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天然ホームズの必然推理  作者: もとき未明
一章 時効が呼ぶ必然
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心理捜査も現場から

 ――二週間前の十月二日。しつこい残暑の寝苦しさで眠りの浅い夜明け前に、本庁からの緊急呼び出しで起こされた。捜査一課の刑事ともなれば、「コロシだ」との連絡が入り次第、時間に関係なく出動せざるを得ない。

 有田がJR田端駅近くの現場に到着すると、相棒の野沢は既に靴カバーを履いて鑑識班の作業が終わるのを待っていた。

「まったく……先輩とコンビを組みだしてから、朝早くの緊急呼び出しが多くなった気がしますよ。先輩の『未明』って名前のおかげで明け方に発生する事件が全部ウチの係に回ってきてるんじゃないですかね」

 若い野沢には貴重な睡眠時間だったに違いないが、そんな悪態をつきながらも白い手袋をはめて黄色いテープをくぐる頃には緊張感のある引き締まった顔になっていた。

 駅から歩いて十五分ほど離れた決して繁華街とはいえない小さな路地の突き当りにあるその小料理屋の表には、『さなえ』と書かれた古びた看板が出ていた。間口は一間半ほどしかなく店内は細長いカウンターに八席があるだけで、厨房と合わせても五坪程度の本当に小さな小料理屋だった。

 第一発見者は川下慎吾と名乗る会社員。同僚と飲み歩いていて終電も過ぎてしまったので馴染みの小料理屋で朝まで飲もうとなり、二時頃、店に入ったところ異変を察知したらしい。

「看板の電気は消えていたけど、店内の灯りが見えたんで女将に頼み込もうと思って入ったんだ。そうしたら普段は綺麗に整理されている店内がめちゃめちゃになってたからすぐにおかしいと思ったよ。声をかけても返事がないし……。それでカウンター越しに厨房の中を見たら女将が血だらけで倒れていたから、すぐに一一〇番通報したんだ」

 既に酔いが醒めている川下は、発見時の様子を正確に話そうとしているが、顔は青ざめていて唇も小刻みに震えていた。第一発見者を疑うのは捜査の鉄則だが、川下の話しぶりに不自然さは感じられなかった。

 厨房で殺されていた女将の名前は安岡早苗やすおか さなえといい、二十五年前からここで店を開いてひとりで切り盛りしていた。年齢は五十五歳とのことだが、地味目の化粧の割には若く見え、開店した頃は女将の美貌で賑わっていたのではないかと容易に想像できた。最近の経営状況としては、繁盛していたわけではないが、常連を相手に朝方まで細々と営業していたようだ。夫の洋司は六年前に病気で亡くなっていて、ひとり娘の琴乃は横浜に嫁いでおり、早苗は近くのアパートでひとり暮らしをしていた。

 着衣に目立った乱れはなく、淡い緑色の着物に白い割烹着姿であった。料理の途中で厨房の奥に追い詰められ、しりもちをつくように倒れたところを刺されたのだろう。白い割烹着の中央が真っ赤な血で染まっていて、恐怖に顔をゆがめた真っ白な顔を見れば、誰が見てもすでに息絶えていることは明らかだった。

 店内の荒らされ方から見て、殺害した後に金目のものを物色したようだ。レジスターが開いていて小銭すらなくなっており、被害者の財布や携帯電話などの貴重品も見つかっていない。

 検死官の見立てでは、死亡推定時刻は発見当日、十月二日の午前一時前後。死因は鋭利な刃物で心臓をひと突きにされたことによる出血性ショック死。凶器は刺したあとに引き抜かれているが、深さ十五センチに達しており、ほぼ背中まで貫通状態だった。ひと突きでそこまで刺す力も相当なものだが、引き抜くときにはそれ以上の力を要するものだ。着物や割烹着のおかげで周りに血が飛び散っておらず、犯人が返り血を浴びているようでもない。座り込んだところを刺されているため、刃物の進入角度からの犯人像も特定が難しい。しかし、追い詰められていることや包丁を抜き取った力などから考えて、犯人が女性だとしても相当な腕力を持った人間だろうと推測された。

 胃の中からは、カウンターの上にある女将手作りの惣菜料理とアルコールが少量検出されたが、不審な薬物や内容物は検出されなかった。

 凶器は見つかっていないが、厨房の包丁立てには出刃包丁と果物ナイフしかなかった。まな板の上には切りかけの野菜があり、使用していたと思われる包丁が見当たらないことから、この店の万能包丁なりを使って犯行に及び、何らかの理由で犯人が持ち去ったものだと考えられた。

