第二十一話 「その花の名前は「アガパンサス」。花言葉は「誠実な愛」」
「判決を下す! ブルーム辺境伯を無罪とする!」
裁判所に、大きな歓声が響き渡った。
卒業パーティの日から拘束されていたブルーム辺境伯が、自由の身となる。
辺境伯一家は全ての罪から解放されたのだ!
「お父様! お母様!」
アガベは貴族の娘である事を忘れ、一人の娘として家族の元へ走り寄った。
父と母、娘と幼き息子は、お互いを抱き寄せ、体温を確かめ合う。
この瞬間をもって、アガベの軟禁生活は終止符を打った。
元の美しい領地へと帰り、平穏な日々を過ごす……。
「……わけにはいきませんよ」
エーデルワイス王子にきっぱりと言われ、アガベは顔をひきつらせた。
元の辺境伯の領地に、アガベは戻る事は出来た。
が、数日後に王都に呼び出されたのだ。
第二王子エーデルワイスに。
「フルール家の処罰の事は聞きましたか?」
「……はい」
謁見室に通されたアガベは、紅藤色のドレスに視線を落とした。
今回の件で、フルール侯爵は逮捕された。
国家の滅亡を謀るのは重罪である。
元フルール家の当主は終身刑。一生、牢獄から出る事は難しいだろう。
だが、フルール家そのものは断絶されなかった。子息のポピーが父親の罪を暴いた事が酌量の余地に当たると、判断されたようだ。
男爵へ降爵されたものの、フルール家は残ったのである。
「フルール家の領地は「華美の集い」の一部を除き、没収しました。今回の件、ニチリン国の外務官に訴えましたが、「知らぬ存ぜぬ」で話になりません」
エーデルワイス王子はため息をつく。
本当は強く訴えたいのに、外国相手ではなかなか難しいようだ。
「それで今、「黄昏の丘」は空いている状態です」
「……はい」
「そこの領民達から山のような手紙をもらいましてね。貴女を呼び戻して欲しい、と言うのですよ」
「……っ!」
アガベは全身が震えた。
第二王子の前でなければ、喜び、踊っていただろう。
ついこの間まで、一文字も書けなかった村人達が、自分の気持ちを紙にしたため、上の人間に伝えた。
夢物語だと思っていた。
身分を超越した世界が、今、実現している……!
「正直、驚きました。農民に文字が書けるわけがない。そう思っていましたから。どこの貴族諸侯かと思って読んだら……」
その後を続けず、エーデルワイス王子は目を細めた。
「無礼だ」と怒るのではなく、笑っている。
平民が文字を書いた事を、笑って受け止める懐の深さに、アガベはホッとした。
「貴女を休ませるわけにはいかないようだ。……アガベ=フルール辺境伯令嬢」
王子が立ち上がる。
何か重要な事を宣言する前触れに、アガベは深く頭を下げた。
「貴女に女辺境伯の爵位を与え、黄昏の丘への赴任する事を命ずる!」
「……え」
王族を前にして、アガベは間抜けな声を出してしまった。
今、エーデルワイス王子は何と言った……?
