身分違いが何だ、オレはあなたを守ると決めた
陽の当たらない狭い部屋に押し込められて。
枷を嵌められていたからもちろん逃げ出すこともできず。
目つきが悪いという理由で売れ残っていた。
最後まで売れ残った奴隷がどうなるか知ってるかい?
処分されるんだよ。
簡単な理屈だ。
奴隷商人も売値とエサ代の天秤で考えてるから。
処分寸前のオレを引き取ってくれたのがジューンお嬢様だった。
たまたま社会見学で奴隷商を見に来たってだけのようだが。
とにかくオレは救われた。
フリント子爵家にはオレの他奴隷がいなかったということもあるせいか、とても扱いが良かった。
これまたたまたまお嬢様と同い年ということもあり、同等の教育を受けさせてもらうこともできた。
だからあの特有の柔らかな笑みを見せるジューンお嬢様には多大な恩がある。
お嬢様がいかなる苦難に陥ろうとも、オレが必ず守ってみせる。
オレことカラバはそう心に誓っていた。
◇
――――――――――ジューン視点。
はあ、お父様が亡くなった途端、家を追い出されることになってしまいました。
カラバの言っていた通りです。
『お医者様によると、お父様のお身体はもう回復しないんですって』
『お嬢様。旦那様が亡くなりますと、あの女狐と子狐は必ず行動を起こします』
『それは?』
『おそらくはお嬢様を追い出し、フリント子爵家を乗っ取ろうとします』
お母様が病死した後にお父様が連れてきたお継母様のことを、わたくしの従者カラバは女狐と呼びます。
そして腹違いの妹のことを子狐と。
二人とも吊り目なので笑いそうになってしまいます。
……あの二人はわたくしに対する態度が悪いですものね。
お父様の目の届くところではそうでもありませんが、倒れてからは露骨です。
うちフリント子爵家を乗っ取るというのもありそうだと思っておりました。
以下はお父様が亡くなった後、今日あったこと。
『もうハンナがフリント子爵家を継ぐことは決まっているのです。あなたは即刻出て行きなさい』
『え? ええと……』
『その奴隷と一緒にね。フリント子爵家に奴隷は必要ありません』
もちろん子狐こと妹ハンナが家を継ぐとは聞いていましたが、貴族学院在学中のわたくしを追い出そうとするとは。
カラバにあらかじめ聞いていなかったら、途方に暮れていたところです。
奴隷身分のカラバをともに放り出すのも予想通り。
……本来ならばわたくしをどこかに縁付けるのがフリント子爵家のためになるのは明らかです。
しかし女狐ことお継母様は平民ですからね。
貴族家に伝手がないのでしょう。
また嫁ぎ先でわたくしに対する扱いが悪かったことを吹聴されては堪らないと考えているのかもしれません。
あらかじめカラバに言われておりました。
女狐が追い出すと言い出したら、表向き素直に従ってくださいと。
勝てる算段がついたら一気に決着をつけますと。
下手にゴタゴタすると、フリント子爵家自体の価値が毀損するという判断のようですね。
わたくしはカラバの判断には全面的に従うことにしています。
カラバはわたくしに忠実ですし、神様の加護をいただいていますからね。
ともかくわたくしはフリント子爵家を去ることになりました。
でも全然心配いらないのです。
何故ならわたくしにはとても頼りになるカラバがいますから。
「どうしようかしら? わたくしは亡きお母様の実家アッシャー子爵家に縋ろうと思っていたのですけれど」
「ちょっと難しいですね。アッシャー子爵家でも、お嬢様の窮状は知っていたはずなのですよ。それなのに手を差し伸べてくれなかったでしょう?」
「確かにカラバの言う通りですね」
「後継争いと事業の失敗で中が揉めてますからね。お嬢様を助ける余裕がないのです」
あらまあ、知らなかったです。
だから女狐はわたくしを放逐する好機と見たのかも。
カラバはよく情報を集めていて偉いですね。
「ではどうすればいいでしょう?」
「アッシャー子爵家の分家、ルーファス様を訪ねましょう」
「ルーファス叔父様を?」
「ルーファス様は本家と距離を置いていらっしゃいます」
ルーファス叔父様は商売に精を出しているお方で、どちらかというと気位の高いアッシャー子爵家の本家筋とはそりが合わないようなのです。
ですから親戚でありながらわたくしもあまり会ったことがないくらいなのですが。
「大丈夫かしら?」
「はい。既に渡りをつけてありますので」
「そうなの?」
やっぱりカラバは優秀ね。
任せておけば安心です。
ではルーファス叔父様を訪問いたしましょう。
◇
「ハハッ、やはりあのバカ平民はジューンを追い出したか。カラバの見通しが当たっていたな」
ルーファス叔父様と面会したら、随分事情を理解していらっしゃるようですね?
