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天然ホームズの必然推理  作者: もとき未明
一章 時効が呼ぶ必然
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これぞ探偵事務所

いよいよ本章スタートです。

 有田は大学を卒業すると、子どもの頃から憧れていた警察官の道へと進んだ。上級職に受かるほどの頭脳は持ち合わせてないのでノンキャリとして警視庁に採用され、交番勤務の間に最短で巡査部長への昇任試験に合格した。その後、警部補試験を受けようと準備していたが、所轄の刑事へ異動となったことで試験勉強との兼ね合いは想像以上に困難であった。

 それでも、所轄での仕事熱心な勤務態度を評価されたこともあり、入庁時からの念願であった本庁刑事部捜査一課に配属されて三年が過ぎようとしている。今年三十歳になったばかりの有田は若手の育成を任されるなど、実施的に主任相当の働きをしていて警部補昇任も近いと実感している。

 柔道、剣道、合気道の三つ合わせて十段という人並み以上の特技のおかげで、逮捕術訓練では師範レベルともいわれている。実際、これまでも凶悪犯の逮捕に貢献したことは数知れず、総監や副総監からの表彰も軽く二十を超えた。

 しかし、武道家特有のいわゆる『勘』は鋭いかわりに、順を追って推理を組み立てるのは苦手で典型的な『肉体派刑事』だと自覚している。

 有田が現在担当している事件でも足を棒にして聞き取りを続けているが、なかなか進展しない。しかも、得意とする『違和感センサー』にどこか引っかかるところがあり、休日といえどもじっとしていられなくなった有田はホームズを訪ねることにした。

 ホームズは司法試験に現役で一発合格するほど優秀な成績でありながら法曹界はおろかどこの会社にも就職活動すらせずに、卒業後は日本各地をふらふらと旅行していた。心理操作なのか人柄なのか誰とでもすぐに仲良くなってしまう特技で、見ず知らずの家に泊まったり次の宿泊先を紹介してもらったりして旅を続けていたらしい。

 四年前から『ホームズ探偵事務所』を開設して素行調査や迷い犬の捜索などを主に引き受けているが、捜査に行き詰まった有田が持ってくる難事件の話を心待ちにしているようだ。

 ホームズ探偵事務所は明治神宮前駅からほど近く、静かな裏通りの一角に佇む喫茶店『ベイカー街』の二階にある。事務所を開設するために物件を探していたホームズが偶然ベイカー街という名前の喫茶店を見つけた。その二階部分が貸し部屋になっていたことから、ひと目惚れして入居を決めたのもホームズとして必然的な行動だったのだろう。ホームズの名刺には町名と番地の後ろにビルの名前ではなく『ベイカー街2F』と書かれている。かなりベタだが本家本元の『ベイカー街221B』になぞらえていることが見え見えだ。

 三階建てのそのビルはかなり古い。フランスにあるという赤い村を彷彿とさせる赤レンガの外壁が落ち着いた色合いに馴染んでいて、見た目にもホームズが気に入りそうな趣を漂わせている。一階部分は喫茶店が占めていて、二階には貸部屋が三部屋ある。そのうちの二部屋をホームズが借りて探偵事務所と居室に使っている。事務室を含めてすべての部屋が靴を履いたまま過ごす外国スタイルだ。三階はビルのオーナーでもあるベイカー街のマスターが住んでいる。

 マスターもかなりこだわりが強い人で、二階の部屋を借りようとする人には面接試験ともいうべき関門があるらしい。その関門を突破した人しか住むことができないのだという。ロマンスグレーの髪をオールバックに固め、白い口髭の似合う初老の紳士といったところだ。喫茶店を経営する前は一流ホテルのコックをしていたとか、不動産経営をしていたとか、いろんな経歴を持っているらしい。どんなことでも器用にこなすし頭の回転が速くホームズと肩を並べるくらいの記憶力だ。

 そんなマスターの淹れるコーヒーは抜群に美味しい。今では珍しくなったサイフォン式コーヒーメーカーで一杯一杯丁寧に淹れてくれる。ポコポコと吹き上がるサイフォンロートの中で踊るコーヒーを眺めていると、すべての疲れが吹き飛ぶように癒される。

 そういえば有田には、ひとつだけホームズに対して不満なことがある。なんと、この抜群に美味しいコーヒーに角砂糖を入れて飲むのだ。

「マスターのコーヒーにこのブラウンシュガーはベストマッチなのよ。サトウキビ百パーセントで漂白していないからこんな色だけど、いかにもナチュラルな感じがいいでしょ。私はこの組み合わせが大好きなの」

