第六話 「その花の名は「節黒仙翁」。花言葉は「転機」」
「っ!」
アガベ=ブルームは目を覚ました。
見たことのない天井が、視界に入る。
(そうでしたわ。お父様が反逆罪で捕まって、それで辺境の地に送られて……)
それで、あのオンボロな屋敷で寝ている……?
……いや、おかしい。どう見ても、木材むき出しの農家の家にしか見えない。
「え? ええ!」
横になっているベッドは、藁の山にシーツをかけただけのものだ。
部屋を見渡せば、どうもここはどこかの納屋のようで、藁の山が随所に置かれていた。
「ここ……どこですの……?」
「あ! お目覚めになったぞ!」
大きな声がして、アガベは扉の方を向いた。
扉に一人の男性の姿が見える。
擦り切れたオーバーオールを着ているところを見ると、村人のようだ。
外に目をやれば、太陽の光が燦燦と輝いていた。
闇ウルフは夜行性であり、かなりの大打撃を与えている。しばらく襲ってこないだろう。
「本当か!?」
「良かった、目を覚ましたんだね」
「おい、こっちに来いよ! お姫様のお目覚めだ!」
どんどん人の声が近づいて来る。
と同時に、どんどん人が納屋の中に入って来た。
「……」
アガベは思わずたじろいた。
村人たちは、お世辞も衛生的とは言えなかった。サイズの合っていない衣服に身を包み、シミだらけの荒れた肌をしている。同じ人間のはずなのに、お嬢様のアガベから見れば、別の生き物に見えた。そんな人間達に大勢に囲まれれば、警戒してしまう。
「あ、あの……」
恐怖を感じたアガベは逃げるべく、どんな言葉をかけようかと考える。
だが、アガベが何か言葉を発する前に、村人たちは一斉に頭を下げた。
「ありがとうございました!!」
「え」
アガベは目を何度も瞬きして、村人たちは見渡した。
男性も女性も年寄りも子供も頭を深々と下げている。帽子をかぶっているものは外し、中には膝まずいている者までいた。
涙を流し、何度も「ありがとうございます、ありがとうございます」と呟いている母親の姿が見えた。アガベが最初に助けた母子だ。
「貴族様。私はこの村の村長です」
一人の腰の曲がった男性の老人が前に出てきた。
ゆっくり歩くだけでも精一杯の様子で、アガベの目の前まで歩み出ると、村長は彼女の手をしっかりと握った。
「いっ!」
アガベは悲鳴を上げそうになった。今まで、見知らぬ人間に手を握られた事なんてない。
振り払おうかと思ったが、その手が突然濡れ、アガベは動きを止めた。
村長は泣いていたのだ。
「あ、ありがとうございます……。今までの領主たちは皆、我らの事を守ろうともしておりませんでした……。どんなに食われようと、怪我をしようと、構わず税として農作物を納めるよう伝えてくる。こ、こんな風に、守ってくれた事なんて一度もなかった……。……貴族様に……人間として扱ってもらい……こんな嬉しい事はないです……ありがとう、ありがとう……」
「……いえ、そんなつもりでは……」
アガベは返答に困った。
村人たちを助けたのは、あくまでおまけだ。
将来の希望を奪われた腹いせに、暴れただけだ。
感謝される筋合いはなかった。
「退け! メイド!」
「ここに、ブルーム辺境伯令嬢がいらっしゃるのだろう!?」
外が再び騒がしくなってきた。
村人たちの群れが、真ん中から二つに割れる。
なんと、あの見張りの兵二人が、鬼のような形相でこっちに向かってきたのだ!