カラバが暗躍していたからかしら?
とても頼りになりますね。
「ジューンは何も心配いらないからね。何食わぬ顔で貴族学院に通学し、学業と交友に努めてくれればいい。それが一番ありがたい」
「えっ? ありがたいとはどういう意味ですか?」
「ああ、詳しいことは話してなかったのかい?」
「汚い策略はお嬢様の耳に入れたくなかったので」
「カラバは忠実な従者だね。しかし事態がここまで及んだからには、ジューンも知っておかなければいけないよ」
「はい、お話しください」
カラバが面白くなさそうな顔をしています。
そんなに醜悪な話なのでしょうか?
「簡単に言うと、君の異母妹とされているハンナ嬢は子爵であった父親の血を継いでいない可能性が高い」
「えっ?」
「女狐に関する調査報告書があります。旦那様を騙してフリント子爵家に乗り込んできたのでしょうね。謀って貴族になるという旨の発言は何人も聞いておりますし、また子狐の父親と考えられる男の証言も取れていますよ。もっと言うと子狐は目元以外は父親似です」
衝撃です。
「……本当ならば厳罰ですよね? 平民が貴族家を乗っ取ろうとするなんて」
「トーラ王国の藩屏たる貴族家を詐欺にかけようとするのは、王家に弓引くのと同じだ。母子ともに絞首刑だね」
「でも証拠が……」
「旦那様の血を引く正統な後継者であるお嬢様がいれば、父子関係判定の魔道検査を行うことは可能です」
「もっとも訴えるぞ魔道検査で白黒つけるぞって脅しただけで、すぐに逃げ出すと思うけどね。女狐がよほどのアホウでなければ」
何とまあ。
お父様が亡くなったらああなる、こうするっていう筋書きができているのではないですか。
感心するというか呆れるというか。
「ジューンが成人後にフリント子爵家を継ぐことになるね。それまでは私がアッシャー子爵家の名代として、ジューンの後見人を承ろう」
「よろしくお願いいたします」
「で、当然私とフリント子爵家は強い結びつきを得るわけだ。私の目論見としては、フリント子爵家の人脈を利用して、より商売に力を入れたい」
「だからわたくしが学業と交友に努めよ、ということになるのですね?」
「うむ、私こそよろしく頼むね」
ルーファス叔父様と共闘が決まりました。
カラバが悪い顔をしてますよ。
「どうせあの女狐子狐は、お嬢様に同情的な古い使用人を解雇しようとします。その前に先制攻撃を仕掛けましょう」
◇
――――――――――一ヶ月後。カラバ視点。
「はあ、大体落ち着きましたね」
「御苦労様でした」
ルーファス様とともにフリント子爵家邸に逆襲した。
女狐は射殺さんばかりの目をしていたが、魔道検査の話が出たところで陥落した。
出て行けばいいんでしょうと。
お嬢様につらく当たっていたことは万死に値する。
こいつらをどん底まで突き落としてやりたいのは山々だ。
が、オレの感情を優先させてはいけない。
フリント子爵家自体の評判が悪くなっては、家を継ぐお嬢様に迷惑をかけることになってしまうから。
本末転倒だ。
結局邸を退去する女狐子狐を黙って見送った。
使用人一同もホッと胸を撫で下ろしていることだろう。
ルーファス様は楽しそうだったが。
しかしおそらく深い事情を知らないのであろう子狐は、フリント子爵家に未練があったらしい。
しばらく邸に突撃して騒ぐことを繰り返していたのだ。
今までの生活を取り上げられた心情を理解できないではないが鬱陶しい。
女狐にきつく通告したら、最近ようやく来なくなった。
「学業の方は問題ないですか?」
「わたくしは大丈夫ですよ。それよりもカラバ。ルーファス叔父様が奴隷身分から解放しようと言ってくださっていたでしょう?」
「はい」
「どうして断ったの?」
「オレは今のままで幸せですので」
お嬢様の従者でいられるのならば十分なのだ。
お嬢様はオレを迎え入れてくれた日から、対等に扱おうとしてくださった。
決して奴隷という目で見なかった。
「……お嬢様はオレを薄暗い部屋から陽の当たるところに連れ出してくださった」
「古い話ねえ」
「何故なのです?」
「そうね。カラバが格好良かったからかしら?」
ウソだ。
あんな暗いところにいた、薄汚いオレだった。
