第3話
いくら考えても久美には、鴇が金森を好きな理由が分からない。
出まかせ発言の意味や詳しい事情は、久美には分からない。だがその発言がいいものでないことは明らかだった。
それでも鴇は笑ったのだ。呆れたような大きなため息の後で、ふわりとした優しい笑顔を見せた。
鴇や金森に直接聞いたところで、答えるとは思えない。だが究明したかった。そしてできることなら、鴇との時間を取り戻したい。
金森は異物だ。これまでの久美桂が歩んだ鴇との全てを風化させてしまい、これから歩む道が絶たれる。そんな気がしていた。
「小牧さん」
話したいことがある。そう言って呼び出した相手の名前を呼ぶ。
久美自身が避けられる理由は明白。昼間小牧に嫌な思いをさせたのは鴇だが、それは久美の発言があったからだ。
だから久美は、来ないものと思っていた。そのため語気には意外という思いが多分に含まれている。
「やはり二人を別れさせませんか? 小牧さんもこのまま金森さんが離れてしまうのは、本意ではないはずです」
「懲りないね。そして分かってない。二人とも僕らとは離れられないよ。久美さんと鴇くんの事情は知らないけど、大まかな現状は同じだと思ってる」
わざと間を長く置いて、久美の反応を見る。小牧の目をじっと見て、次の言葉を待っていた。
小牧は、今の久美と自分が似ていると感じていた。だから久美がどうしたいのかがなんとなく分かる。
そして自分と違う点は、それをするかしないか、だと思っていた。
だが久美はしない。自分と同じで、しない。
「保護者が必要なくなるまでは誰も、今の状況から逃げられない」
「まるで逃げたいと思ってるみたいですね」
「逃げたいよ。昼間あんなこともあったしね。だから期待には沿えない」
自傷気味に薄く笑う小牧を見て、久美は悟った。口先だけではなく本気で、依存するのを止めようとしている。
もう自分とは違う。自分の都合で引き留めてはいけない。強くそう思うのと同時に、一緒に歩いてくれる人がいないことが寂しかった。
「卒業まで、よろしくお願いします」
「うん、よろしく」
「じゃあ私は部活に行きますね。また明日」
「また明日」
だから足早に去るしかなかった。
金森が変化を与える未来への、漠然とした不安を拭うことができない。似た者同士のはずだった小牧が、変わろうとしている。
怖い。寂しい。その単語だけが、頭の中をぐるぐると巡って仕方なかった。
久美の背中を見送った小牧は、藍川にメッセージを送った。藍川にあの問いをされて以降、初めてのことだ。
返信はすぐに来て、その日の夜に話すことになった。
『随分と久しぶりのような気がするけど、まだ五ヶ月経たないのね。そっちの学校でも適当にうまくやってるみたいで、よかったわ』
「ありがとう。ごめん、ずっと連絡しなくて」
『……いいのよ』
藍川は寂しそうに笑う。たった一文字がないだけで、小牧にとっての藍川の価値を知らしめてしまっていた。
“連絡しなくて”ではなく、“連絡してなくて”と言うべきだったのだ。
『なにか用があるのよね? 最後に会ったときのことかしら』
「うん。今更だけど、返事をさせてほしくて」
『ええ』
「ごめん。気持ちは嬉しいけどって言った方がいいのは分かってる。でも歩に彼氏ができて思ったんだ。僕は多分、恋をしてる人が気持ち悪いんだと思う」
藍川が疑問の言葉を口にしたのは、条件反射だった。小牧と金森を両片思いだと思っているのだ。不思議なことではない。
一方の小牧は、金森が自分のことを微塵も思っていないことを分かっている。友達と思っているかすら、疑問に感じているほどだ。
「どうして……どうして、か。分からない。強いて言うならトラウマ? あ、でも藍川さんのことを気持ち悪いとは思ってなかった。むしろ応援してたし、きらきらしてるのが羨ましかった」
『そう。小牧くんのこと、全然知らなかったのね。あの子とも両片思いだとばかり思ってたもの。どうしてっていうのも、そのことよ』
