第八話「その花の名前は「サイネリア」。花言葉は「喜び」」
だが、アガベ=ブルームは、そんなか弱い女性ではない。
「オーホホホホホ! こんなに早く届くなんて、あいつら、どれだけ侯爵にゴマをすったのかしら~! 見たかったわ~! オーホホホホッ!!」
涙を流すどころか、それなりに、ここの生活を満喫し始めていた。
たくさんの石鹸と洗髪剤が届くと、アガベは自分の分を取り、残りは全て村人に分け与えた。
「遠慮せず、受け取りなさ~い」
もう彼女には、平民への偏見は無くなっていた。それどころか、戦いの手伝いをしてくれたお礼がしたい気持ちの方が強かった。
身分の高い人間を信じられなかった村人達にとっては、衝撃的な出来事だった。
「これが石鹸に洗髪剤!?」
「すごい! 髪がツルツルのサラサラだ!」
「僕の肌、赤ちゃんみたいになった!」
村人達は喜び、アガベの住む屋敷に何度も何度もお礼を言いに、足を運んだ。ついでに、採れた野菜や果物を置いていき、掃除や炊事を手伝ってくれるようになった。屋敷の壊れているところの修繕も始めてくれた。
アガベにとって、これは予想以上の結果だった。
住民達を喜ばせると、こんな場所でもそれなりの生活が送れる。
それを学んだ彼女は、屋敷の手伝いに来てくれた者を労い、定期的に送られてくる日用品を少しずつ彼らに分け与えた。
これに村人はますます喜び、彼女を崇拝し始めた。
こうして、アガベ辺境伯令嬢の噂は村から村へ、村から町へ、町から街へ、どんどん広がっていったのである。
そんな中。
「アガベお嬢様。今日の夕飯ですが……」
メイドの少女が、アガベの部屋に訪れた。
あの革製のトランクも一緒である。
部屋にはアガベがいた。彼女だけではない。村の女性が三人ほど待機している。
みんな、こちらを見て、ニヤニヤ笑っている……。
「……」
メイドは嫌な予感を覚えた。
「失礼しました」と、彼女はそそくさと部屋から出ようとする。
が、「お待ちなさい!」と主人の手が伸び、メイドの小さな肩を掴んだ。
「私、あなたのその恰好。もう我慢が出来ないんですの~~……」
目の奥からギラギラとどす黒い光が、メイドを覗き込む。
普通の子供であったら、泣き叫ぶレベルだ。
「お嬢様、怖い顔がますます怖いです」
「あんたはまたそうやって、主人である私を……」
一緒に過ごし始めて、わかった事がある。
このメイドは一言多い。
しかし、メイドがこうもズゲズゲと物を言うのも珍しい。独りぼっちになってしまった寂しさも相まって、アガベは彼女の「余計な一言」を楽しんでいるところはあった。
また、このメイドは身なりを気にしない。
石鹸や洗髪剤が届いたのに、メイドは一向に使わなかった。
「使いなさい」と命令しても、「嫌です」とそっぽを向いてしまう始末だ。
しびれを切らしたアガベはついに、村の女たちと協力して強行突破に出る事にした。
「やっておしまい!」
「はい、お姫様」
アガベが指を鳴らすと、女三人はメイドを取り囲んだ。
メイドは逃げようとするが、大人三人に囲まれてしまっては、子供は手も足も出ない。
「さあ、お姫様の命令だよ」
「綺麗にしようね」
「髪の毛、酷いね。これは切るしかないかもね」
あっという間に、メイドは女たちに抱えられ、浴室へと放り込まれてしまった。
「いや、あの、いいです! いいですぅぅ!!」
悲鳴に近い声を上げても、誰も聞いてくれず。虚しく少女の声が響いた。
そして……。
「お姫様。出来ましたよ」
「綺麗になりましたわ」
「さっぱりしたね」
女三人に連れられて、少女がうつむいたまま、部屋に戻って来た。
「そう。ありが……」
アガベは目を見開いた。
少女はまるで別人のようだった。
耳たぶまで切り揃えた艶のある黒い髪。メイドの頭飾りの下には、はっきりと目が見える。一重の三白眼で、目つきは非常に悪い。そばかすがあり、口は一文字に結ばれていた。
お世辞にも「可愛い女の子」とは言えない。が、その鋭い目には、誰にも譲れぬ強い意志を感じ、有望性を感じた。
「信じられない! 本当に、あなたなの!?」
アガベは驚いて椅子から立ち上がり、メイドの傍に近寄った。
メイド服も新しいものに変えられ、もう異臭はしなかった。
少女の傍にいるトランクも左右に身体を揺らし、筒から紫色の花びらを散らせる。
アガベはその花びらを手に取り、微笑んだ。
それは、サイネリアの花びらだった。
花言葉は「喜び」。
「いい仕事をしてくれて、感謝しますわ」
アガベは村の女性達に、小瓶に入ったハンドクリームを配った。
村の女性達は、アガベからのご褒美に目を細める。
「んまあ、ありがとうございます」
「みんな、喜びますよ」
「では、失礼します」
女たちが一礼をして、部屋から出て行く。
それでも、アガベはまだ興味深くメイドを見続けていた。
「ああ、いいですわ! 私のメイドですもの。もっと着飾ってもいいくらい」
「メイドが着飾ったら、おかしいです」
「こんな綺麗な髪をしているのに、もったいないわ」
「アガベお嬢様も貴族だなんて、もったいないですね」
「……あなた、本当に面白いわ」
アガベは満足そうに笑うと、椅子に座り直した。
やはり側にいる者は清潔感が溢れていた方がいい。それは、自分を着飾るだけでなく、(予定はないが)訪れる客への配慮とも言える。
「そう言えば、あなた、名前は?」
やっと人間らしい顔が見られて、アガベはメイドの名前を聞いていない事に気付いた。
アガベの質問に、少女は無表情で答える。
「好きなようにお呼びください。「お前」でも「あんた」でも……」
「私は名前を聞いているの」
「……」
メイドはため息をついた。
そして、漏らすように答える。
「……シャガと申します……」
「シャガ……」
その名を、アガベは反芻した。
シャガは日陰に咲く花だ。形も独特で、花言葉は「抵抗」。
まだ知って日が浅いが、この少女に相応しい名前だと思った。