第十八話 「その花の名前は「イベリス」。花言葉は「甘い誘惑」」
その夜は静かだった。
村の人達は息を潜めて過ごしているし、森の動物たちも活発に動いていない。
嵐の前に相応しい静寂が、夜を包んでいた。
「屋敷から明かりが。いつもと変わらない状況、と言ったところですな」
「まあ、罠でしょうけどね」
静けさのベールを破り、人の会話が響く。
フルール侯爵とデルフィニウム教授だ。
屋敷から離れた森の中から、対象物をじっと観察している。
真正面から堂々と挑んでもいいのだが、それでは「魔法のトランク」の威力を見る事が出来ないと、教授が奇襲を提案した。
「さて、侯爵。私から離れない方がいいですよ。魔物に襲われてしまうかもしれないので」
「え」
教授は己の手の中を見つめた。
そこには白い小さな花びらがある。大きさは二種類あるようで、どこか色が褪せていた。
それもそのはず。この花の時期はとっくに過ぎていた。
(とっておいて正解だったな)
教授はほくそ笑み、魔力を花びらに込めた。
「その花の名は「イベリス」。花言葉は……」
「甘い誘惑」
魔力に満ちた花びらは一瞬、眩い旋光を放つ。
それが収まると同時に、教授の手から何とも言えない花の香りが漂ってきた。
「なんだ? この匂いは……!?」
あまりにも甘ったるい香りに、侯爵はハンカチを鼻に当てる。
それと同時に、周囲の異変に気付く。
先ほどまで、物音一つしなかったのに、次々と草のかすれる音や枝の折れる音が響き、しだいに大きくなっていた。
気が付けば、侯爵達は闇ウルフに囲まれていた!
「ひええぇぇ~~!」
思わず腰を抜かす侯爵だが、教授は物怖じしない。
楽しそうに周囲を見つめている。
「それでは、始めましょう」
デルフィニウム教授は今まで以上に目を細めると、闇ウルフ達に指示を出した。
地響きのような低い声で。
「襲え」
その途端。
闇ウルフ達は屋敷をめがけて、走りだした!
その姿は、まるで黒い嵐のようであった。
草花を蹴散らし、木々の間をすり抜け、闇ウルフ達は狂ったように屋敷に突入する。
鋭い牙が、閉ざされた門扉に向けられる。
その直前。
鋭いトゲが地面から出てきた!!
それは広範囲に広がり、帯状に屋敷を取り囲んでいる。
最初に、アガベが村を守った時に使った魔法だ。
悲痛な声を上げて、闇ウルフ達は後退する。
魔法で発生した巨大なアザミのトゲは、ウルフ達を傷つけ、敷地内への侵入を許さない。
「なんだ……これは……!?」
闇ウルフ達の後ろから、様子を見に来た侯爵達は目を丸くした。
ろくに領地を視察しない侯爵にとって、初めて見る魔法だ。今でも、村の周囲にトゲの壁は健在するというのに。
そんな侯爵には目もくれず、教授は感心したように顎を撫でた。
「ほう、アザミの花ですか。やりますね」
あらかじめ屋敷の周囲に、魔力を込めた花びらを配置していたのだろう。
あとは魔法を発動させるだけにしておいて。
これが夕食に言っていたアガベの仕掛けた罠である。
「こんばんは、デルフィニウム教授」
門扉の向こう側から女性の声がする。
クチナシ色のドレスを着ている地味な屋敷の住人、アガベ=フルール辺境伯令嬢。
その側にはトランクが控えていた。
が、トランクの主人であるシャガの姿はない。
教授は帽子をとり、頭を下げる。
「こんばんは。辺境伯令嬢。いい夜ですね」
「本当に。今夜は何用で?」
「実は、シャガを返してもらいに来たのです」
トゲと鉄柵を間に挟んでいるとは思えない程、二人の表情は穏やかだ。
だが、空気は気温以上に冷えている。
「まあ、残念ですわ。私、返す気は全くありませんの」
「そうですか。ならば、力づくで返してもらう事にしましょう」
帽子をかぶり直すと、教授は内ポケットから包み紙を取り出した。
中を開けば、そこには薄紫色のトサカ状の白い突起物が付いた花びらが入っている。
教授はその花びらに魔力を込めた。
「その花の名前は「イチハツ」。花言葉は「火炎」!」
かつて自分を襲った火の玉を発生させ、教授はトゲの壁に放り投げた。
トゲとは言え、植物だ。
火を付けられたら、たまらない。
あっという間に、火はアザミのトゲ一帯に燃え広がっていった。
「ひええ~~~! 火事だぁ!!」
フルール侯爵は、激しく燃える炎に怯えていた。
