第四話「その花の名前は「アザミ」。花言葉は「私に触るな」」
村は凄惨な事になっていた。
木造の質素な家が次々と壊され、住民達が次々に襲われている。
誰かが火で闇ウルフを追い払おうとしたのか、松明の火がつき、それが家屋に移り、あちらこちらで火が燃え広がった。
「やめてえぇぇ!!」
村の隅で、一人の母親の声が響いた。
崩れかかっている家屋の前に、幼い男の子が闇ウルフに鋭い牙に足を噛まれていた。そのまま、闇ウルフ達の群れの中に引きずられようとしている。
闇ウルフの毛並みはその名の通り、闇のような黒色だ。夜行性で、闇夜の中、赤い瞳と白い牙が浮き上がる。その姿に人は皆、怯えていた。
「うわぁぁん!! 母ちゃあぁぁぁん!」
「誰かぁぁ!!」
母親は声の限り叫び、息子の手をしっかりと握りしめた。
引きずられたら最後。あっという間に、捕食されてしまう。
しかし、皆、自分や自分の家族を守るのに懸命で、誰も手を差し伸べられない。
「いやあぁぁぁ!!」
母親は叫ぶものの、息子を掴む手の力はもう限界だ。
汗で滑り、手が痺れ、ついに息子の腕を離してしまった!
その時だ!
「おどきなさい!」
一つの人影が現れたかと思うと、眩い光を放った!
水の玉が闇ウルフに直撃する。
闇ウルフは驚き、思わず男の子の足を離し、後ろへ飛び退いた。
「いつまで、そこにいるのです! 動けるなら、早く逃げなさい!」
金色の髪をなびかせ、アガベ=ブルームが魔法で攻撃したのだ!
「は、はい!」
避難を促され、母親は地面を這いずるように、息子を抱き寄せた。
「お母ちゃん!」
「ああ、良かった」
母親は涙を流しながら、愛息の生存を確かめる。足を負傷しているが、歩行は可能そうだ。
母子はアガベに一礼すると、すぐにその場から去った。
だが、安心したのも束の間、すぐにあちらこちらから悲鳴が聞こえてきた。
「ったく、私の身体は一つですのに。困ったものですわね」
軽くため息をつく。
空を見上げてれば、満天の星。
(死ぬ前に見るには、素晴らしい景色ですこと)
アガベは、寂しそうに笑みを浮かべた。
それから大きく息を吸い込むと、目の前の闇ウルフを睨みつける。
「さあ! 行きますわよ!!」
手をかざすと、先ほどよりも強い光が、手の中に集まってくる。
そして、目の前にいる闇ウルフに放った。
「ふんっ!」
先ほどよりも魔力を使った、強い水の魔法だ。
一匹だけでなく、近くにいた闇ウルフも薙ぎ払う。
「ほらほら! 出てきなさい! 私が地獄に叩き落としてやりますわ!」
高笑いをしながら、アガベは村中を駆けずり回る。
家屋の中や外にいる闇ウルフ達を見かけては魔法を放ち、次々に村人達を助けた。
「おーほほほほっ! おーほほほほほほ!!」
「……」
いつも放っておかれていた村人達も、まさか貴族の、しかも令嬢が助けてくれるとは思わず、現実が受け入れられない。
最初は、そのなりふり構わず魔法を放つ姿に、悪魔が到来したのかと思ったくらいだ。
「お、おい……。もしかして、あれは父親が反逆罪で捕まったとかいう、お姫様か?」
「今日、あの丘の屋敷に着くとか言っていたな……」
状況を徐々に理解する。
たった一人の女性に助けてもらっている事に気付いた村人達は、自分達のすべき事を悟った。
「女子供は一か所に集まれ! 何人かの男達で、ここを守ってくれ!」
「他の者達は、あのお姫様を助けに行くぞ!」
「鋤や鍬を持て!」
アガベ令嬢に後をついていく村人達が、どんどん増えていく。
それに気付いたアガベは、村人達に避難するように促した。
「な、何をやっていますの!? 早く安全な場所へ!」
だが、村人達は頑なに首を振る。
「いいえ! 俺達の村です!」
「貴族のお姫様一人置いて逃げたなんて、情けない事は出来ません!」
「そうだ、そうだ」
普段、平民と会話なんてした事がないアガベは、彼らにも誇りがあるのだと知った。今までは「ただの労働者」としか見ていなかった。
「……そう。分かりましたわ」
アガベが魔法で闇ウルフ達に攻撃を与える。まだ生きていれば、村人達がとどめを刺し、彼女をサポートした。
身分の差を超えた共同作業が、順調に行われていく。
しかし。
あと一歩。
闇ウルフを村から追い出し、あとは森に追い返すだけ。
そんな、あと一歩の状況で……。
アガベの魔力は尽きた。
「……はあ~~~」
大きくため息をつく。
アガベの魔力は、女性にしては強い。
それでも、長い時間、魔法を使い続けてきたのだ。
尽きるのは当然であった。
「ど、どうしました? お姫様」
とどめの攻撃をなかなかしないアガベに、村人が声をかける。
アガベは困った顔を少しもせず、わざとらしいまでに肩をすくめた。
「魔力が尽きました。あと一回しか使えません」
「え」
アガベをサポートしてきた村人達が、顔を見合わせる。
あともう少しだと言うのに、あと一回しか魔法が打てない……。
だが、アガベは自信満々に言い放った。
「今から、私はあの闇ウルフの中に入り、残り一回分の魔法を使いたいと思いますわ」
「え。それじゃあ……」
「私は殺されるでしょうね。でも、最期の魔法は強力ですので、追い出す事は出来ると思いますわ」
「……っ!」
村人達は青ざめた。
自ら敵の中に入って、己の命を散らそうと言うのだろうか?