 と、ホームズは悪びれずにブラウンシュガーの塊を二個入れる。

 有田も試しに一度ブラウンシュガーを入れて飲んでみたが、やはりマスターのコーヒーはブラックで飲むに限ると思っている。

 マスターはそんなホームズを見て、いつも目を細めてニコニコしている。

 有田の相棒に野沢翼のざわ つばさという元気のいい若手がいるのだが、今日はひとりで訪ねることにした。連日の捜査続きで久しぶりに捜査本部が休日なこともあるが、野沢はベイカー街でアルバイトをしている女子高生の美里に惚れていて、一緒に来れば捜査が進まないことも多い。

 野沢は高校を卒業して交番勤務を六年勤め、高卒としては最速の五年目で巡査部長への昇任試験に合格した優秀な刑事だ。捜査一課の中でも最年少の二十五歳で、動きが機敏なスポーツマンでもある。高校時代はラグビー部で活躍していたらしく体力には自信を持っており、よく気の付くいい奴なのだが、女性に惚れやすい悲しい性を持っている。美里に「翼君、お願い」と言われれば、「たとえ火の中、水の中!」と突っ走る単純かつ純粋な男だ。有田が野沢とコンビを組んで一年近くになるけれど、野沢もホームズの能力を信頼しているし、ベイカー街のコーヒーが大好きだ。

 笹平美里ささはら みさとは二歳の頃に両親を亡くして以来、いろんな親戚の家に預けられていたが、高校入学を機にひとり暮らしを始めてアルバイトで生活している。小さい頃は引っ込み思案で無口な子どもだったらしいが、今では天真爛漫を絵に描いたような明るい女子高生だ。暗い面影を露とも感じさせないのは、過去を封印するために無理をしているようにも見える。

 高校の近くでアパートを探しているときに、ちょうどひと部屋空いていたベイカー街の二階を借りた縁で、学校帰りのアルバイトをすることになったというちゃっかり者でもある。好奇心旺盛で向こう見ずなところは少しハラハラさせられるが、丸顔にボーイッシュな髪型が似合っていて、ベイカー街の常連にとってアイドル的存在になっている。

 高校三年生ではあるが、身長が低く童顔なこともあり中学生くらいにしか見えないので、皆からは「ミリちゃん」と呼ばれている。本人はこの呼び名を気に入ってないようで、ホームズだけが「ミサトさん」と呼んで一人前に扱うものだから、ホームズを姉のように慕い「ホームズさんだけが私の味方よ」とリスペクトしている。住んでいる部屋も隣同士であり四六時中くっついていて仲の良さを公言している。

 美里は来年、大学受験を控えているが成績は良いらしい。

「ホームズさんと同じ大学に進学して、私も伝統ある『心理操作実践サークル』で心理捜査をマスターするの」

 早くも『ホームズ二世』を宣言していて末恐ろしさを予感させる。有田がホームズに持ってくる事件の相談にも目を輝かせて首を突っ込んでくるので、実現する可能性が高いのではないかと思っている。


 警察官が私立探偵に相談するなど許されるものではないが、口が堅いことについては信頼できるし、なにより今回は、有田が持ち合わせていない推理力を必要としている。有田の『動物的な勘』とホームズの『心理捜査』により、これまでもいくつかの難事件を解決してきただけに、捜査本部を仕切り有田の上司でもある元キャリアの剣崎管理官も黙認せざるを得ないようだ。

 剣崎定けんざき さだむは、キャリアとして入庁以来、順調に出世の道を歩んでいたが、十数年前に警察庁へ出向していた頃、大きな事件の検挙直前で重要な証人を死なせてしまったことがあるらしい。その責任感から「このまま現場で捜査させてください」と、上層部に志願して捜査一課に戻り、警視の階級のままずっと現場の指揮を執っていると聞いた。

 剣崎は背が高く色白で細い体型なこともあって一見ひ弱に見えるが、縁無し眼鏡の奥で光る眼光はどんな凶悪犯罪者をも震え上がらせてしまうほど鋭い。捜査一課には有田の他にも柔道や剣道の有段者が揃っている中で、そんな猛者連中を指揮する管理官としての豊富な知識と決断力だけでなく、有無を言わせない統率力を備えている。

