001 小学校への転入
知留毘色は母親とともに校長室にいた。
母と並んでソファーに腰かけた向かいには50歳くらいの恰幅の良い校長が座っている。
「毘色、今日からこの学校があなたの通う学校になります。貴方のたっての願いなのですから、これからはけして登校拒否などは許しませんよ」
「はい、母上」
「校長先生、毘色のこと、よろしくお願いいたします。」
「知留様、お任せくださいませ。」と校長は機嫌よく答えた。
低姿勢でご機嫌なわけは、転入に際して地元の教育委員会に根回ししてあったので校長としても否応もないばかりか、地元の名士である知留家に幾何かの恩を売れるチャンスにここぞとばかりにアピールするためだ。
「ただいま担任の大川先生を呼びますのでしばらくお待ちください。」といって校長室から出ていく。
しばらくたつと、大柄な体育教師のような30前後の男性教師をつれて戻ってきた。
「こちらが毘色君の担任になる大川先生です。」
「初めまして、大川です。」
「先生、毘色をよろしくお願いします。毘色もちゃんとご挨拶なさい。」と母上。
「知留 毘色です。今日からよろしくお願いします。」
それを聞いて母上は「では、私はこれにて失礼いたします。校長先生、お手数をおかけいたしました。今後とも良しなに。」と言い、続けて僕に言った。
「大川先生のおっゃることをよく聞いて、しっかりおやりなさい。」
「はい」僕は返事をする。
「毘色、帰りは本当に一人で大丈夫ですか?」母上は心配なのか念のために確認してくる。
「はい、母上。一人で帰れます。じいも付いていてくれますし。」
母上は僕の返事を聞くと仕方がないと頷いて、皆に軽く会釈をして、校長室を後にした。というのも僕のたっての願いで車などでの送り迎えをやめてもらったからだ。
今後は子供の足で歩いて15分ほどの道のりを徒歩で登下校する事になる(ただし父上の計らいで毘色専用近道が用意されていた)。
「さてと毘色君、これから教室に向かうからついて来るように」大川先生はそう言ってから校長に「校長、もうそろそろ教室に向かってるもよろしいでしょうか?」
「大川先生、しっかりお願いしますよ。」との校長の念を押すような言葉を聞いて、一瞬見せたうんざりした顔を隠して、大川先生は校長室をあとにする。
僕は大川先生の後に続いて職員室を抜けて廊下に出て階段を上り、4年2組の教室を目指す。
4年生は2クラスがあり4年1組と2組は3階の隣り合った教室で、職員室の前の階段を3階まで上ったすぐ右側に2組があった。一組はその奥だ。
校舎は鉄筋4階建てのごく普通の校舎で、学年が上になるほど階が上がっていくようだ。
4年2組の教室の扉を開けて大川先生が入っていく、僕はドキドキしながら後に続く。扉をくぐると、クラスの全員が僕を見ている。みんなキラキラした目で誰が入ってきたのかと問いたげだ。
大川先生は僕が入るのを待って扉を閉め、教壇に向かう。
「知留君はここに来て皆の方を向いていてください。」
「はい。」
「皆ももう知っているかもしれないが、今日からこのクラスに入ることになった知留君です。」と黒板に「知留毘色 ともるひいろ」と書き出す。
「知留君は事情があって転校してきました。みんな仲良くしてほしい。それじゃ知留君、自己紹介してくれるかな」
「知留 毘色です。よろしくお願いします。」
「皆んな、よろしく頼むよ」と先生が言ったあと
「知留君の席は窓側の一番後ろの席が空いているのでとりあえずそこの席に座ってください。」
「はい」と言って席に向かう。
席に向かう途中もクラスの子供たちの好奇の眼差しが僕を追う。特にお隣の席の男子と前の席の女子が何か言いたげに見つめている。
席に座ると、先生が「それでは、まず出席をとります。」といって出席簿を開く。
「安宅 実君」「はい!」
「天地 優衣さん」「はい!」
「石毛 陽君」「はい!」
「宇田川 香さん」「はい!」
「尾上 美智子さん」「はい!」
アイウエオ順に呼んでいく。しばらくして
「設楽 葵さん」 前の席の女子が「はい」と返事をする。
(あおいちゃんていうのか・・・確かどこかで会ったことがあるような‥‥)
「高島 智里さん」「はい」と点呼が続く。
尚しばらくすると「知留 毘色君」
初めてで順番が分からないため心の準備ができていなかったせいで「はい!!」と思わず手を挙げて立ってしまい、みんなの注目をまたもや集めてしまった。
恥ずかしさに赤くなりながらすぐに座って下を向いてじっとしていたら隣の男子が憐れむような視線を向けてこちらを見ているのだった。
結局、隣の男子の名前は「中山 圭」というらしいことが分かった。
出席点呼が終わり
「それでは、一時限目は国語ですので教科書を出してください。」
僕は真新しい教科書とノートと筆箱を出して待機する。
僕はかけている眼鏡をそっと触り隠しスイッチを押した。
視界の隅にAR(拡張現実)機能のゲージやアンコンが映し出される。
心の中で(TOM 聞こえてる?)