いくら関心のない領地でも、焼け野原になっては面白くない。
アガベは即座にトランクに指示を出す。
「その花の名前は「アジサイ」!」
魔法のトランクが、青色の楕円形の花びらをまき散らす。
アジサイは土壌の種類によって、色が変わる花だ。そこからついた花言葉は「浮気」。
それがさらに進化し「冷酷」となり、更にこんな花言葉も付け加えられた。
「花言葉は「氷」!」
魔法が放たれたところから、火が消えていく。いや、消えていくどころか、トゲが凍りつき始めた。
先ほどまで、屋敷の周囲は火が回っていたのに、あっという間に、トゲの氷像が立ち並ぶ。
「素晴らしい……」
デルフィニウム教授は、その魔力の強さに惚れ惚れした。
女性一人でこの魔力。
花を使った魔法は、やはり強力だ。
しかも、女子供も使いこなす事が出来る。
もし、どこかで戦争が起きたとしたら、これからは女子供も戦場に行くことが可能になる。
「侯爵殿。最高ですね!」
「……」
これには侯爵も、合わせて笑う事は出来なかった。
筆頭公爵家の人間と同じ力を、辺境伯の……しかも令嬢が持つなんて、恐怖でしかない。
(女だぞ! 女で、この魔力なのか!? なら、訓練された兵士達ならどうなる!? 五人もいれば、国が亡びるではないか! 冗談じゃない!)
魔法のトランクの威力に思わず飛びついたフルール侯爵だが、実際の力を見て、肝を冷やしてしまった。
タイミングを見計らい、「逃げてしまおう」とすでに離脱を考えている。
(なあに、大丈夫だ。例の契約書はこっちの手の中。辺境伯の領土をもらってしまえばこっちのものよ!)
もうフルール侯爵の中では、デルフィニウム教授との協力関係を切っていた。
そうとも知らず、デルフィニウム教授はうっとりと氷漬けのトゲを見つめている。
「テッセンの花を!」
アガベは、次の花をトランクに命令する。
大きくて白い花びらがトランクの筒から飛び出す。
「その花の名は「テッセン」。花言葉は……」
「束縛!」
地面が少し揺れたと思うと、土の中からテッセンのツルが飛び出してきた!
教授や侯爵めがけて、伸びてくる。
「ひい!」
「なるほど。そうきましたか」
ツルのスピードは、決して早くはない。
しかし、少しでも気を抜けば、足を巻きつけられてしまう。
足を上手く動かして、教授はツルから逃れる。
侯爵も逃げて逃げて逃げて……。
どこかへ姿を消してしまった。
教授は苛立ってきた。
トランクの威力は、充分見る事ができた。
より実験を重ね、より強力なトランクを開発したい。
ここで足を止めている時間はない!
(それには、あの女が邪魔だな)
悪意をぎらつかせ、教授はアガベを見据えた。
ここで「イチハツ」を使って、ツルを燃やしてもいいが、すぐにアガベが魔法を発動させるだろう。
教授は内ポケットから新たに花を用意した。
あまり使いたくなかったが、念の為に用意した最後の花だ。
この花を、この世の兵士達が使ったら、世界は終わるだろう。
最悪の花言葉を持つ花を、教授は取り出した。
ちょうど、その頃。
シャガが、玄関口から顔を出した。
アガベの指示で、屋敷の奥に隠れていたのだ。だが、魔法が激しく炸裂する音がする度に、ただ隠れているだけの自分に罪悪感を覚えてくる。
「これはあなたを守る為の戦いですわよ」
アガベの言葉を思い出す。
今、自分の為に主人が戦ってくれている。
だからこそ、自分が戦いたかった。アガベの役に立ちたかった。
トランクには、「しばらくアガベ様の指示に従うように」と言っておいたが。
自分自身も魔法が使えるのに、「屋敷で待機」はもどがしい。
少しだけ様子を見ようと、そっと覗き込む。
「……!」
激しい魔法の攻防があった事がわかる。
どこか焦げ臭いのに、屋敷の周りは氷漬けにされたトゲがたくさん並んでいた。
視界の端で、鞭のようなツルが何かを捕まえようと、しなる姿を確認する。
「教授。……えっ」
教授が内ポケットから何かを取り出している。
白くて小さな花だ。お辞儀をしているかのように、下を向いて咲いている……。
その花の正体を知った途端、シャガは飛び出した。
「アガベ様!!」
同時に、教授が魔法をこめる。
その花に込めて。
「その花の名前は「スノードロップ」。花言葉は……」
「あなたの死を望む!!」




