第十五話 「その花の名前は「タンジー」。花言葉は「宣戦布告」」
三日後。
「断ると言ったのか!?」
約束通り、フルール侯爵が「黄昏の丘」に訪問した。
今回は、教授もポピーもいない。
数人の兵を引き連れて、一人で来たようだ。
「別れは済みましたかな? では、メイドとトランクをいただきましょうか」
侯爵は応接室には入らず、玄関ホールでシャガを差し出すように指示した。
まるで、当然のように、アガベがシャガを引き渡すと思っているようだ。
だが。
アガベは拒絶した。
意表を突かれ、侯爵の顔は真っ赤になる。
アガベは優雅にドレスの裾をつまみ上げ、頭を下げた。
「申し訳ございません、フルール侯爵様。何度でも申し上げますわ。私は、メイドのシャガを引き渡すつもりはありません。どうぞ、お引き取りを」
「か、家族の命運は私が握っているのだ! 分かっているのか!?」
「お父様は無罪です」
「そんなのは、お前が決める事ではない。私が決める事だ!」
裁判官でもないフルール侯爵の言葉とは思えなかった。
しかし、彼が裁判に影響を与える力を持っているのも、確かだ。
このまま感情的に怒声を吐くのかと思いきや……、
急に侯爵は大人しくなり、落ち着いて話を始めた。
「なるほど……。ならば、覚悟をしておく事ですな。今夜、その大切なメイドとトランクがどうなっても知りませんぞ」
侯爵は踵を返し、荒々しく玄関の扉を開けた。
冷静に戻ったかのように見えて、苛立ちは隠しきれていない。大股で歩き、肩をいからせ、引き連れた兵達に罵声を吐いている。
「今夜……」
大きな音を立てながら、玄関の扉が閉じる。
アガベはその音を聞きながら、侯爵の言葉をポツリと復唱した。
「まったく! これだから、女が知識を持つと、ろくな事にならない! 反抗ばかりしおる!」
屋敷の外で待たせていた馬車に侯爵は乗り込んだ。
時間はかからなかったものの、手ぶらで帰る事になってしまった事に、侯爵は怒りを抑えられない。
「教授。あなたの言った通りです。あの女、「絶対に渡さない」と言ってきました!」
馬車の中には、デルフィニウム教授が控えていた。
自分がいると、シャガが出てこない。そう思って、馬車から下りなかったのだが……、意味のない事であったと、自嘲の笑みを浮かべる。
「まあ、予想通りですよ。驚く事ではない」
「本当に腹立たしい! 平民の娘なんかの為に、私に歯向かいおって。これだから、女は! バカで困る!」
身分の低い令嬢が、自分に逆らう事がよほど気に入らないらしい。
癇癪を起す侯爵に、優しく強く教授は語りかけた。
「侯爵殿」
「はい」
「私は身分や性別を理由に、人を否定するのは好きではありません」
「……」
侯爵の怒りは一気に鎮まった。
マスク越しからでもわかる。
教授の目がドス黒く、侯爵を睨んでいる事を。
怒りよりも恐怖が心を支配していく。
「え、あ、いえ……すいません……」
「それよりも、きちんと言ってくださいましたか? 「今夜、メイドとトランクがどうなるかわからないぞ」と」
「はい。相手がメイドとトランクを差し出さなかったので、教授のおっしゃる通り、「今夜」と強調して、言いました」
「ありがとうございます」
アガベは、シャガとトランクを引き渡さない。
その場合に備えて、教授は対応策を侯爵に授けていたのだ。
「しかし……、あれでは宣戦布告です。今夜、襲撃するように聞こえます」
「その通りですよ」
「え」
教授は、この国の筆頭公爵ツヴィトークの人間だ。
そんな高貴な人間が、犯罪に自ら手を染めようと言うのであろうか。
「見たくありませんか? あのトランクがどれだけの威力を発揮するのか。私は見てみたい。開発したのは、私ですからね」
「あ、あまり、騒ぎを起こすような事はしないでいただきたいのですが……」
「ふふふっ。メイドとトランクを返してもらうだけの事ですよ。心配なさらず」
教授は笑っているが、侯爵の気持ちは晴れない。
大きな事件になれば、必ず国から調査団が派遣される。
あまり自分の領土を、いたずらに探られて欲しくはなかった。
「嗚呼、あのトランクを利用すると、どれだけの破壊力があるのでしょうね? この領土を壊すほどだったら、素晴らしいと思いませんか?」
「……」
教授はギョッとした。
「領土を壊す」なんて、侯爵は望んでいない。
しかし、この人間、デルフィニウム教授ならやりそうだ。
この時、侯爵は初めて、組む相手を間違えたのではないか、と後悔した。
(このままでは私の計画が危うい。念の為、例の契約書を確認しよう。エーデルワイス王子が探っているようだしな)
教授の言葉に愛想笑いを浮かべ、侯爵は馬車を出すように指示を出した。