「まだお嬢様は気付かれたばかりです! お引き取りを!」
そんな兵達に恐れもせずに、あのメイドが立ち塞がっていた。
一生懸命、進行を阻止しようとするが、彼らが片手で払っただけで、メイドはあっけなく倒れてしまった。
「ブルーム辺境伯令嬢! こんなところにいられては困りますな!」
「あなたは軟禁されている身! 屋敷を抜け出したなんて許される事はでない!」
「抜け出した? よく言う! お前らは闇ウルフを恐れて、逃げたクセに!」
大人に倒される事を、この少女は何とも思っていない。
何事も無かったようにメイドは起き上がり、兵達に再び噛みついた。
「う、うるさい! 黙れ!」
「小娘、それ以上言うと斬るぞ!」
「そうね、お黙りなさい!」
アガベが厳しい口調で、周囲を鎮めた。
それは、確かにメイドに向かって言っていた。が、目はしっかりと兵達を見つめている。
「私のメイドは、何を言っているのかしら?」
アガベはベッドから足を下ろし、背筋を伸ばした。
「この方々はね、助けを呼びに行ったのですよ。近くの村や町に」
「っ!」
メイドは目を丸くした。
いや、メイドだけではなく、納屋の中にいる村人たちもざわめく。
先ほど、村長が言っていた通り、今までの兵達は村人達を守ろうともしなかったのだろう。「助けに呼びに行っていた」なんて考えられなかった。
「仮にも兵である方々が、逃亡? そんなわけないでしょう?」
もうメイドに向かって話していない。
まるで演説のように、村人全員に向かって大きな声を出している。
こうなってくると、兵達も本当の事が言える雰囲気ではない。
「そ、その通りだ」
「我々は助けを求めに行っていただけだ」
「その隙をついて、私は屋敷から出てしまいました。大変、悪い事をしたと思っております」
反省したように、己の胸に手を当てて、アガベは頭を下げた。
だが、内心、アガベは不敵に笑っていた。
待っていたのだ。彼らが嘘をつく瞬間を。
「しかし、残念ながら、助けは間に合いませんでした。彼らは申し訳ないと思っているそうです。だから……」
逃げた二人が戻って来た姿を見た瞬間、アガベには一つの策が舞い降りていた。
それは、このどん底の軟禁生活を少しでも良くする方法だ。
「お詫びに、石鹸と洗髪剤を皆様にお配りするそうですわ」
「え」
「え」
兵二人は目が点になった。
この世界にも石鹸と洗髪剤はある。ただし、魔法を使って作成する為、値段が張るのだ。平民が手を出せる代物ではない。
恐らく、彼らが主人であるフルール侯爵に、何度も何度も頭を下げて懇願すれば、侯爵が石鹸と洗髪剤を届けるように手配してくれるかもしれない。が、容易い事ではないだろう。
「ちょ、ちょっと待て!」
「何だ!? その話は!」
当然のように、兵の二人はアガベに異議を申し立てた。
だが、遅いのだ。
アガベの嘘に合わせてしまった今。彼らは弱みを握られていると同じである。
「あら。違うのかしら? ではなぜ、屋敷にいなかったのでしょう? まさか、このメイドの言う通り、本当に逃げたのかしら? ……違いますわよね? そんな噂が街で流れてごらんなさい。フルール侯爵殿にとっては、相当な恥ですわよ~? あなた方、タダでは済みませんわ」
アガベは上品そうに笑いながらも、目は獲物を狙う瞳で見ていた。
「従わなければ、本当の事を国中にぶちまける」とでも言っているようだ。
軟禁されている身とは言え、貴族の令嬢。国中に親戚、知人はいる。噂を流す事くらい造作もない事だ。
「ぐっ!」
「畜生……!」
言葉に出さぬ圧力に、頷くしかない。
「ええい、わかった! 我々は逃げてはいない! 助けに行ったが、間に合わなかったのだ! お詫びに、石鹸でも何でもこちらに届けるよう、願い出てやる!」
「あなた様は、早く屋敷に戻ってくるように!」
悔しそうに口を歪めながら、二人の兵は納屋の外へと出て行った。
二人の姿が見えなくなると、メイドの少女は頭を下げる。
「お見事です。アガベお嬢様」
「わかりましたか? あなた。本当の事を言葉にしてしまってはダメですわよ。馬鹿正直は、この世界で生きづらいですから」
兵達に意見を述べたメイドに、アガベはブリッソー男爵令嬢の姿を思い出した。
男爵令嬢は他人だからいいが、このメイドは違う。自分の専属になるのだから、少しは教育しなければならない。
「心得ておきます。本当に、お嬢様は根性が曲がっていらっしゃる」
「その通りですわ……ん?」
何か今、奇妙な事を言われたような気がした。
いや、聞き間違いだろう。
メイドが主人に「根性が曲がっている」なんて言うわけがない。
「そんな根性が曲がっているお嬢様に、お願いがあります」
「……」
聞き間違いではなかった。
メイドはしっかりとハッキリと言った。
「根性が曲がっている」と。
「あ、あんたね……」
「村人達によると、あの森は闇ウルフだけが生息しているわけではないそうです。もっと強い魔物がいるとか。かと言って、いつまでもお嬢様に頼るわけにはいきません。いつ、お嬢様がここを去ってしまうか、分かりませんので」
「……そうかもしれないわね」
メイドの無礼は、とりあえず置いておくとして。
アガベは遠い目で未来を見つめた。
命まで捨てる覚悟をしていたのだ。助かったとは言え、未来は真っ暗だ。この軟禁生活に、いつ終止符が打たれるのかも分からなかった。
「そこで、お願いです。彼らに魔法を教えてください」
「……なんですって?」
アガベは鋭い目を丸くした。
魔法を教える?
一日中、畑仕事をしている村人達に?
……出来るわけがない。
「何を言っているの? 魔法は貴族のみが使える神業で……」
そこまで言って、アガベは言葉を呑みこんだ。
いや、目の前のメイドは魔法が使えたではないか。
しっかりと目に焼きついている。
「これからは、彼らの力だけで魔物を追い払う力が必要なのです。お願いします」
メイドが深々と頭を下げる。
それに合わせるように、村人達も同時に頭を下げた。
「お願いします!!」
「……」
貴族とは言え、まだ若き令嬢。
こんな大人数に頭を下げられた経験はなく、アガベはすぐに返事が出来なかった。