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天然ホームズの必然推理  作者: もとき未明
一章 時効が呼ぶ必然
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九品寺直弥

 三人で今日の聞き取りと捜査本部から送られてきた写真を整理していると美里が慌ただしく飛び込んできた。

「ちょっと、未明君。私も捜査会議に入れてくれる約束でしょ」

 どうやら、三人が二階に上がるのを見つけて、アルバイトを休憩して来たようだ。

「ミリちゃん、いらっしゃい」

 美里推しの野沢が嬉しそうに声をかけたが、美里は野沢の方を振り向きもせずにホームズの前にある多肉の鉢に駆け寄った。

「これってこないだ雑誌を見ていて欲しいって言ってた多肉でしょ!」

「そうなのよ、実はね…………」

 ホームズと美里が多肉談義で盛り上がっている間、有田と野沢は資料を整理しながら早苗殺しと真鍋の死に共通点がないかを探していた。こうしてみると、警視庁の分室で捜査会議をしているようにも見える。苦虫を噛み潰した顔の剣崎を連想した有田は、思わず苦笑いした。

 真鍋の自宅から発見された写真のコピーを机に並べているとき、美里が一枚の写真に反応した。

「これってマスターじゃない? すごく似ているんだけど……」

 その写真には、手入れの行き届いた庭をバックにふたりの男が並んで写っていた。日付は入ってないが、スーツを着て帽子を被っている真鍋は三十歳前後くらいに見えるので、倉見の運転手をしていた頃だろう。

 隣に写っているのは全身白い服装のコック姿で、長い調理帽を被っている背の高い男だった。口髭はなくて今より痩せているけどマスターの面影がある。その写真に添えられている捜査本部の注意書きによると、「真鍋の隣に写っている男の名前も所在も不明」となっている。

「ミリちゃん、良く気が付いたね。マスターの顔って僕はそんなにジロジロ見たことないから、言われないと気づかなかったよ」

 野沢に褒められて、美里はドヤ顔をしている。

「捜査本部でも不明の男ってなっているから、ミリちゃんの大手柄だね。早速マスターに事情を聞いてみようか」

 有田の提案で、四人はベイカー街へ下りて行った。

 有田とホームズがいつものカウンター席に座り、野沢も有田の隣に腰を下ろした。美里は休憩中に溜まった洗い片づけをするためか厨房に入っていった。ベイカー街で捜査会議という名の打ち合わせをするときは、普段であれば奥のテーブル席を使用するのだが、今日は他のお客さんが使っていた。

「少しお話をうかがってもよろしいですか」

 コーヒーを注文した後、有田がマスターに声をかけた。

「ここで事情聴取かい?」

 マスターが微かに眉根を寄せた。

「いえ、事情聴取ってわけじゃないんですけど、事件の関係者が持っていた写真について、マスターがご存知じゃないかと思いまして……」

 有田が取り繕うと、マスターは小さく頷いてカウンター越しに有田の正面に立った。

「この写真なんですけど、ここに写っているコックさんってマスターですよね」

 有田が例の写真をマスターに見せた。

 マスターは、何かを思い出すようにしばらく写真を見つめていた。

「ああ、これは随分前に倉見代議士のホームパーティで、世田谷の屋敷に呼ばれて料理を作ったときの写真だね。隣は確か運転手の真鍋さんだったかな。ぼくの作った料理に感激してくれて、記念写真を是非にと頼まれたので一緒に写ったんだな。ホテルの調理場をやめてフリーの雇われコックになったばかりのときだから……十七年くらい前だね」

