第三話「その花の名前は「紫の芍薬」。花言葉は「怒り」」
こんなに寂しい夕食は、初めてであった。
実家なら、両親と年の離れた弟と食べていた。
学校であれば、同級生達と談笑しながら、食事を楽しんでいた。
それなのに……。
今は一人だ。
夕飯は兵達に支給されたパンとスープのみ。
屋敷の一番広い大部屋の中、たった一人で食事をする。すきま風が吹いてくるので、毛布を羽織った。そんな自分が惨めに思えてきた。
壊れた窓から月が見える。いつもなら「綺麗」とウットリした気分になっていたのに、今は恐怖が心を支配してくようだった。
「……」
味のない食事を終え、天井を仰ぐ。
所々に蜘蛛の巣が見え、ますます気分を落ち込ませた。
そこに、カラカラと乾いた音が耳に入る。
扉に目を向ければ、あのメイドがトランクと一緒に立っていた。
メイドは廊下の奥を指して、一礼する。
言葉には出さないが、何が言いたいのかはわかった。
「湯浴みの準備が出来たのかしら?」
「……」
メイドは再び頭を下げた。
少女の姿が、年の離れた弟の姿と重なった。
(ああ、弟は大丈夫かしら? お母様と一緒だとは言うけれど、そのお母様もお父様と同じくらい気が弱いし……)
一人で不安な思いを抱えていると、どんどん嫌な方向に考えてしまう。
アガベは大きな不安に、心をかき乱された。
(どうして……どうして、こうなったの? これから、私はどうなるの? 今まで、自分を殺してきた意味は!? 本当は今頃、私はポピー様と幸せな結婚生活を送っているはずだった! はずだったのに!!)
不安が苛立ちへと変わっていくのに、時間はかからない。
つい、目の前にいる立場の弱いメイドに矛先が向いてしまった。
「何よ……。何よ、何よ! あなた、話せないわけではないのでしょう!? 話しなさい!」
大きな音をたて、椅子から立ち上がり、少女の方へと向かっていく。
いつもなら、アガベは子供相手に怒鳴ることなんてしない。
だが、家族から引き離され、貧しい生活を強いられ……。精神的に限界が来ていた。
「この私が、このアガベ=ブルームが、こんな惨めな事になって、馬鹿にしているのね!? お父様は無罪よ! 何かあったのよ! あんたに馬鹿にされる筋合いはないわ!」
メイドの襟を捕まえようと、アガベの腕が伸びる。
だが、その前にトランクが間に入って来た!
「え」
メイドがトランクの取っ手を掴んで、自衛したようには見えない。
トランクが自ら動いたように見えた。
少女を守る忠犬のように。
「な、何?」
アガベが目を丸くしている間に、トランクの煙突から何かが飛び出した。
赤紫色の薄くて小さいものがいくつか飛び出て……下に舞い降りる。
「っ!」
飛び出したものが何か分からず、アガベは身構えたが、その正体がすぐにわかり緊張を解いた。
花びらだ。
「こ、これ、芍薬の花びら?」
「……!」
正解だったのか、メイドはハッとしたように顔を上げた。
だが、アガベは更に踏み込んだ推測をする。
「紫の芍薬。多年草で、薬にも使われる花。花言葉は「怒り」。……ん? 怒っている? 誰が? あなたが? え、まさか、このトランクが?」
「……」
この時、アガベとメイドは初めて顔を合わせた。
表情は見えないが、メイドが辺境伯令嬢に興味を持ったかのように見える。
辺境伯令嬢もまた、このメイドに興味を持ったように。
「一体、何事だ!?」
「怒鳴り声が外まで響いていたぞ」
白銀の鎧を着た兵が二人、乾いた音を立てて近寄って来た。
彼らが平民出身の見張りの兵達なのだろう。確かに、立ち姿や話し方からして、貴族ではなさそうだ。
「あの……」
子供相手に苛立ちをぶつけていたなんて、恥ずかしくて言える事ではない。
返答に困っているアガベの耳に、不吉な鳴き声が入って来た。
ワオウーーン……
オオカミの遠吠えだ。
それと同時に、丘のふもとの方から人の叫び声が聞こえてきた。
「助けて!」「きゃー!」「うわあぁぁ!!」
アガベは歪んだ窓から外を見つめた。
集落がありそうな場所が燃えている。
襲撃だ!
アガベの頭の中に、昼間に聞いた隊長兵の言葉が蘇った。
「森の中から、「闇ウルフ」が出てきて、時々、村を襲っているようです」
「ひっ! あ、あれ、闇ウルフか!?」
「マジか!? こ、こっちに来ないよな!?」
見張りの兵は、闇ウルフの襲撃に尻込みしている。
闇ウルフ相手にうろたえる兵を、アガベは見た事がない。普段、自分はどれだけ強い兵達に守られていたのか、改めて自分の恵まれた環境を想った。
「嫌だよ! こえぇ!」
「食われたくない~~!!」
泣き声に近い悲鳴を上げて、兵二人は屋敷から飛び出してしまった。
「え。……うそ、でしょ……?」
アガベは呆気にとられた。
自分達には目もくれず、一目散に逃げていく男二人の姿に、開いた口が塞がらない。
しかし、村から響く悲鳴は、嫌でも現実にアガベを連れ戻した。
「情けないですわね。あの兵達も……私も……」
アガベはため息をつき、首を振った。
己の無力を嘆き、子供に八つ当たりした自分と、逃亡してしまった兵達。
一体、何が違うのであろうか?
我ながら呆れる。
「さて。私はこれから、夜の散歩に行ってきます。あなたは、ここで待機していないさい」
「……!」
メイドは首を振った。
散歩ではないと分かっていた。恐らく、アガベはこれから丘を下り、村に行くのだろう。
「父親が捕まったくらいで、泣いて悲しんでいるなんて……。私らしくもない。ましてや、子供に当たるなんて、最低でした。どうせ鬱憤を晴らすなら、モンスター相手にした方がいいですわね」
そして、ポツリと「……もう私の人生は終わっているのですから」と漏らした。
メイドは、更に強く首を振った。表情は見えないが、心配している気持ちが伝わってくる。
それでも、アガベは進み続ける。
「では、行ってまいります。簡単な魔法なら使えますから、ご心配なく。闇ウルフなんて五秒で終わりですわ」
長い髪をなびかせ、アガベは顔を上げて笑った。