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天然ホームズの必然推理  作者: もとき未明
序章 必然的遭遇と覚醒
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容疑者ホームズ

 まだ発足したばかりのサークルで、部員集めに奔走していた学園祭の最中のことだった。十月も半ばというのに、夏の延長戦がいつまでも続いているかのように灼熱の太陽が照りつけていた。

「新しく発足した日本で唯一。いや、たぶん世界で唯一のサークルで、一緒に研究してみませんかー。人間の深層心理に語りかける『心理操作実践サークル』だよー。まだ、研究は始まったばかりだから、今なら誰でもエキスパートになれるよー」

 新参サークルの宿命らしく目立たない位置に追いやられたブース前で、これまた新参部長の有田が新入部員を勧誘しているときだった。

「心理操作ができるんなら、そのあたりを歩いている学生が入会するように操作すればいいじゃん」

 新入部員募集のチラシを手にして、見るからに生意気そうな女子学生が突っかかってきた。この勧誘チラシは、ウサギの着ぐるみを着たホームズがキャンパスのメイン通りで配っているものだ。

「いや、そんなふうに人の心を自由に操るような怪しいサークルじゃないんだよ」

 いら立ちを抑えるように有田は答えた。

「十分怪しいサークル名だよね。じゃあどんなことをするの?」

 女子学生はにこりともせずに、冷ややかな表情のままだ。ホームズのすまし顔に似てなくもないが、さらに上を行く変わり者である可能性を読み取った。それでも、せっかくこのブースまで来たのだから、少しは興味があるはずだ。ホームズの心理操作には及ばないまでも、貴重な新入部員候補をゲットするべく、なんとか魅力を伝えなければならない。

「興味があるなら是非入会してみないかい? 心理学をさらに一歩発展させたもので、自己理解と自己実現を探ることで相手の行動を予測しようとするんだ」

 ほとんどホームズの受け売りであるが、有田は『行動を制御する』とは言わず、『予測』という言葉でニュアンスをぼかした。

「予測? 占いと何が違うの?」

「占いは結果がどうなるのか他力本願だけど、心理操作は、こっちの意図する方向に導くことができるんだ」

「それなら催眠術と一緒じゃん」

「んー、催眠術とも違うんだよなあ。相手の意識を眠らせた状態で誘導するんじゃなくて、意識がある状態で周りの人みんなを幸せへと導くんだ。とてもひと言で説明できるような簡単なものじゃないんだよ」

「なんだか怪しい宗教みたいね」

 女子学生は、反論しかけた有田が口を開く前にチラシを押し付けて、人ごみに紛れるように行ってしまった。

 生意気な女子学生の扱いにはホームズでさんざん慣れているつもりだったが、奮闘むなしくあえなく撃沈した。

「やっぱ、俺じゃ最後の詰めが甘いな。それにしても勧誘チラシを持った学生が良く来るよな。どんな誘導したらこんなチラシ一枚でこのブースまで呼び込めるんだよ」

 つい、愚痴っぽくなってしまったが、これこそホームズが得意としている『しゃべらずに誘導する』ワザで、有田はこれまでに何度も目にしており毎回驚かされている。

 心理操作は催眠術ではないと説明されていても、ホームズの心理操作は言葉だけでなく身振りや表情などを使って、催眠術をかけているのではなかろうかと見紛うほど鮮やかに誘導されてしまう。

 今日のホームズは頭から着ぐるみを被っているので表情すら使えないはずなのに、この日だけでチラシを手にした学生が百人以上、有田が待ち受けるブースを訪れ、数人の申し込みがあったのだから大収穫だ。本当は有田が着ぐるみでチラシを配り、ホームズがブースで受け付けした方が結果的に入会者は多いのかもしれないが、最終的な判断は心理的な誘導をしないで、本人の意思によって決めてもらいたいという有田の方針によりこの分担にしていた。


 ブース前の人波が途切れて、有田が大きく背伸びをしたときだった。

「キャーーー」

 甲高い悲鳴が少し離れたブースのテントから聞こえた。悲鳴を聞けば助けを呼んでいると考える有田は、迷わず悲鳴のした方へ駈け出した。

 そこは、焼きそばの露店を出しているオークション同好会のブースだった。数人の学生が見守るように取り囲み、その中心で半袖シャツ姿に白い軍手をはめた男子学生が、倒れたまま「痒い。痒い」と訴えながら苦しがっている。