 記憶が一旦戻れば、昨日のことのように蘇るようだ。

「真鍋さんとはそれからもお会いになりましたか」

 有田が質問して、マスターから見えないところで野沢が手帳にメモを取っていた。

「いや、会ったのはそのときの一回きりでしたね」

 マスターは淡々と答えているが、十七年前に一回会った初対面の人物の名前や会った場所まで正確に覚えているとは、超人的な記憶力だ。

「それにしても懐かしいなあ。そんな古い写真がどこから出てきたんです?」

「実は、真鍋さんが昨日亡くなったんですよ、まだ事件と事故の両面から捜査しているんですが、自宅からこの写真が発見されたというわけです」

 有田が説明すると、

「そうですか……亡くなったんですか。人当たりが良くて世渡りは上手なように見えましたけどねえ……」

 サイフォンを手入れしていた手を止めて、感慨深げに呟いた。

「秘書をしていた山科さんも同じことを言っていましたよ」

 ホームズが山科の話題を切り出した。

「そうそう、あそこのお屋敷には秘書さんがふたりいましたね。山科さんと烏丸さんだったかな。彼らともそれぞれ一緒に写真に写りましたね。あと新婚の奥さんもいましたけど、五年前に倉見代議士が亡くなったんですよね。奥さんの……彩花さんは元気にしていましたか」

 山科の名前が出たことで、当然その他の人への聞き込みも終わっているとマスターは思ったようだ。

「彩花さんも山科さんもお元気でしたが、烏丸さんは十六年前に事故で亡くなったそうですよ。ご存知なかったですか」

 ホームズが言いにくそうに答えると、マスターの口髭が少し動いた。

「事故で……」

 マスターは、ひとこと呟いて黙り込んでしまった。

「では、この女性を知りませんか」

 有田は早苗の写真をマスターの前に置いた。

 マスターは記憶を辿るようにしばらく写真を見ていたが、

「いや、知らない女性ですね」

 そっけなく答えた。

「それと申し訳ないのですが、捜査本部がこの写真について知りたがっているのです。形式的なことですが、本名と年齢を教えていただけますか」

 有田は丁寧に尋ねたが、マスターの答えは意外なものだった。

「名前は壁にある食品衛生責任者証の通り九品寺直弥くほんじ なおやといいますが、年齢を言うのは勘弁してください。令状でもあれば話さざるを得ませんけどね……」

 と、はぐらかされてしまったところへ「カランカラン」とお客さんが入ってきて、マスターへの聞き取りは自然と終了した。


 有田とホームズは再び二階の事務所に戻り、いつものように写真や情報の整理をしながら相談することになった。

 有田は今日の聞き込みの結果と例の写真について捜査本部に報告した。

「真鍋と一緒に写っている男は九品寺直弥、年齢不詳。十七年前に倉見雄一郎代議士の屋敷でホームパーティのコックに雇われたときの写真だった。現在は『ベイカー街』という喫茶店のマスターだ。以上」

 電話の向こうで「年齢不詳って何だ?」と聞かれたが、「捜査令状がなけりゃわからん」と有田も突っぱねた。本部の進捗状況を聞き取った有田が、ホームズに向き直って意見を求めた。

「どうやら捜査本部では、女将の殺人事件と真鍋が死んだ件を別件で捜査する方針になったらしい。真鍋の捜査本部は品川署に立てられて、両方の捜査情報を本庁で整理することになったんだけどどう思う?」

「どうもこうもないでしょ。真鍋さんに会った夜の空気感からして別件なわけないじゃない。私たちはこれまでどおり連続殺人事件として捜査するわよ」

 相変わらず主導権はホームズが握っている。これではどっちが刑事だかわかりゃしない。

「ところで、マスターの聞き取りには怪しいところがあったなあ……」

「そうね。烏丸さんの事故は『本当は事故じゃない』みたいな顔していたわね」

 有田が一番知りたがっているマスターの年齢なんかどうでもいいようだ。

「マスターの年齢っていくつなんだろう……」

「あの写真のマスターが四十五歳くらいに見えるから、今は六十歳くらいじゃない?」

 ホームズは、アバウトでいいと思っているようだが、刑事としてはそうもいかない。

「いや、ホームズの力でなんとか年齢を探ってもらえないか……」

 すがるように有田が言いかけたとき、事務所のドアをノックする音が響いた。

「今年で六十二歳になりますよ」

 既に開いていたドアの横に、マスターが笑顔で立っていた。



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