第十話 「その花の名前は「シラン」。花言葉は「不吉な予感」」
「ブルーム辺境伯令嬢が学校を始めただと!?」
たくさんの人や物が行き通う街、華美の集い。
その街の一番大きい屋敷に、フルール侯爵の怒鳴り声が響いた。
高価な調度品が並ぶ執務室の中央で、白鎧を着た兵が二人、震えて膝まずいている。
アガベの軟禁生活の実態が、ついにバレてしまったのだ。
見張りの兵達から、何故か「石鹸や洗髪剤を」とたくさん要求されてくる。最初は断ったのだが、あまりにもしつこいので、諦めて手配した。犯罪者の家族とは言え、女性だ。身ぎれいにしておきたいのだろうと思った。
しかしだ。
最近は「羽ペンにインク、そして紙」など、不自然なものまで請求してきた。不審に思った侯爵は、見張りの兵達を問い詰めたところ、アガベの黄昏の丘での生活が明らかになったのである。
「わ、我々は止めようとしたのです……!」
アガベを見張る兵達は震えた声で、弁明を始めた。
侯爵の怒りを見て、こちらに罰が下るのではないかと、内心ビクビクしているのだ。
「それなのに、あのわがまま令嬢、「従わなかったら、あの事を国中に言いふらす」と……」
「おい!」
そこまで言ったところで、もう一人の兵が脇を小突いた。
「自分からばらしてどうするんだ」と、思いっきり睨みつける。
だが、侯爵は聞いていなかった。
事件の事は気にしていたが、辺境伯の家族の事なんか……特に、令嬢の方は頭に入ってなかった。
彼女の軟禁生活の実態を聞いて、苛立ちを隠し切れない。
「住民達に慕われて、隣の村や町からも訪れる人が増え続けているなんて……。ただの噂だと思っていたわ!」
アガベの噂は、ここ華美の集いにまで届いていた。
身分の関係なく、話を聞き、必要とあればモンスター退治に出かけるとか。アガベの身の回りの世話をすれば、それなりの褒美を与えてくれるとか。
「女一人でモンスターをどうやって倒すのだ? 大体、平民達に読み書きを教えて……どうする?」
「失礼しますよ」
突然、ノックもせず、執務室に一人の男が入って来た。
黒いロングコートに黒いロングブーツという黒づくめの男だ。背の高い黒い帽子をかぶっている。が、それが無くても、背丈はそれなりに高そうである。
奇妙な事に、男は仮面をつけていた。何か見せられない事情があるのか。仮面舞踏会に付けるような派手な仮面である。
「……誰だ!? 貴様は!」
「ここをフルール侯爵の屋敷と知っての狼藉か!」
あまりにも奇妙な出で立ちに、兵士二人は立ち上がり、剣を構えた。
それを見て、フルール侯爵は一喝する。
「止めろ! 貴様ら! せっかく、デルフィニウム教授が私に会いに来てくださったのだぞ!」
「は、はぁ……?」
咎められても、兵士二人はピンと来ていない様子だった。「デルフィニウム教授」の名前を初めて聞いた顔をしている。
そんな二人を見て、フルール侯爵は頭を抱えた。
「ああ。これだから平民出身は。この方は、魔法学の権威だと言うのに」
フルール侯爵は犬でも追い払うかのように、兵士二人に向かって手を払った。
怪しい人物と主人を、二人だけにする事に負い目を感じながらも、兵士達は部屋から出て行った。
「いや~、聞きましたよ、フルール侯爵。あなたの管理する「黄昏の丘」。面白い事になっているみたいじゃないですか」
二人の兵達が去るのを確認すると、教授はフルール侯爵の目の前まで歩み寄った。
室内だと言うのに、帽子もコートも脱がない。それに、仮面をつけていても、その奥から見える鋭い眼光が見え隠れしていた。
少し異様な行動に、フルール侯爵は冷や汗をかく。
「え、あ、そ、そうなんですよ……。アガベとかいう辺境伯令嬢が、周囲のモンスターを倒したり、貴族が使う日用品を平民達に配っているらしく……。軟禁されている身のくせに、やりたい放題でして……」
「あ~、噂は本当でしたか」
教授は嬉しそうに自身の顎を撫でた。
貴族が、ましてや令嬢が、そんな事をするなんて聞いた事がない。「もので釣る」と言えば聞こえは悪いが、それで令嬢にとっても、村人達にとってもメリットがあるのなら、悪くない関係だ。
「はい。しかも、最近は学校を開くらしく、「羽ペンやインク、紙」をよこせと、ますます要求が酷くなりまして……」
「学校を!?」
仮面の下の口元が、三日月に笑った。
必要以上に教授の顔が、侯爵の顔に近づく。あまりの恐ろしさに、侯爵は後ろにのけ反った。
「そ、そうなんです……」
「伯爵。もしかして、その辺境伯令嬢にはメイドが付いていませんか? 革製のトランクを持った十歳の女の子です」
「さ、さあ!? まあ、令嬢ですからな! メイド一人くらい、付けてもおかしくないでしょうな!」
フルール侯爵の目は泳いでいた。
教授との距離感が近すぎて、早く離れたかったのだ。
だが、怯えている侯爵をよそに、教授は嬉しそうに口の端を上げた。
「ああ、やっと見つけましたよ」
その声は嬉しさと憎しみが交じったような奇妙な声色であった。
「シャガ」




