第4話
幼稚園や保育園のように幼い声で賑やかな場所が、彼の“自宅”だった。
「ゆりちゃんおかえり!」
「…ただいま」
出迎えてくれる沢山の“家族”ひとりひとりの頭を撫でて微笑む。これが彼の日課だった。
「ゆりちゃん、げんきないー?」
「いつも通りだよ。心配してくれてありがとう」
「ゆりはいつも元気ないだろ」
軽く頭をチョップすると、
「可愛くない」
そう言ってすたすたと歩いて行ってしまう。
「やっぱ元気ないか?」
「なにもしない方が良い。昨日は嬉しそうだった」
「ゆりがぁ?」
そんな会話を廊下を曲がったところで聞きながら、彼はため息を吐いた。
「昨日嬉しそうにしていたなんて…知らなかった」
「ってことは今日落ち込んでる自覚はあるんだな?」
「多少はね…」
ため息がちに言いながら振り返ると、違う高校の制服に身を包んだ“家族”が仁王立ちしていた。彼と同い年であり、現在では最もここにいる期間が長い。
「ワタシが聞いてやろうか」
「いいや…明日もなにも聞かないでほしい」
「勝負は明日ってことだな」
ニヤリと笑う相手とは対照的に、彼は視線を落としてため息を吐く。
「例えるなら…高校の合否発表だよ。僕が知らないだけで…もう結果は出ているんだ。決まっているんだよ…」
「自己採点の結果が悪いんだろうが、ゆりはいつもそうじゃないか。ゆりなら大丈夫だ。な?」
「…根拠がないね。でも…今回は素直に慰められておくよ。ありがとう」
すれ違いざまに頭を軽く撫でると自分の部屋に入る。
この“家族”が顔を赤くしていることを、彼は知らない。
昼休み、昨日と同じく中庭の端にあるベンチに彼はいた。少女だけではなく女友達も一緒にいる。
「なんでアタシも呼ばれたのよ。2人の問題でしょ」
「僕の目的に興味がないと…そう言ったね。でも…関係があるから聞いてほしい」
少女はぎゅっと手を握ると俯いた。
「君は違うとは言わなかったもんね」
「利用するだけになってしまったことは…悪いと思っているよ」
「そうだね。目的の達成が想像以上に難しいことは、あの瞬間分かった。だから一度くらいデートの思い出でも。そう思ってたのに」
女友達…いや、“彼女”は2人のやり取りを黙って聞いているが、暇そうに足をぶらぶらさせている。
「僕はね…目的を言わなかった。でも目的に関係のあることをひとつ…言ったんだ」
彼がゆっくり彼女に視線を向けて言う。彼女は足をぶらぶらさせるのを止めて、小さく頷いた。
「好きな人がいる…って」
彼女はなにも言わず、いいや…言えず、目を泳がせた。
「あのときのことを…ずっと後悔している」
彼が言う“あのとき”というのは、彼女が施設を出て行く前夜の出来事だ。
彼と彼女は、2人で夜空を見ていた。
「こうして隣り合っていられるのも…今日で最後だね」
「確かに夜空をっていうのは難しいかもしれないけど、大袈裟よ」
「いいや…もう話すことはないよ」
彼の言葉に、彼女はただ悲しい顔をした。
「幼い頃からここにいる僕たちの実の親が誰だろうと…両親になる人には大した問題じゃないんだろう。でも…誰と関わるかは重要だよ。仮に口には出さなくても…良い気はしないだろうね」
「でもアタシは貴方が好き。だから一緒にいたい」
彼は小さく首を振る。
「狭い世間でずっと一緒にいれば…そうもなる。離れれば忘れるよ…」
「本気?」
艶めいた唇。不安気に潤んだ瞳。毛先を軽くしたミディアムショートの髪が夜風に揺れた。
なにかを言おうとして止めた彼は、小さく頷いただけだった。
「分かったわ。さよならね」
「さよ――なら…。うん…そうだね。そうなる」
伏せられた2人の視線が絡むことは、以降なかった。
彼の言葉に彼女はぐっと拳を握った。
「友達の彼氏になっておいて今更後悔ってなによ。もっと早く、なんとでも出来たはずでしょ。同じ学校に通ってるんだから」
「どう…話しかけて良いか分からなかった。なにが本心でなにが嘘でも…僕が言ったことは変わらない。だから…このままで良いと思っていた」