 看板の電気が消えていたことにも着目したが、スイッチ類からも被害者以外の指紋は検出されていない。

 血痕も被害者のものしかなく、もみ合った際に犯人が怪我をした形跡はない。早苗の衣服や爪にも犯人に結び付く遺留品を見つけることはできなかった。

 犯人の手掛かりとしては、店内に数人分の足跡があり、厨房内まで続いているのは早苗の草履とゴム底靴のものだけであった。しかし、その形状に特徴はなく大量に流通しているものだった。

 早速、所轄の滝野川署に捜査本部が立てられ、物盗りと怨恨の両面から捜査が開始された。

 被害者は誰にでも人当たりが良く、恨まれていたという話がまったく聞かれない。それどころか、「あんないい女将が殺されるなんて信じられない」と証言する常連ばかりだった。

 ゴム底靴からの捜査も行なわれたが、サイズが二十六センチだとわかっただけで、新品ではなさそうであり購入経路の特定に難航している。また、履き古されてもいないので、靴底の減り具合から人物像の特定もできていない。

 単純な物盗りだとすると、周辺には浮浪者の集まる場所や不良グループのたまり場もあって、容疑者の特定には気の遠くなりそうな聞き込みが必要だ。聞き取りと同時に、持っている靴の照合もしているので、ひとりにかなりな時間を要している。それでも捜査本部としては、「ひとりずつ当たれ」と命令するしかない状況だった。怨恨による犯行の線も捨ててはいなかったが、大方の見解としては物盗りの犯行との判断に向かっていた。

 しかし有田は、現場の荒らされ具合を見たときの直感で、「怨恨による犯行ではないか」との思いを拭い去れないでいた。


「どうして怨恨だと思っているの?」

 有田の推理を含んだ事件の概要を聞き終えたホームズが口を開いた。

「状況的には物盗りだと思えることばかりなんだが、レジや引き出しが妙に整然と開いていたり、店内に雑誌が散っていたりと、偽装工作じゃないかと感じたんだ」

「だけど、早苗さんは恨まれるような人ではなかったんでしょ」

「『勘』ってやつさ」

 有田は、人差し指でこめかみを軽く二度叩いた。

「未明君の『勘』は、信用する価値があるわね。容疑者は浮かんでないの?」

「一応、被害者と揉めたことがあるというふたりが容疑者として浮かんだけど、ふたりともアリバイがあって犯行が不可能なんだ。それでまた捜査は振り出しさ」

「そのふたりってどんな人?」

「ひとりは、現場の入口付近で『鳥やす』という焼き鳥屋をしている亀井靖彦かめい やすひこで六十歳の男。以前、さなえに向かう客とトラブルになったことがあるらしい。しかし亀井は事件当日には店を閉めて、千葉に住んでいる娘さんの所に行っていたことが証明された」

 有田はコーヒーを口に運び、ひと息つくと話を続けた。

「もうひとりは、最近になってさなえの常連になったという真鍋勝久まなべ かつひさ。四十八歳独身で品川埠頭に小さな運送会社を構えている。事件当日も八時から十時頃までさなえに居たらしいが、その後十二時すぎまで品川駅近くの屋台で飲んでいたことがわかった。品川から現場まで三十分以上かかるうえに、真鍋はべろんべろんに酔っていたらしい。仮に犯行時刻までに戻ることができても、立っているのさえ困難な状態だったと屋台の大将が証言した。確かなアリバイではないけど、状況的にも無理だと判断した」

「真鍋さんは、どんなことで揉めていたの?」

「他の常連の証言では、一か月くらい前に女将と真鍋が言い争っていたらしい。最初は真鍋が冗談を言った雰囲気のようだったが、大声で罵り合いになったそうだ。滅多に声を荒らげることのない女将だから記憶に残っていると証言していた。捜査員がそのことを真鍋に確認したら、女将に『綺麗だね』って褒めたのをナンパだと誤解されただけだと言うんだよ」