「皆さま、ありがとうございました。まさか、私が皆さまに助けてもらえるとは思いませんでした。このアガベ=ブルーム、厚く御礼申し上げますわ」
ドレスのスカートをつまみ、姿勢を良く、お辞儀をする。
その美しい姿に、村の男達はため息をついた。
今までこんな美しいお辞儀は見たことが無い。「これが貴族のお姫様か」と感じ入り、心底痺れた。
「では、少し離れていてくださいませ」
そう言って、踵を返し、闇ウルフの群れに向かって行く。
闇ウルフも分かっているのだろう。
この攻撃が終われば、人間達の攻撃は終わりだ、と。
自分達も無傷では済まされないはずなのに、闇ウルフ達は逃げなかった。ただ、うなり声をあげて、アガベを睨む。
アガベも物怖じもせず、闇ウルフの中に入っていった。
彼女の足音が、闇ウルフの群れの中で響く。
一匹が我慢できずに、咆哮を上げた。
ワオウーン!
その途端。
一斉に闇ウルフがアガベに向かって襲い掛かってきた!
(さようなら……ポピー様……)
好きな男性に別れを告げて、アガベは最期の魔力に放とうとした。
だが。
「アガベ様!」
少女の声がした。
誰かと振り向いた途端、アガベは信じられないものを目にした。
「っ!」
激しい光と共に、水の玉が飛び出したのだ!
これが貴族なら、驚きはしない。
これくらいの魔法なら、性別関係なく、ほとんどの者が放てる。
しかし、魔法を使ったのは……。
「ええっ!!」
あのメイドだったのだ!
アガベは頭が真っ白になった。
(ありえない、ありえない。魔法は貴族が、貴族のみが許された神業ですわよ! なんで、こんな少女が……、生まれも育ちも卑しそうな少女が使えるんですの!?)
一瞬、人違いかと思った。
しかし、彼女の横に、あの奇妙なトランクがある。
メイドの少女で間違いなさそうだ。
「アザミの花を!」
今までなぜ話さなかったのかと思うほど、メイドはハキハキと喋っている。
彼女の声に反応するかのように、トランクの煙突から、紫色の細長い何かが噴出された。
少女はそれを手にする。
「くっ!」
一瞬、メイドの顔が歪んだが、すぐにそれを辺境伯令嬢に渡す。
「な、何?」
「それが何か、アガベ様ならお分かりでしょう!?」
何の事を言っているのか分からないまま、アガベはメイドからそれを受け取った。
その瞬間、手に刺激が走る。
「痛っ!」
思わず、手の中を見る。
細くて長いトゲが、容赦なく手の平を突き刺していた。
そして、トゲと同じ形の紫色の花びらも混じっている。
「これ……、アザミの花?」
「それに魔力を込めて、花言葉を言ってください!」
「え、え?」
「いいから!」
アガベは先ほど、メイドが「アザミの花を!」と叫んでいた事を思い出した。
あのトランクがその言葉を理解して、アザミの花びらを出したのだろうか。
「アガベ様。闇ウルフが攻撃してきます! 早く花言葉を!」
見れば、闇ウルフの群れがこっちににじり寄って来る。先ほどのメイドの攻撃くらいでは、後退はしてくれそうにない。
「アザミの花言葉……」
アガベは花びらに、残った全ての魔力を込めた。
「この花の名前は「アザミ」。花言葉は……」
私に触るな!
それを合図に、アガベの手の中が……アザミの花びらが目もくらむばかりに輝いた。
「なっ!」
だが、驚くのはまだ早かった。
光ったアザミの花は姿を消す。
その途端!
地面が揺れ始めた。
「地震!?」
立っていられなくなるほど揺れ、アガベや村人達が身を伏せる。
だが、それは地震ではなかった。
直後。
地面から、無数のトゲが突き出してきた!
「っ!」
アガベは我が目を疑った。
それはアガベや村人達を……いや、村全体を取り囲んでいる。しかも、闇ウルフに向かって伸びていた。まるで村を守る城壁のように。
「な、なに、これ……?」
これが魔法だと言うのなら、強力すぎる。
男性でも、ここまでの魔力を持つものはなかなかいない。
それを……自分が……使った……。
キャイン キャイン
さすがにたまらず、闇ウルフの群れは森へと撤退していった。
一匹一匹、森へ帰る姿をアガベは呆然と見ている事しか出来ない。
「お見事です、アガベ様。私でしたら、ここまで大きな魔法にはならなかったでしょう」
「……」
すぐ隣に、メイドが立っている。
当り前のように、革製のトランクが控えていた。
「な、なんで……?」
アガベの頭は混乱していた。
この魔法は何?
あなたは貴族なの?
なぜ、魔法が使えるの?
そのトランクは?
中に何が入っているの?
「……」
父親が逮捕され、自分は軟禁される身となった。
それだけでも大変だったのに。
それを上回る、想像以上の事が次々に起こった。
そして、魔物達を追い払った今、緊張の糸が切れたのだろう。
アガベは……気を失ってしまった。
「アガベ様!」
少女が慌てて、介抱する。
明るくなってきた空が、アガベ辺境伯令嬢の顔を優しく包んでいた。