「お、女辺境伯……?」
「不服ですか?」
「あ、いや、滅相もない事で……」
頭で理解しようと、何度も何度も王子の言葉を頭で繰り返す。
しかし、どうしても受け入れる事が出来ない。
「え、女の私が……領主になるという事でしょうか?」
「たくさんのラブコールが届いているのです。……まったく、どんな手を使ったのか……」
嫌味で言っているわけではない。
爽やかな笑顔から察するに、どこか嬉しそうではあった。
「知っての通り、我が国では、女性が領主を務めた前例がない。……でもね、実はセイチョウ国にはすでにいるのですよ。女領主が」
「……んまあ」
ふと、アガベは学生時代に聞いた、ブリッソー男爵令嬢の言葉を思い出した。
「しかし、大気の国セイチョウには、すでに存在すると噂が……!」
あの噂は誠であったのだ。
仕方がなかったとは言え、簡単に相手の伯爵令息に同意したことをアガベは悔いた。
よく調べてから、意見を言うべきであった。
「もう時代は、そういう流れなのです。我が国が、時代の流れに取り残されるわけにはいかない。そこで優秀な貴族令嬢と平民の子供を数人、セイチョウ国へ留学させる事になりました。是非、アガベ女辺境伯とそのメイドにも行っていただきたい」
「……っ!」
アガベは後ろを振り向く。
そこには、黒いスカートに白いエプロンを着用した一人の少女が控えていた。
筒を付けたトランクと一緒に。
少女の頬は恍惚し、顔いっぱいに笑顔を浮かべた。
「アガベ様、ありがとうございます」
「シャガァァァ!!」
あの時。
死の魔法を受けたシャガが息をせず、少しも動かない様子を見て、アガベも村人達ももうダメだと思った。
アガベは無我夢中だった。
藁にもすがる思いで、青いバラに魔法を込めた。
すると、シャガが光に包まれた。
気が付けば。
シャガがアガベの前に立っていたのである!
自分でも驚いたように、己の身体を見渡して。
「お嬢様?」
「シャガ……」
なかなか現実を受け入れられない。
「奇跡」の魔法が発動した事に気付いたのは、しばらく間を置いてからだ。
「シャガァァァァ!!!」
その時のアガベの顔は、もうクシャクシャで。
我を忘れて、シャガに抱きついた。
「良かった! 良かったぁぁ!!」
「お嬢様、痛いです……」
シャガが強すぎる抱擁を訴えても、アガベはシャガを放さず、いつまでもいつまでも抱きしめていた。
太陽が昇り、新しい一日が来た事に気付くまで。
ずっと。
まだ青いバラの魔法が続いているような気分だ。
王子の謁見を終え、廊下に出たアガベ女辺境伯とメイドのシャガは手に手を取って、笑顔を交わした。
「信じられない。私が女領主よ……」
「いえ、アガベ様は民から慕われています。領主になるべき器です」
「あなたも願いが叶うわね、シャガ」
「……はい」
シャガの顔色がバラ色に染まり、目がキラキラと輝いている様子に、アガベは愛おしさを覚える。
こうして向き合って、未来の事について話しているなんて、今でも信じられなかった。
「ど、どうしたらいいのかしら!? これから忙しくなるわ。セイチョウ国はこの世界で最も栄えている国と聞くし! ああ! ファッションの事を調べなくちゃ! 流行に合っていなければ、田舎者だと馬鹿にされてしまう!」
期待が更に期待を膨らませ、アガベは興奮状態だ。
だが、相変わらず、シャガは落ち着いている。
「お嬢様を馬鹿にするなんて……そんな命知らずがいますでしょうか」
「え?」
「お嬢様、返り討ちにするでしょう?」
「んまあ。あなた、私を何だと思っているの!?」
「この国初の女領主です」
「その通り。もちろん、二倍三倍で仕返ししてやりますわ」
「ああ。セイチョウ国での、我が国の評価が怖くなってきました」
貴族令嬢とそのメイドが、まるで女学生同士のように談笑している。
その姿が珍しく、行き通う兵達や諸侯貴族はつい視線を奪われる。
眉をしかめている者もいるが、この世の流れの変化をそこに見た者もいた。
「あら、ポピー様」
王宮の玄関ホールで、アガベは一人の青年に声をかける。