「品川から田端の小料理屋に通うって普通なのかしら? 最近、常連になったのなら少し引っ掛かるわね」

「周囲の証言でも、真鍋を見かけるようになったのは半年前からのようだ」

「一度、現場を見たいわね。それに亀井さんと真鍋さんにも少し話をうかがいたいわ」

 いつものように関係者への聞き取りから再捜査してくれることになった。ホームズと一緒に聞き込みを行なうと、その時点では理解できない質問をするのだが、それが最終的には重要な証言となることが多い。

 ふたりが腰をあげようとしたとき、ドアのカウベルが鳴った。

「こんにちは!」

 元気な若い声が店内に響き、制服を着たままの美里がやってきた。あまりのタイミング悪さに有田は心の中で苦虫を噛みつぶした。

「ミリちゃん、いらっしゃい。今日もよろしく」

 美里は、優しく声をかけたマスターにおじぎで返事をすると、目ざとくホームズを見つけて駆け寄った。

「ホームズさん、こんにちは」

「おかえりなさい。日曜日なのに学校だったの?」

 ホームズの優しい問いかけに、美里は満面の笑顔だ。

「はい。今日は模試だったんです。すぐに着替えてきます。私ね……バイトに入ったときにホームズさんが居ると、とっても嬉しいです。ゆっくりしていってくださいね」

 心底からホームズのことが大好きな口ぶりだ。

「残念だけどごめんなさい。今から出かけなきゃならないの」

 ホームズが申し訳なさそうに、銀色のダウンジャケットを羽織った。

「ええーっ! 私は今来たところなのに……。さては未明君がまた変な依頼を持って来たんでしょ」

 予想した通り、美里が有田を睨んで頬を膨らませた。ホームズ信者の美里は、ホームズと同じ呼び方で有田を呼ぶ。

「ごめんねミリちゃん。また、ここで捜査会議するからさ」

 美里の機嫌を取るように、片目をつぶって両手を合わせた。

「ホント? 私も入れてよね。捜査会議」

 好奇心旺盛な美里は、これまでにも何度か捜査会議という名の打ち合わせの際に、女子高生ならではの目線で捜査のヒントをくれたこともある。

 

 ベイカー街を出た有田とホームズは、田端の事件現場へと向かった。駅の南側に位置する飲食店街は、トラットリアなど現代風の洋食屋と昔ながらの小料理屋がごちゃまぜに同居している。ホームズは、駅からの道順を辿りながら、すべての店を記憶するかのように看板を確認しながら歩いている。

 目的の路地は、既に立ち入り規制が解かれていて、裏通りらしい日常生活を取り戻していた。一度は容疑者となった焼き鳥屋『鳥やす』の暖簾はまだ出ていなかったが、そろそろ仕込みも終わって開店する雰囲気があった。