彼と彼女の共通認識である“あのとき”が分からない少女は置いてけぼりである。しかし文句も言わず、質問もせず、ただ黙って聞いていた。
「全くの無計画だったってこと?」
「本当に罰ゲームだと思っていたんだよ…」
「なんで気付かないのよ。頭大丈夫?」
それは言い過ぎだろう、という言葉を飲み込む。
「本心を言う勇気はまだなくて…。だからかな…嫌われようとしたのかもしれない。そうしたら僕は…逃げたわけじゃないから」
「最低ね」
「だから…嫌い?」
彼の問いに彼女は眉を寄せる。
「昨日、前髪を押さえなかったのはアタシに見せるためでしょ」
「気持ち悪い…そう思った?」
「思わないわ」
彼女は眉間の皺を深くすると彼を睨み付ける。
「アタシは変わらないわよ。でももう遅いわ」
俯いて手をぎゅっと握る彼女を、彼はただ見ていることしか出来なかった。予想と違う言葉が返って来てどうして良いか分からなかったのだ。
「元々そういう条件だったんだから、どうせ別れることになったのよ。それがどういうことか、あのときは分かってなかった。ごめんなさい」
「身なりの良い夫婦だったからね…。やはりそういうことだったんだ」
小さく首を傾げた少女に彼女の視線が向く。
一瞬迷った様子を見せたが、小さく息を吐くと少女を見る。
「病院の経営者夫婦には子供を授かることが出来なかった。養子をとって血の近い者との子供を産ませて病院を継がせようってことよ」
「この高校はこの辺りでは偏差値が良い方だし…生活態度は少なくとも悪くない。一から子育て出来る年齢じゃない夫婦には良物件だった…」
平然と話す2人になにか言おうと口を開くが、なにも言えず再度口を閉じる。
「候補の中からアタシ自身が選ぶのよ。だから全く自由がないわけじゃないわ。なにかを妥協する必要があるのなんて、恋愛結婚でも同じよ」
「それで良いの?」
「今の両親がアタシを選んだ理由はもうひとつあると思うのよ。それはね、持っていたいモノ以外への諦めが早いこと。アタシは生きるために早々と実の両親を捨てた。調べればすぐに分かることよ」
僕だったら死んでいるんだろうな。
ぼんやりとそう考えた彼は自然と彼女の顔をじっと見ていた。
「なによ」
「いいや…ただ、僕なら死んでいたんだろうなと思っただけだよ。ほら…避けるっていう発想もなかったしね」
「自分なりの身の守り方だったけでしょ。攻撃するだけが身を守る身を方法だなんて、あり得ないわ」
「敵わないね…」
少女は彼がふわりと笑ったのを初めて見て、寂しそうな顔をした。
彼女は彼がふわりと笑ったのを久しぶりに見て、安心したように微笑んだ。
その表情のまま彼は空を仰ぐ。
「せめて名前を呼べていたのなら、なにか変わったのかな…。そう考えたんだ。でもきっと…なにも変わらなかっただろうね」
「あの頃そう出来てたかは正直分からないわ。でもきっと、返事をするまで名前を呼んだわ。きっと、そうしたわ」
「ねぇこの話、逆に私って必要?」
彼と彼女は顔を見合わせると少女に小さく笑った。
「…付き合わせて悪いね」
「そうね、どっちが本題なんだか」
「ここからが…君と僕の話だよ」
真剣な表情で少女を見つめる彼につられて、少女も真剣な表情になる。
「どう足掻いても、あれが僕のやり方で…あれが僕の顔で…これが僕に今口に出来る精一杯の本心なんだ」
「うん」
「でも君が嫌じゃないなら…このテストプレイを続けさせてほしい」
彼の意外な申し出に、少女は驚いた表情をした。
彼のテストプレイという表現に、彼女は怪訝な表情をした。
「いいや…この言い方は正しくない。君はテストプレイだと言ったけれど…β版に出来ないかな…と」
「β版ってなに?」
「テストプレイはバグがないか確認する…制作側や専門業者がする確認作業。β版は一般ユーザーにテストプレイに近いものをしてもらうんだよ」
彼女は小さく首を振りながらため息を吐く。
「β版の配信が終わったらどうなるのか分からないけれど…今は当事者同士になれないかな…」
「じゃあ今度の土曜はデートだからね」
「…うん」
腕を絡ませる少女に、彼は小さく微笑んだ。