「救急車を呼んでちょうだい!」

 同好会の部長らしき女子学生が駆け寄ってきて、男子学生を抱き起こした。

「不破君! しっかりして」

 不破と呼ばれた学生の意識はあるようだ。呼吸困難ほどではないが、喉を掻きむしるように痒がっている。顔の下半分と首周りに赤い発疹が無数にできているのが見える。

「リサ、何があったの?」

 部長は傍らで震えている小柄な女子学生に問いただしている。

「水野部長……不破先輩はずっと焼きそばを作っていて……喉が渇いたと言って、脇にあったペットボトルの水を飲んだあとに倒れて……私もどうしてなのかわからない」

 リサと呼ばれた学生は、そこまで言うとうずくまって泣き出した。

「この水ですね」

 いつの間にかやってきていたホームズが、ペットボトルを拾い上げながら言った。首から下はピンクの着ぐるみで、ウサギの頭部を脇に抱えたホームズの姿に、皆一瞬目を見開いたが、真剣なまなざしに圧倒されたかのようにリサは小さく頷いた。

 不破が倒れたときに放り出したためだろう、ペットボトルの中身は四分の一ほどしか残っていない。

「リサさん。不破さんはどれくらいの水を飲んだのか教えてくれる?」

「ペットボトルは満タンでした。不破先輩はゴクゴクゴクって……半分くらいを一気飲みしたんです。そうしたら見る見るうちに赤いブツブツが出てきて倒れたんです」

 リサはそこまで言うと、また泣き出した。

 次の瞬間、周りから大きなどよめきが起きた。

 見ると、ペットボトルの臭いを嗅いでいたホームズが、中身の水を飲んでいるのだ。悲鳴を上げている女子学生もいる。

「ホームズ! 何やってるんだ。やめろ!」

 慌てて止めようとしたが、ホームズは平然とした顔をしている。

「大丈夫よ、ひと口だけだから。大事な証拠物件を飲み干すなんてしないわよ」

「いや、そういう事ではないだろう……」

 心配して伸ばした有田の手が、行き場を失って宙を泳いだ。

「無味無臭のようね……」

 水の味を噛みしめるように考え込んでいたが、不破のシャツをめくって首元を確認すると、何かが閃いたのか突然顔を上げた。

「この中に美術部の人いる? 看板を書いた人でもいいわ。水性の絵の具を持っていたら、すぐに出してちょうだい」

 取り囲んでいる大勢の学生を見渡しながら、大声で呼びかけた。

「絵の具ならここにあるけど、何に使うんだよ」

 人垣をかき分けて、男子学生が絵の具を差し出した。

「未明君、この紺色と藍色の絵の具をコップに出して水で薄めて頂戴。早く!」

 有田もワケがわからないが周りの学生たちもワケがわからず、あたふたと紙コップと新しい水が用意され、有田は絵の具の水溶液を作った。

「これを不破さんに少しずつ飲ませてあげて」

 またも周囲から異様なざわめきが起きた。

「大丈夫よ。美味しくはないけど、飲めないほど不味くもないわ」

 ホームズの「大丈夫」は口癖なのだろうが、いつもピントがずれている。

 普通だったらとても指示どおりにはしないだろうけど、有田はホームズが毒物研究という変わった趣味があることを知っている。ホームズの指示に従って不破を抱き起こし、濃く深みのある紺青の液体を飲ませた。不破は一瞬眉間に皺を寄せたが、有田の自信ありげな表情に安心したのか素直にすべてを飲み干した。