容姿なんかわかるわけがない。
多分売れ残った奴隷が誰であってもお嬢様は哀れみ、買い取ってくださったのだろう。
オレには運があった。
「……オレが選別の儀に参加できたのはお嬢様のおかげです」
一〇歳になると神に初お目見えするという、選別の儀を受ける習慣がある。
しかし奴隷は通常、選別の儀を受けられない。
神に認められることがない、何故ならば奴隷は人ではないからという理由だ。
本来オレも選別の儀を受けられなかったはずなのだが、お嬢様の従者という扱いで同席を許された。
「オレは選別の儀で『機知』の加護をいただきました」
「ええ。頼りにしているわ」
選別の儀では稀に神の加護を得ることがある。
お嬢様は笑うが、オレの『機知』はそもそもお嬢様のおかげで手に入ったものなのだ。
オレは選別の儀の出席者じゃなかったはずなのに、神の目から見ると違いはないんだなと、ちょっと嬉しかった。
オレが加護を得たことは、お嬢様だけに話した。
お嬢様は我がことのように喜んでくれたのだ。
嫉妬されるかと思ったのに、何という広い心だろう。
オレはその時一生お嬢様を守ると決めた。
「カラバは奴隷でもいいかもしれないけど、わたくしは困るの」
「何故でしょうか?」
「王国のルールで、奴隷と結婚していいのは奴隷だけと決められているじゃない?」
「えっ?」
「カラバは将来わたくしの夫になって欲しいのだもの」
嬉しい!
お嬢様に乞われるとは何という喜びだろう!
しかし……。
「……お嬢様はフリント子爵家を継がれる身であります。それなりの貴族家から婿を迎えるべきだと思います」
「一つの考え方よね」
ルーファス様も貴族間の人脈を広げることを重視されるだろう。
その方が商売に有益だろうから。
「でも貴族学院にもカラバほど素敵な殿方はいないの」
「オレを買ってくださるのは光栄ですけれども」
「カラバはナヴァレの戦争奴隷なんでしょう?」
「はい」
オレはかつてトーラ王国とナヴァレ王国が争った時、ナヴァレに見捨てられて捕虜になったのだ。
捕虜交換の対象からも外され、奴隷に身を落とした。
「わたくしなんかよりよっぽどいいところの令息だと聞きましたよ」
「……侯爵家でしたね。今はもうない家ですが」
「侯爵家の令息ならわたくしだって身分違いで恐れ多いではないですか」
「今のオレは奴隷に過ぎませんよ」
長じて当時のナヴァレ王国の状況を知った。
要するに派閥争いがあって、オレの実家ライランズソーク侯爵家は陥れられたのだ。
敵トーラと味方のはずのナヴァレから挟撃され、ライランズソーク侯爵家は消滅した。
「最近のトーラとナヴァレの関係は、雪解け気配ではないですか。カラバがわたくしの婚約者になってくれると、ルーファス叔父様も都合がいいと思うの」
これはルーファス様の考えは入ってないと思う。
ただ一理あるな?
調べてみなければわからんが、ナヴァレ王国内にもライランズソーク侯爵家に好意的ないし同情的だった者だって当然いたはずだ。
ルーファス様がナヴァレとの交易を考えているのだったら、オレがトーラで健在であることを知らしめるのは、ライランズソーク侯爵家派だった者達にウケがいいかもしれない。
逆にナヴァレ国内の対立を煽る格好になるかもしれないので要注意ではあるが……。
「お嬢様のお考えはわかりました」
「嬉しいわ。じゃあジューンって呼んで」
お嬢様は公平で慈悲に満ち溢れ、しかも可愛らしい。
婚約者として、夫としてお嬢様を守れるのであれば、それはオレの本懐だ。
「残念ながら、まだオレはそれを言える身分じゃないのですよ」
「じゃあ早く奴隷身分から解放されてね」
「はい」
「わたくしが成人していたら、解放の手続きを請け負ったのだけれど。少し残念だわ」
「ではお嬢様が成人するまで待っていましょうか?」
「ダメ」
お嬢様の春を思わせる柔らかな笑みが好きだ。
オレの進むべき道を照らしてくれるから。
オレは『機知』でお嬢様を支えよう。
ふとお嬢様の優しい視線を感じた。
この優しさを守れるオレでありたい。
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