 そんな元キャリアの剣崎にとって私立探偵を頼りにすることがどれほど屈辱的なものであるか想像に難くないが、有田とホームズのコンビに関しては大目に見ていると思われる。「先入観を持って捜査をするな」と「一般人を事件に巻き込むな」というのが剣崎の持論だが、法学部出身であるホームズの能力を高く評価していることは間違いない。


 ベイカー街へと続く坂道は、街路樹の枝が綺麗に切り揃えられていて、秋を受け入れる準備が整っているようだ。冷気を纏って乾いた風は秋の気配を運んでくるというより、夏という舞台が完全に閉幕したのだと告げるかのような寂しさを漂わせている。

 昨日までと同じ夏物スーツで来たことに少し後悔した有田はベイカー街の前で立ち止まった。二階の探偵事務所とどっちから覗いてみようかと一瞬迷ったが、目の前にあるベイカー街のドアを引いた。日曜日でもあり、そんなに忙しい探偵事務所ではないことを有田は知っている。

 ……カラン、カラン……

 マスター自慢のカウベルが鳴る。

「いらっしゃい」

 いつも変わらぬマスターの笑顔と香ばしいナッツのようなコーヒーの香りが有田を優しく迎え入れた。

「やっぱりここだったか」

 指定席ともいえるカウンターのスツールにホームズが腰かけている。白いブラウスをジーンズにシャツインしているのは相変わらずだが、十年前と違って今ではこの着こなしが流行だというからわからないものだ。少し太めの眉にノーメイクという色気のない風貌は、大学時代と変わらず野暮ったく見える。それでも短めの髪をかきあげて耳にかける仕草を久しぶりに見た有田は、胸の高鳴りを抑える努力をしなければならなかった。

 学生時代から変わったことといえば、大きな丸い眼鏡をかけるようになったのと、本家本元のシャーロック・ホームズよろしく肩からケープを纏うようになった。ケープ付きコートではないが、喉元を紐で結わえる本格的なものだ。タータンチェック柄がお気に入りとみえて、いくつか色違いのケープをTPOによって変えているらしい。

 有田の声を聞いてカウンター席にいたひと組の男女が振り向いた。

「よお、有田。久しぶり」

「一平さん、来ていたんですか」

 有田がそう呼んだのは、大学のオークション同好会OBで一学年先輩の名古屋一平だ。殺人未遂で逮捕されていた一平だったが、減刑嘆願書により不起訴となって無事に大学を卒業することができた。

「わあ! 有田先輩いらっしゃい。私もいるわよ」

 弾むような声をあげたのは葛城リサ。タリウム事件の際に倒れた不破の傍で泣いていたリサが一平の隣に座っている。

 一平とリサは結婚こそしていないが、あの事件以来ずっと付き合っている。ちなみにオークション同好会の部長をしていたさゆりは、不破と結婚してオークションサイトを運営する会社の共同経営者だ。一平はその会社のプログラマとして働いているし、リサもフリーターとして時々はオークションリサーチの仕事を手伝うことがあるらしい。

 一平やリサだけでなく不破夫妻もベイカー街の常連になっていて、二年前にふたりが結婚したときには有田やホームズも出席した。二次会ではオークション同好会OBらとベイカー街を貸し切りにして朝まで飲み明かしたこともある。

「未明君が休みの日にスーツを着て私を訪ねてくるってことは難事件なのね」

 今日は水色のケープを纏ったホームズの瞳が丸い眼鏡の奥でキラリと光った。有田の相談する事件が難事件である程、張り切ってしまうのはいつものことだ。

「有田先輩お休みなんですか? 刑事さんに日曜日は関係ないだろうし……いつものスーツ姿ですよ?」

 リサがコテリと首を傾げた。

「襟に赤いバッジが付いてないでしょ」

 さすがホームズだ。有田の姿をひと目見て、本庁捜査一課ソウイチの刑事だけが付けることのできる『S1Smpd』の金文字バッジがないことから休日だと見抜いたようだ。

「なんだホームズに事件の相談か。じゃ俺たちは帰るけど何か役に立ちそうなことがあったらいつでも声をかけろよな」

 有田の表情から深刻さを読み取った一平はリサを連れて席を立った。

「私だって役に立つことあるからね」

 相変わらず転がるような弾む声を残して出て行ったリサと入れ替わりにホームズの隣に腰を下ろすと、マスターは手際よくいつものコーヒーを淹れ始めた。ホームズは話を促すかのように両肘をカウンターに乗せて手を組んだ。



この章のラストまで執筆済みなので定期的に更新します。

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