「僕も知らなかった。そんな勘違いしてたんだ。彼氏のことは、歩から聞く?」
『今聞きたいわ。今の小牧くんにあの子がどう見えてるのか。それも含めてね』
分かった、と返事をしてから気付いた。知っていることがない。
ラーメン屋に行った当日の、大まかな出来事は知っている。だがなぜ行くことになったのか、いつの間にそれほど仲良くなったのか、というのは知らない。
当然のように、付き合うまでの経緯も知らない。それどころか、鴇がどういった人物なのかすら知らない。知ろうとしなかったからだ。
「やっぱり、詳しいことは歩から聞いてくれる? 僕から見た歩は……気持ち悪くないよ。多分、まだ」
『そう。あの子もいずれ恋をする。そんな予感があるのね。小牧くんは学校生活、どうなのかしら?』
「まずまずだよ。……ねぇ僕たち、友達になれるかな」
ずるい言葉だということは分かっていた。突き放せないと、分かっていて言ったからだ。
小牧が頑なに拒否していただけで、藍川にとって小牧はずっと友達だった。小牧にとってもそうなることを望んでいた。
そしてやっと今、小牧から歩み寄ったのだ。突き放せるはずがなかった。
『ええ、もちろんよ』
「じゃあ変われたら、また連絡する」
自分勝手な言葉だということも分かっていた。それでも金森への依存を断ち切れていない今はまだ、友達にはなれない。そう思った。
怒って電話を切られて、そのまま一生話す機会がないことも考えられる。そんな言葉に、藍川は笑って答えた。
『待ってるわ』
***
藍川はオリエンテーションのために大学へと、ひとり向かっていた。高校での友達はランクを落としたり不合格だったりで、顔見知りはいても友達はいない。
どこへでも友達と一緒、というタイプではない。自分もランクを落としておけばという後悔はないが、新しい生活だ。不安もある。
少しだけ曇っているその顔が、改札を抜けると明るい笑顔に変わった。
「連絡って言ったじゃない」
「タイミングもよかったし、驚かせようと思って。驚いた?」
「ええ、とっても」
藍川は友達と共に、大学へと足を進める。
道中の話題は、互いの高校生活のことでも、思い出話でもなかった。それらについて話すのは今ではないと、二人ともがなんとなく思ったからだ。
だから小牧がこんな発言をしたのは、数日後だった。
「物心がついた頃には、歩は毎日ウチに来てたんだ。幼稚園に通うようになって初めて、両親揃ってるのが普通なんだって知ったよ。
その頃から再婚するような仲だったわけじゃないと思う。最初は、仕事が忙しい歩の母親と、安月給だからか未就園児教室に入れられない僕の父親の、利害が一致しただけだったみたい。
今思えば同級生っぽい会話もあったけど、詳しくは知らないな」
あくまで事実だけであり、やはり心の内は語らない。だが藍川はそれを不満には思わなかった。
今まで語らなかったことを聞かせてくれるのは、友情の証のようで嬉しい。そうは思うが、藍川が知りたいのは過去ではない。
今思っていることや、未来に思い描いていることだ。
「凪、先週のノート見せてくれないか? 途中で寝ちゃってさ」
「しょうがないな」
礼を言いながら隣に座った相手が、チョコアイスを置く。
ゴールデンウィークが過ぎた今、昼間は暑い。この広い学食で小牧を見つけ出してから買って、やって来たのだという想像は簡単にできる。
「はぁ、冬は――」
「待て待て、慌てるな。冬の賄賂はそのときの俺が知ってる」
「期待してるよ」
笑って言う小牧を見て、藍川も微笑んだ。
この男子学生は藍川の友達ではない。友達を共有していないのだ。小牧が自分で立って歩いていることが、藍川にはたまらなく嬉しい。
だからもう二度と魔が差さないようにと、強く自分を戒めた。
「ありがちな過去の痛みについて」完結です。次の第六章で『シリーズ番号1』は完結の予定です。




