第十九話 「その花の名前は「エーデルワイス」。花言葉は「高貴な勇気」」
「あー。助かったぞ、ポピー」
黄昏の丘を、馬車が通る。
テッセンのツルから逃げた侯爵は、ついでに戦いから脱線した。
いくら筆頭公爵の人間でも、頭がおかしい人間とは協力出来ない。
何かあったら、全てを教授のせいにして、知らんふりするつもりだ。
黄昏の丘にある森を抜け、辻馬車でも拾おうとしたところ、フルール侯爵家の家紋の入った馬車が通りかかったのだ。
「そんな都合のいい事が」と思ったが、息子の姿を確認した時には驚いた。同時に喜んだ。
「お前がこんな所を通るとはな……」
席にもたれかかり、侯爵は安堵のため息をついた。
よく見れば、ポピーの隣には、黒いフードを目深にかぶった男が座っている。
だが、ポピーはその男に関して、何も言わない。
「この辺りは、うちの領土でありますから。視察は領主の義務でしょう」
何も言わないので、フルール侯爵も何も聞かない事にした。
今、難を逃れたばかりなのに、余計な情報を頭に入れたくなかった。
「お前は、こんな夜に視察しているのか?」
「ええ。父上と同じですね」
「……」
どうも、息子のポピーは父親である自分が領地視察をしていると思っているようだ。
当然、侯爵は本当の事を言う事が出来ない。
「あー、そうだ。息子のお前には言っておこう」
身内の顔を見て安心したのか。
話の話題を変えたかったのか。
侯爵の舌は、よく回った。
「フルール辺境伯の裁判を、近日中に終わらせるつもりだ」
「近日中?」
「これで、フルール辺境伯の家は断絶だ。領土は没収。そしたら、私がこの土地をもらうつもりだ。この辺一帯は我らの領土になる。お前の土地になる可能性もあるのだ。だから、もっと気を引き締めて……」
そこで、侯爵は口を止めた。
「この辺一帯が我らの領土になる」
自分で言って、違和感を覚える。
なぜ、そんな事を自分は言ったのだろう?
「この辺りはうちの領土でありますから」と、目の前の人間が言ったからだ。
……家族にすら公表していない情報なのに。
「公爵になる為ですか?」
「っ……!」
フルール侯爵は息を呑んだ。
一緒に馬車に乗っている人間は息子のはずなのに。
とても息子とは思えないほど冷たくて、それでいて絶望の色に瞳が染まっていた。
「すいません。この書類を納屋で見つけてしまいまして……」
ポピーは静かに一枚の書類を取り出した。
それを見て、フルール侯爵は視界が歪む。
ニチリン国との密約書だ!
馬鹿な! 隠してあったはずだ!
知っている人間は、ごくわずかなはずなのに!
しかも、先日、確認したばかり……。
確認……。
(しまった!)
そこで、フルール侯爵は初めて気が付いた。
騙されていた!!
「エーデルワイス王子が何か証拠を掴んだらしいです」
そう言われて、この書類がエーデルワイス王子に渡ったのかと、焦った。
だから、確認をした。隠し場所に行って。
その後をついてきていたのだ、息子ポピー=フルールは!
「フルール辺境伯の領土を没収したら、隣国ニチリンに貸す事を約束すると書いてありますね」
ポピーは書類を指で弾いた。
「恐ろしい話です。もし、ニチリン国に貸したら、ニチリン国がそれを足掛かりに我が国に攻めて来るかもしれない。ましてや、「華美の集い」と挟み撃ちをしたら、我が国の領土はほとんど奪われてしまう。いや、国が乗っ取られてしまうかもしれない。……その見返りに「公爵」の地位ですか?」
「返せ!」
侯爵は慌てて、ポピーからその書類を取り返そうとする。
しかし、父の指示は従わず、ポピーは隣に座っていた黒いフードの男に、その書類を渡した。
「貴様、その書類を返してもらおうか! 誰だか知らんが、悪いようにはせん!」
マントの質からして、男は地位の高い貴族ではなさそうだ。
侯爵の自分から口止めに何をもらえるのかと思えば、喜んで書類を渡すだろう。
「流石に、これは渡せませんよ。フルール侯爵」
黒いフードがとれ、男の顔が露わになる。
爽やかな声と共に。
「なっ……!」
侯爵は動けなくなってしまった。
その人は「侯爵からの褒美」程度では、靡かない貴族だったからだ。
「エーデルワイス王子殿下……」
フルール侯爵は、力なくうつむいた。
明るい金色の髪に、鼻筋の通った顔。
目の前にいる人間は、間違いなくスイメイ国の第二王子エーデルワイスである。
「すいません。卒業パーティでの一件が気になったものですから、ポピーに指示して、調べさせてもらいました。ここ数年、貴方は水面下でいろんな事をやっていたようですね。ここの土地を買ったり、ニチリン国と密会していたり……」
「……」
侯爵の顔が青ざめる。
数年前、フルール侯爵にニチリン国から申し出があった。
「ブルーム辺境伯の土地を手に入れる事はできないか?」
そこに「公爵」という餌が見え隠れしていたので、つい飛びついてしまった。
ニチリン国が我がスイメイ国を滅ぼそうとしている事に気付いたのは、後の事だ。隣の「黄昏の丘」ではなく、ブルーム辺境伯の土地に執着していたのは、こちらの方が色とりどりの草花が咲き誇り、魔力が増大するからだろう。しかし、それに気付いた時には、もう後戻りできない状態になっていた。
「王子の地位を利用して、私はポピーに酷い事を命令しました。「父親を見張れ」なんて、嫌な任務だっただろうに」
「いえ」
王子の言葉に、ポピーは首を振った。
表情は暗く沈んでいる。だが、その声に迷いの色は無かった。
「フルール家当主が何をしたのか。我が目でしかと確認出来て、良かったです。私を使っていただいた事、感謝します」
「フルール侯爵。我々はあなたを追って、ここまで来ました」
ポピーの言葉を受け、王子は彼の父親を見据えた。
申し訳なさもあるが、きちんと断罪すべきだ。それが真摯に対応してくれたポピーへのお礼である。
「貴方は、国家を危険にさらそうとした。それは到底、許す事は出来ない! 厳罰に処すと思え!」
「……ぐっ!」
侯爵は唇を噛みした。
これから我が身にかかる不幸を考えると、後悔で拳が震える。
その手に、そっと息子の温かい手が触れた。
「もっと僕が早く気付くべきだった……」
声が涙で曇り、眉間の皺に悔しさを滲ませている。
だが、その声は温かく包容力に溢れていた。
「共に地獄へ参りましょう、父上」
「……うっ……うっうっ……」
朝の光を浴びて、馬車が裁判所へ向かう。
その道中、フルール侯爵はただ泣く事しか出来なかった。




