時計を返した。紫の砂が落ちる三分は、熱いスープをふーふーして「いち、にい、さん」と数えるのに似ている。言葉を急がず、胸の中が静かになるのを待つ時間だ。


 机の端には、指で押すとゆっくり元にもどる薄い布がある。雪巴はその布を軽く押し、戻る速さに合わせて息を整えた。幼いころの夜は黒くて長くて悲しかったけれど、三つ数えれば、黒は霧白まで薄まる――そうやって朝を迎える術を覚えた。


 まだ仄暗い霧の中、路地を渡し守が灯りを掲げて通りながら教えてくれた。「霧は三つ数えれば薄まるよ」。雪巴はうなずき、ノートに箇条書きで朝を拾う。〈潮の音/荷車二台/猫一声〉。書いて並べるだけで、世界の輪郭が少しやさしくなる。


 窓の下を、灰色の帽子の役人が歩いた。腰の笛を指でとん、と叩き、新しい掲示紙を柱に貼っていく。掲示には「余白は浪費」と太い字。雪巴はそっと目をそらす。考える三分や小さな休みをムダと決めつける通達だ。紙が強い日は、紙に負けないやり方がいる。まず三分、静かに数える。それから一つ、次の手を決める。


 鞄にはノートと砂時計と布。胸ポケットに切符。夏ごとに首都ルクスナの工房へ通った三年で、門前払いも笑い声もたくさん受けた。「仕事は遊びじゃない」と言われるたび、言い返せなかった。けれど答えは胸の底で固まっている。遊びは軽さではない。集中を長持ちさせる“やり方”のことだ。


 扉に手をかける。靴ひもをきゅっと結び直し、深く息をひとつ。砂時計をもう一度だけ返して、心の中で三つ数える。ひとつ、ふたつ、みっつ。足裏に力が戻る。月白の帯が屋根を渡った。砂が尽きる前に一歩を出す。三分なら、怖くない

三分さんぷん……砂時計の三分で心と呼吸をととのえる小さな区切り。

・時の布……指で押すとゆっくり戻る布。戻る速さに呼吸を合わせて落ち着く印。

・紙が強い日……通達や決まりがきびしい日の言い方。言葉を合わせて中身は守る。

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