元婚約者のポピー=フルールだ。
明るく活発な印象の赤髪の青年だったが、すっかり影を落としていた。
父親が逮捕され、爵位は落ち、領地のほとんど没収されたのだ。
あどけないままではいられないだろう。
「アガベ様」
「……え」
ポピーから「様」付けされて、その現実を突きつけられる。
ポピーは今や男爵。
辺境伯である自分の方が爵位は上になったのだ。
「聞きました。女領主になること。おめでとうございます」
「……」
先ほどの歓喜はどこへ行ったのか。
アガベの瞳は、絶望の色へと変化していった。
「あ、あの……」
「しかも、セイチョウ国へ留学されるとか。これからのご活躍、ますますお祈り申し上げます」
「……」
そうだ。
そういう事なのだ。
自分の家族の冤罪が証明される事は、フルール家の没落を意味する。
もう元の関係には戻れない事を、嫌が上でも思い知らされた。
「あ、ありがとう……」
アガベはそれしか言えなかった。
もっと言いたい事はたくさんある。
ポピーからもらった優しさが心の中に残って、今でも求めているのだから。
「今日は……王宮にどんな用で?」
涙を拭いながら、無理して笑顔を浮かべる。
この瞬間、アガベも幼さを脱ぎ捨てた。
凛々しい顔つきへと変わり、落ち着いた雰囲気を纏わせる。
「はい。デルフィニウム教授の居場所が分かりましたので、その報告に」
「教授の?」
シャガが復活し、村の人達と一緒に大喜びしたアガベであるが、気になる事があった。
デルフィニウム教授の所在だ。
どこを見ても、姿が見えなかった。
煙のように消えてしまったのである。
「はい。後でアガベ様にも報告があるでしょう。……あともう一つ。結婚の許可をもらいに参りました」
「結婚?」
アガベは首を傾ける。
この流れで「結婚」という言葉が出てくるとは……。
しかし、誰と誰が結婚するのだろう?
「ポピー様」
すると、ポピーの後ろから一人の令嬢が現れた。
なんとも、懐かしい顔だ。
アガパンサス=ブリッソー男爵令嬢である。
珊瑚色のドレスを揺らし、ポピーの傍らに寄り添う。
「まあ、アガベ様ではありませんか。お久しぶりです」
「……え、あ、そ、そうね……」
嫌な予感がする。
聞いてはいけないと、第六感が叫ぶ。
それでも、好奇心に抗えず、アガベは確認するしかなかった。
「あの、もしかして、結婚って……」
「ええ。僕とアガパンサスです。僕たちは結婚します」
「……っ!」
とんでもない現実を突きつけられ、アガベは固まってしまった。
そんなアガベの前で、ささやかな幸せを手に入れた二人は微笑み合う。
「落ちぶれてしまった僕の家でも、アガパンサスは支えてくれると言ってくれました。僕の太陽です」
「申し訳ありません、アガベ様。私、ずっとポピー様をお慕い申し上げていたのです。でも、侯爵様では私と釣り合わず……。こんな事を言うのは不謹慎ですが、同じ男爵になった事で、やっと想いを伝えられましたの」
「いや、僕だって、ずっと君が気になっていた。でも、身分が……。今回、爵位が落ちたのは残念だけど、こうして意中の人と一緒になれた事、嬉しく思う」
「……」
ポピーの言葉がアガベの心に突き刺さる。
「ずっと君が気になっていた」
「意中の人と……」
つまりだ。
ポピーは自分と婚約中の時にも、本当はアガパンサス令嬢に心を寄せていたという事だ。
相思相愛だと思っていたアガベは、完全に打ちのめされた。
自分達は大人の都合で別れたと思っていた。
まさか、最初から失恋していたとは……。
「そ、そう……。それでは、お幸せにね……」
もぬけの殻になったアガベは、魂が抜けた状態で王宮を出た。
その姿は、風に揺れる柳のようにフラフラだった。
帰りの馬車の中。
真っ白になったアガベが口を開けっ放しで、宙を見つめていた。
知らない人が見たら、ただの阿呆な令嬢だ。
「……な、なんで……こうなるの……?」
「知りません」
シャガは本を読みながら、冷たく突き放した。
アガベならすぐに立ち直る。
そう信じているからだ。




