第1話
金森はうつらうつらしながら、宿題に向き合っていた。机の端に置いたスマホが着信を知らせながら震え、その振動のせいで落下する。
まずは傷の有無を確認しようとスマホを拾うと、表示されている名前が自然と目に入る。それが木崎であったため、すぐ電話に出た。
「もしもし。緊急相談センターです。須郷くんと喧嘩かな?」
『早く伝えなくちゃいけないことがあって電話した。こんな時間に悪いな』
電話越しでもはっきりと、木崎の真剣な雰囲気が金森に伝わる。茶化すように出たことを謝罪すると、聞く態勢を整える。
普段なら謝罪に対してアクションがあるのだが、慌てているのか話し始める。
『久美さんから連絡があった』
「二人って連絡先交換してたっけ?」
『してない。だから正確には、小学生の頃の同級生から電話があった』
その端的な言葉だけでは理解しにくい状況に金森は、ほぉ、と少し間抜けな声を漏らす。
少しばかり説明を省き過ぎた、とその反応で木崎は気付く。
何度か深呼吸をして、自分を落ち着ける。それから“記憶がないと言った久美との会話”をできるだけ正確に伝えた。
『……で、混乱して咄嗟に通話を切った。不自然に思っただろうな』
「事情を知らない人が変に誤魔化すよりは、よかったんじゃないかな」
『その口ぶりだと、金森は事情を知ってるんだな。よかった。今度は傍にいてやれるヤツがいる』
「知らないよ。今のは一般論」
はは、という乾いた笑いだけで、金森には木崎がどんな表情をしているのか想像することができた。
転校前の高校で初めて会ったため、古い付き合いではない。それでも、ただ付き合いが古いだけの人物よりは、互いを理解し合っている。
『金森はなにかがあって、変わったんだろう。だが、俺は変わらない。だから久美さんと夜野田が同一人物であることに気付けなかったんだ』
「小学生のときの同級生なんて普通、覚えてないよ。それに性格が違ったら、仕草とか雰囲気とかも違う。気付くはずない」
『その通りなんだろうな。でも、俺が悪いんだ』
金森は察し、こう考えた。
久美桂という人物がこれまでに五度も、記憶をなくしていることは鴇から聞いて知っている。そのきっかけとなる出来事に一度、木崎は関わっている。
記憶を失った後で会っていれば、雰囲気がすっかり変わることを体感する。だがその様子はない。それで、一度と限定した。
おそらく、転校を理由に傍にいなかったことを後悔している。
こういったことは普通、人に話すことではない。だが何事にも例外はある。
現在久美桂と名乗る人物が、記憶を失くしたのは一度ではない。そう推察できるだけの情報を、木崎は持っている。
引っ越しの時期が知っている時期と大きくズレているのは、再度引っ越したと考えれば不自然ではない。だが鴇は、そのことを黙っているようにと言っている。
連休に会ったとき既に一度、記憶を失くしていた。そのことも忘れていると、会話の流れや言葉遣いから推察するのは難しくない。
自身と共に記憶喪失について聞いた、現在も近くにいる人物。そんな金森に問題を託すのは、間違った選択ではない。
「兎に角、鴇くんに連絡しとくね」
『あ、ああ……頼む。直接聞きたいって言ったら、番号教えていいから』
「ありがとう。ところで、なんで木崎くんに電話したのかって聞いた?」
『思い立った、とは言ったたが……それ以上は聞いてないな。悪い』
知らせてくれただけで十分だと、再度礼を伝える。それから通話を切った。
木崎の反応から、金森はある判断をした。とあるポイントに疑問を抱いたことは不自然ではない。
「あまり首を突っ込みたくはないけど……、なにかあってからじゃ遅いもんね」
スマホを操作して、電話帳を呼び出す。寝ていてもおかしくない時間だが、迷うことなく通話ボタンをタップした。
目が覚めたような声で、どうしたの、と電話に出た鴇が言う。
鴇は金森を、相手の迷惑を考えない人物ではないと認識している。緊急事態なのだと考えて素早く出たのだ。
「遅くにごめん。木崎くんから連絡があって、その内容をすぐに知らせた方がいいと思って」
『金森さんの友達からの連絡を、どうして俺に』
「聞けば分かるから」
それだけ言って、有無を言わせず話し始める。初めは事態を飲み込めないでいた鴇だったが、聞く内に理解していった。
聞き終えると、自分の中で要点をまとめる。
久美と木崎は同じ小学校に通っていた時期があり、連絡先を交換していた。
なにかを思い立ったらしい久美は、電話をかける。木崎にかけたのか、偶然木崎だったのか、なにかしらの理由があるのかは、分からない。
木崎が話したことは三つ。連絡先を交換した軽い経緯。交流がなくなった理由。旧姓が夜野田だということ。
過去にもトラブルがあったと、そう思わせるような言葉を言っていることは含まれていない。
木崎が金森に語ったのは、記憶がないと打ち明けられて以降の会話。さらに木崎には口を滑らせたというような自覚がないため、金森に話していないのだ。
「咄嗟に切っちゃったから、不自然に思っただろう。連休に会ったときに気付けてたら。そう言って……申し訳なさそうにしてた」
『分かった。知らせてくれてありがとう。木崎くんにもそう言っておいて』
なにか言いたそうな金森の雰囲気を、鴇は感じ取る。
どうするのがいいか迷って、時間稼ぎを試みた。そうして口をついて出た言葉は情けないほど無難かつ、話を逸らすこともできないものだった。
『気付けなかったのは仕方ない。性格が違えば雰囲気も違うってのは、見てるし分かるでしょ。小学生のときの記憶なんて朧気だし、まさか会うなんて思ってもない場所だろうし』
「久美さんだけならね。――ねぇ鴇くんって本当に、久美さんと幼馴染なの?」
木崎の話から推測したことを、普段よりゆっくりと話す。
語り終えても、鴇は黙ったままだ。それが意味するところは分かっていたが、このままではなにも変わらない。
それで仕方なく、抱いた疑問の詳細を付け加えて語る。
「今度は傍にいてあげられる人がいてよかった、とも言ったよ。それって当時は傍にいる人がいなかったって意味にならない? 鴇くんの名前を出したときも微妙な反応で――」
『金森さんは、優しい人』
「……人の言葉を遮って、急になに?」
『久美の記憶がないのをいいことに、幼馴染のフリをしてるのかもって思ったんでしょ。それなら俺は危険な人物かもしれない。だから今の言葉だって、本当は言いたくなかったはず。なのに言ってくれて』
金森の沈黙も、肯定だった。
『明日、聞いてくれる?』
「きちんとした理由があるなら、それでいいの。詳細には興味ないから」
『もう……誰かに言ってしまいたい。この話になる前に電話を切るタイミングはあった。でもできなかったのは、そういうことだと思う。運が悪かったと思って、付き合ってほしい』
弱ったような声音で、そう頼まれてしまっては断りにくい。深いため息を吐いた金森が口にしたのは、承諾だった。
渋々といった様子なのが金森らしい。そう思った鴇は、微笑んだ。
久美と鴇の引っ越し時期について言及している話
04[そこを開ければ私がいる]第4話
07[ありがちな恋の悩みについて]第2話,第3話
これまで久美の下の名前の表記がバラバラになっていました。佳ではなく、桂が正しいです。