《はい、聞こえています。》
(いま国語の授業が始まったところなんだけど、前にやった内容で簡単すぎて時間がもたない。すまないが高校1年の現代国語の教科書を見せて)
《了解しました。》
目前に出現した仮想空間に高校1年の現代国語の内容が浮かび上がる。
毘色は瞬時に読み終え次々とページを進めていく。
これが何のための勉強かと言うと、つまりは飛び級試験のための勉強だ。
毘色がここに転校してくる前は、両親の望むままに東共の学修院大学付属初等学校に通っていた。しかし、3年生までには既に中学卒業認定試験に合格をしていた(特別な伝手は使ったが試験は自力で突破していた)。
だから今さら小中学校には通わなくてもよくなっていた。
4年生になってからは、自分の研究に没頭するため学校に行かなくなり2か月が経過するころ突然地元の小学校への転校を強く希望するようになった。
ではなぜこの小学校にわざわざ通うことにしたのか疑問に思うだろうが、
毘色自身の為に今後絶対に必要な体験になると判断した結果であり、
またこれから毘色がかかわる物事や人間を選別するために重要な期間となると思っていた。
そしてそれは彼の特別な能力によって導き出されたものだった。
見かけ上は10歳にすぎない毘色の頭の中には誰にも想像ができないような知識と力が備わっていた。それにTOMもいる。
それを知るものは今後もごく限られた者たちだけになる。
皆が教科書を出し終えたころを見計らった先生が
「それでは今日は37ページの最初から読んでいきます。」
読むといっても簡単なテキストだ。4年生だからこんなものだ。
毘色はすでに大抵の漢字が読めるし、文章読解力は学者並みなので簡単すぎて暇つぶしにもならない。
初日なのでお付き合い程度に授業を受けて、目立たぬように皆に合わせて行動することを心掛ける。
今日の授業はこの後に算数そして理科、社会と続く。
どれもすでに学習し終わっているので、高校の現国の続きを読んでいく。
ちなみに毘色の普通の読書は世話しなくページをめくるだけに見える超高速読書だ。
でもしっかりと読みこんで十分に理解しながらページをめくっているのだが、傍から見たらただぺらぺらとページをめくっているだけにしか見えない。
これは毘色独自の能力のなせる業の一つだ。
午前の授業が終わって給食を食べた後、午後の授業はクラス会で夏休みの課題についての話し合いを行った後、連絡事項を確認して終わる。
その後簡単な掃除をして帰宅となる。4年生でも一学期なのでまだ午後は一時限授業のようだ。二学期になると午後に二時限の授業が組まれるようだ。
僕は早く皆と慣れるようにとの配慮からか今日から掃除当番の班に参加する。班といっても6列ある席の列ごとの班となっているので、前の席の葵ちゃんと一緒だ。
初めての掃除なのでどうすればよいのか全く分からない僕は皆がやることを黙って見ていた。
すると「毘色君、掃き掃除してくれる?」と葵ちゃんが箒を手渡してくれた。
(知留ではなく毘色と言ったけど、なんだか聞き覚えのあるような?)
「うん、どこをはけば良いのか教えてくれる?」
「ここから向こうまで。ごみをまとめたら塵取りでとってごみ箱に捨てるのよ」
「わかった。ありがとう」
掃き掃除など初めてだが見よう見まねで終わらせることができた。
「使い終わった箒は用具戸棚に入れておいて」「うん」
「ところで設楽さん。僕とどこかで会わなかったかな?」
すると葵ちゃんは少し悲し気に「アオ」とだけ言って自分の席に向かっていった。
「アオ?? なんのことだ???」しばらく考えていたが思いつかない。
一学期ということもあり、掃除といっても簡単に掃くだけで終わりなのですぐに掃除を完了して、皆帰り支度を始めた。
僕も荷物を背負い鞄に入れて準備をする。
僕がランドセルではなく背負える鞄タイプにしたのは、今後PCや関連機材を入れるのにランドセルでは不都合だったからだ。
帰りの挨拶を終えて教室から出て、玄関に向かうと皆は4年2組の下駄箱に向かうが、今日の僕は来た時は来客用の下駄箱に靴を入れたので、自分の下駄箱の場所がどこか知らない事に思い至った。
職員室で大川先生を見つけて下駄箱の事を話した。
「そうだったな、忘れていたよ。とりあえず今日は一番右側の一番上が空いているはずだから、そこにいれておいて。今日中に君の場所に名前を張っておくから明日の朝来たら自分の名前の場所に入れなおしてくれ。」
「わかりました。」
来客用下駄箱から自分の靴を出して4年2組の下駄箱に行き、靴を履き上履きを一番右側の一番上に入れる。
玄関を出ると正門に向かう。校庭には何人かが残って遊んでいた。正門の途中にも集まって話しているグループがいた。
設楽さんも幾人かのグルーブでまとまって歩いていた。
僕が目に入ったのか「バイバイ」と手を振ってくれたので「また明日」と手を振り返す。
(そういえば登校班と下校班というのがあったな)
と考えていると正門には見慣れた人物が僕を待っていた。