「あとは静かに寝かせておいて、救急車に任せるしかないわね。それと警察も呼んでちょうだい」

 ホームズが平然と言ったとき、有田の横で成り行きを見守っていた教授らしき男が声を荒らげた。

「とんでもない! ただ気分が悪くなって倒れただけなのに、警察を呼ぶ必要はないじゃないか。救急車に任せておけばいい」

 大学側としての体裁なのか、なるべく警察沙汰を避けたいようだ。

 それを聞いたホームズは、教授の傍に近寄ると小声で告げた。

「これはれっきとした殺人未遂事件です。いえ……万が一、処置が間に合わなければ殺人事件になるのですよ」

 ホームズの真剣な表情と言葉に気押されて、教授は慌てて携帯電話を取り出し、自分で警察に連絡をとり始めた。


 先に救急車が到着して不破が運びこまれた。ホームズが救急隊員に何か話しかけると、不審な表情をあらわにした顔でホームズを見ていたので、有田も近寄ってみた。

「……とりあえず紺青中和の応急処置だけしているので、早く体内洗浄をすればまだ助かるはずです」

 ウサギの着ぐるみを着たままのホームズが、救急隊員にだけ聞こえる声で告げていた。

 救急車がサイレンを鳴らして走り去った数分後にパトカーが到着した。パトカーから降りた刑事は、まっすぐにホームズのところへ走ってきた。

「おい君。事情を聞かせてくれないか」

 刑事がホームズの腕を掴んで問いただした。おそらく救急隊員から、ウサギの着ぐるみを着た女子学生が事情を知っているはずだと連絡があったのだろう。

「何から話せばよろしいでしょうか」

 ホームズは、ウサギの頭を抱えたまま落ち着いている。

「まず、救急隊員に患者がタリウム中毒だと言ったのは何故だ。君が飲ませたのか」

 刑事が問い詰める口調でホームズを睨みつける。

「不破さんが飲んだ水がこれです。この中にタリウムが入っているとわかったからです」

 ホームズが例のペットボトルを差し出す。刑事は眉間に皺を寄せてキャップを取ると、おそるおそる臭いを嗅いだ。

「何も臭いはしないし普通の水のようだぞ。君が入れたから知っているとしか考えられないじゃないか!」

 さらに厳しく怒鳴りつけたが、ホームズは平然とした顔だ。

「酢酸タリウムは無色透明なうえに無味無臭ですよ。それでも微妙な味と舌触りを私が見抜いたからわかっただけです」

 ホームズは普通に話したつもりでも、刑事に理解できるはずがない。

「味を見抜いたって? いかにも味見をしたみたいな言い方をするな!」

 恫喝にも近い大声を上げた。

「すみません。ひと口だけですけど味見しました。ごめんなさい」

 ホームズはペコリと頭を下げた。

「馬鹿言っちゃいかんよ。ペットボトルの水を飲んで倒れた人間がいるのに、君はその中身を味見したって言うのかね」

 ありえないだろうという表情で、同意を求めるように周りの学生たちを見渡していたが、異様な空気を感じ取った刑事の顔色が変わった。

「本当に飲んだのか? 君は大丈夫なのか」

「はい。私は少しくらいの毒なら日頃から味見して鍛えているので大丈夫です。それに、私もさっき紺青中和の水溶液を飲みましたから」

 ホームズが「大丈夫」と言うたびに、周りが不安になることを本人は自覚していない。

「しかし、タリウムを飲んだとしても、すぐには症状が出ないんじゃなかったかな……」

 刑事は、いつの間にかホームズを掴んでいた手を放している。

「よくご存じですね。毒物に詳しい刑事さんがいて驚きです」

「つい最近、近県でタリウムによる殺人未遂事件があったばかりだからな。今回は水を飲んですぐに倒れたそうじゃないか。タリウムの中毒症状に痒みなんかないだろう」

「皮膚の赤みや痒がりようをみると、被害者は金属アレルギーなんじゃないかと思います」

「確かにタリウムが重金属の一種だと聞いたことはあるが……」

 それでも刑事は、首を傾げたままだ。

「今日のような炎天下でやきそば作りをしていた不破さんは、脱水症状の一歩手前だったのではないでしょうか。そこへタリウム入りの水を一気飲みしたことで、急激なアレルギー反応を起こしたんだと思います」

「で、紺青中和なんて治療法を知っている君もすごいが、よく準備できたな」

「紺や藍色の顔料には、鉄分が含まれているんです。水性の絵の具も同じ成分ですから、大勢の学生が居て助かりました」

「え? 被害者は金属アレルギーじゃなかったのか」

「もちろん、顔料の鉄分も金属アレルギーには良くありませんが、体内に吸収されるよりましです。酢酸タリウムの主成分である金属質は、鉄分と結合しやすいので体外へ排出するのに効果的なんです」

 ホームズの説明によると、タリウムを多量に体内に吸収してしまうと全身の痛みの末、歩行も困難になり、最悪の場合は死に至るとのことだ。治療開始は早ければ早い方が良いわけだ。警察がペットボトルの成分を調べてタリウム中毒だとわかる頃には手遅れになっている可能性があるので、紺青中和の応急処置を施し、救急隊員にもそれなりの治療をするよう指示したのだという。

「それで……君はかなり詳しいようだが、タリウムが簡単に手に入るものじゃないって知っているよね」

 刑事もようやく、ホームズが善意の女子学生であると理解したようだ。

「酢酸タリウムは、細菌培養の研究をする際にカビ防止剤として利用することが多いので、この大学の薬品庫にも常備されていると思いますよ。町の薬局でも普通に殺鼠剤として売られてはいますけど、市販品は間違えて飲まないように黒く着色されているので、水に溶かしてもこんな透明にはならないんです」

 ホームズが説明しているところへ鑑識班がやってきて、ペットボトルの水の成分や有田が作った水溶液なども念入りに調べた。刑事たちはオークション同好会メンバーや隣のブースの学生などへの事情聴取を始めた。

 有田も『変な液体を飲ませた張本人』として最初に事情聴取を受けたが、病院に向かっていた刑事から、「適切な応急処置により一命を取り留めそうだ」との連絡が入ったおかげで、早々に解放された。



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