 さなえの前に来ると、扉が開いていて人の気配がした。

「誰かいるのか」

 誰もいないと思っていた有田が、他の捜査員でも来ているのかと声をかけた。

「はい?」

 カウンターの奥から女性が立ち上がった。

「刑事さんでしたか……まだ犯人は捕まらないんですか」

 有田の顔を見て、すがるような目をしたのは琴乃だった。

「すみません。なにせ深夜の事件なので目撃者もいなくて時間がかかっていますが、必ずお母さんを殺した犯人を捕まえますから」

 背筋を伸ばして丁寧に頭を下げた。突然肉親を奪われた遺族と対応するのは、何度経験しても慣れることがない。

「今でも母が死んだとは信じられません。もう片づけをしてもよろしいんですよね」

 悲しみのやり場がない表情で掃除の続きを始めた。

 事件後、現場保存の状態が続いていたので、ようやく片づけができるようになって掃除に来ているようだ。

「片づけの最中に申し訳ないですけど、もう一度現場を検証したいので見せてください。掃除は続けていて結構です。邪魔にならないようにしますので」

「どうぞ……」

 琴乃は有田の顔を見ることなく答えた。

「あの方が琴乃さん?」

 ホームズが有田のそばに寄って囁いた。

「そう。被害者の娘さんで、横浜に嫁いでいる戸高琴乃さんだ」

「二十五年前からのお店にしては綺麗ね」

 ホームズが色褪せた天井を見上げながら呟いた。

「ああ、女将は相当な綺麗好きだったようだ。しかも大道具的な修繕まで自分でやっていたらしい」

 有田は答えながら壁の隅を指さした。そこは、内装の下地板がはがれそうになったものを素人なりに修繕した跡だ。

「狭いけど早苗さんの愛着ぶりが目に浮かぶようね」

 ホームズはスマホを取り出すと、天井や修繕跡など、客席側の店内を念入りに撮影している。

「カウンター内より店内に、何か気になることがあるのかい?」

「中は鑑識さんがしっかり調べているから大丈夫でしょ? 未だに糸口が見つからないってことは、何か見落としているものがあるんじゃないかと探しているのよ」

 カウンター脇のボードに貼られた名刺や壁のメニューなどの撮影を終えると、ホームズも店内を片づけだした。

「おかあさんはひとりでこのお店を切り盛りしていたんですってね」

 散乱していた雑誌類をマガジンラックに戻しながら、琴乃に優しく話しかけた。

「そうだけど……あなたは?」

 怪訝な顔でジーンズ姿のホームズを見た。

「申し遅れました。私、有田刑事の友人で探偵のホームズといいます。なんとしても犯人を捕まえたいという有田刑事の力になれればと思って、調べに来たんです」

「ホームズ……さん?」

「変な名前ですよね。でも気に入ってるんですよ」

 ホームズがにこやかに言うと、琴乃は少し気持ちが和らいだ顔つきになった。

「おとうさんは六年前に亡くなられたんですよね」

 琴乃の顔色をうかがうようにホームズが尋ねた。

「はい、本人は『パチプロ』だと称して毎日パチンコ通いでした。まあ、店の売上金に手を出さなかっただけマシですけど、家族の生活費は母がひとりで稼いでいました。私も母に育てられたと思っています」

 琴乃の言葉には、「父が嫌いだった」とのニュアンスを含みながらも、両親とも亡くなってしまった寂しさが漂っていた。

「おとうさんは、ずっと昔からお店には出てなかったのでしょうか」

「そんなことが今回の事件と関係あるのですか」

 琴乃は怪訝そうにホームズを見た。

「亡くなった人に関することは、どんな些細なことでも無駄にしたくないんです。お願いします」

 毅然とした口調でありながら、柔和な笑顔でホームズが促すと、琴乃は安心したような表情を浮かべた。

「父が亡くなる十年くらい前までは、仕入れを手伝ったり皿洗いをしたりしていたらしいですけど、人付き合いが苦手な人だったから、お店が開いている間はあまりいなかったと思います。それもパチンコ通いが始まってからは、ほとんどお店に顔を出さなくなったんじゃないかしら」

 片づけの手を休めて、記憶をたどるように答えている。

「おとうさんのパチンコ通いは、十数年くらい前からなんですね」

「そのくらいだったと思います。私が高校生で、父のことが嫌で仕方なかった頃でした」

 琴乃は少し表情を曇らせた。

「ご夫婦の仲が悪くなっていたわけではないんですよね」

 ホームズのしつこいくらいの質問に有田は違和感を覚えた。既に亡くなっているご主人が犯人なわけはないのに。

「はい。仲は良かったですよ。父の金使いが荒くはなりましたけど、パチンコをする人って大抵そうですよね。たまには喧嘩もしていましたけど、不思議と仲は良かったんです」

 琴乃もうんざりしているのだろうが、ホームズの聞き方が上手いのか丁寧に答えている。

「今は結婚されて、横浜にいらっしゃるとか……」

「はい。四年前に結婚して、娘がひとりいます」

 琴乃の表情を見ると、さっきよりも穏やかになっていると感じられた。ホームズとのやりとりの中で何がきっかけになったのかさっぱりわからないが、母親を亡くした悲しみを乗り越えられる希望の光を見つけたかのような、落ち着いた表情に見えた。

「何か無くなっている物などわかりませんか」

 ホームズが首を傾げながら琴乃の顔を見る。

「さあ……私も時々は手伝っていましたけど、結婚してからは来てなかったので、どこに何があったのかわかりません」

「カウンターのここの部分に日焼けしていない四角い跡があるんですけど、四年前には何があったか覚えてます?」

 ホームズはカウンターの端を指さしながら言った。

「あっ。そこには私が修学旅行のお土産で買ってきた京都の人形があったはずです。西陣織の端切れで作った日本人形です。間違いありません」

 有田が覗いてみると、確かに長年何かを置いていた跡のようだ。警察の事情聴取では得られなかった重要な証言だ。

「ありがとうございます。きっとこの有田刑事が犯人を捕まえますから、気を落とさないでくださいね」

 琴乃に礼を言って店を出ると、ちょうど亀井が暖簾を出すところだった。


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