おのぼりさんと冷静なひとりと一匹
ぽこぽこ。ぽこぽこ。舗装された道を進む。
ちなみに、キイルさんは僕たちの目的を正しく把握してくれていて、どう進むべきかも行商時代の経験で分かるそうだから、御者は不要とのことで。
つまり、僕たちは現在とっても暇であり(もちろんキイルさんに教わった通り怪しい人影への警戒は忘れていないけれど)、いっそ恋人のようにいちゃつければよいのだけれど、先ほどのキイルさんの言葉でマイアは禁欲モードに突入している。僕の方からアプローチすれば一瞬で煩悩全開になるだろうけれど、僕はちゃんと村長の許しを得てからじゃないとそういうことはしたくない。いや、したいけどしちゃいけないと思っている。
目と目が合ったのはもう何回目だろう。恥ずかしげに目をそらすマイアはどれだけ意識しないよう言っても、最高にかわいい。
「ねえ、レイ」
ふいに声をかけられ、マイアの方を見る。
「もしも。もしもだけど……私に、レイに言えない秘密があるとしたら。その秘密が本当にひどいものだったとしたら……それでも、レイは私を好きでいてくれる?」
突然何を。そう思うけれど、また演技をするにしては、さすがに内容が奇妙だ。
「その秘密っていうのが何かわからないけれど、きっと好きでいるよ。マイア・グランジールとしての秘密なら、どうってことはない。前世のことが絡むとしても、マイアはマイアだ。前世の自分は、自分であり、自分でない。そう教えてくれたのはマイアじゃないか」
「……ありがとう」
「もしも、その秘密を隠し続けるのがつらいなら、僕に打ち明けてね。約束するよ。僕は、何があろうとマイアのことを好きでいるから」
「おーい、お二人さん。いちゃつくのもいいが、そろそろ街につくぞ」
何か大切な話のようだったけれど、キイルさんの声でその話は終わった。
「ありがとうございます、キイルさ──」
御者台の方へと向かい、僕は思わず言葉を止めた。
「なんだ? 坊主。街を見るのは初めてか?」
「はい……! すごい、こんなに大きなものなんですね……!」
もちろん、村の人達に聞いたことはある。村と街とは、規模が全く異なると。
だけど、聞くと見るとは大違い。まさか、ここまで大きいなんて、想像もしていなかった。
街を囲う防壁は見上げるほど高く、見回すほど長く続いている。いったい、どれだけの人がどれだけの時間をかければ、こんなものを作れるのだろう。
こんなに大きな防壁の中には、いったいどんな街並みが広がっているのだろう。どれほどの人がそこで暮らしているのだろう。まるで想像がつかない。
壁の外側には広い畑があり、街単位での自給自足もできているであろうことを感じさせる。
「坊主、好奇心旺盛なのはいいが、街中でそんな風にきょろきょろあたりを見回してたら、田舎者丸出しで犯罪に巻き込まれやすくなる。見たい気持ちは分かるが、我慢しろよ?」
「は、はい!」
「それと、そのまま御者台に座っててくれ。しゃべる馬なんて、珍しいからな。下手すりゃ見世物小屋行きだ。嬢ちゃんに助けられながら、検問所を通り抜けてくんな」
ケンモン。噂には聞いているけれど、村から出たことのない僕には当然初めてのことだ。いったいどんな質問をされるのだろう……。
門の前についてしまったからには、マイアに訪ねることもできず。僕は初めてのことを一切のヒントなしで始めざるを得なくなってしまった。
「はい、止まってー。旅の目的は? ずいぶん荷物を積んでるようだし、行商かい?」
「あ、いえ。巡礼の旅の途中でして」
「巡礼? ああ、精霊の土地巡りってあれかい。前世でよほど魔法に助けられたのかな? ずいぶん若いのにそんなもんに出るとはねえ」
「まあ、これからもお世話になるわけですし。お礼は言えるうちに言っておこうかと」
「ハハ、違いない。ジジババになってから巡礼しようとしても、足腰が言うこと聞かないからなぁ。さて、荷物に怪しいものがないか、確認だけさせてもらうよ」
「はい、お願いします」
荷台の方へと歩いていく衛兵さん。それを見ながらマイアは僕の方へとやってきた。
「レイ、なんであんなにすらすら答えられたの? てっきり私が助けに入らないといけないものかと思ってたのに」
「小説で読んだ覚えがあったんだ。衛兵さんも気のいい人だったから、助かったよ」
田舎村とはいえ……いや、だからこそ、というべきだろうか。数少ない娯楽として、村の人達はみんな本を持っている。僕は新造魂で知識が足りない分、むさぼるように読んできたから、ある程度の定型的な会話なら普通の人と同じようにできる自信がある。たぶん。
「お兄さん、猟師か何かかい? 良い銃を持ってるじゃないか」
「あ、はい。故郷では猟師をしていました。銃は先代猟師から受け継いだものですが、手入れがしっかりされているので十分使えます」
「街中で撃てないように、封印をかけるのが決まりでね……ところで、お兄さん。路銀に不自由してたりしないかい?」
「……? 不自由の無いよう多めに用意はしましたが、多くて困ることはないでしょうね。何かあるのですか?」
僕がそう尋ねると、衛兵さんはいやぁ、と、きまりの悪い様子で笑う。
「実は、ここ最近周りの畑を荒らす害獣が多くてね。いいもん食ってるだけあって食えばうまいんだが、数が数だけあって、仕留めきれやしない。そこで、今は仕留めたらいくらって形で少しでも数を減らそうとしてるんだ。腕のいい猟師なら、一稼ぎできるかもと思ってね。興味ないかい?」
「へえ、なかなかいい話ですね。ちなみに、仕留めた害獣の肉はもらえるんですか?」
「ああ、うまくても、量が多すぎれば余る。とっくに余ってるから、肉は仕留めた人に贈呈することになってるよ」
つまり、ちょっとした贅沢をするお金をもらえて、その上適切な処理をすれば保存食も作れる。僕の猟銃は魔弾式だから弾薬代がかかることもないし……おまけに、この街の人達を助けることもできる。僕に損はないどころか、得だらけだ。
「僕でよければ、お手伝いしますよ。夜道を避けるために一晩過ごすだけですが、害獣は人のいる時間はさけるでしょう?」
「そりゃ助かる! これ、害獣の一覧表。一頭当たりの価格は横に書いてあるからね……さて、積み荷に怪しいものもないし、マフェルトグマフェアへようこそ、旅人さん」
銃に封印をかけ終わると、衛兵さんはそう言って僕たちを通してくれた。
「ありがとうございます。それじゃ、頼みますよ、キイルさん」
形だけ手綱で進むように指示を出す。キイルさんはしゃべれないふりをする必要があるからね。当然、人の会話を理解しているように動てもらうわけにはいかない。
「さて、宿はどこに……」
僕がそう呟くと、キイルさんはこちらを見て一声鳴いた。任せろ、ということだろうか。確かに大きな街だし、ココキさんと一緒に行商しているころにここに来ていてもおかしくない。ここは一つ、お任せしよう。
「マイア、さっきの一覧表見ておいてもらっていいかな? ほら、僕は前見てないといけないし」
「うん、わかった」
形だけ御者をして、キイルさんが怪しまれないようにする。しかし、魔法でしゃべれるようにできるなら、見世物小屋に連れていかれることなんてなさそうだけど、そうするのに必要なのはよほど高位の魔法なんだろうか。だとすると、ココキさんって結構すごい人だったんだな。
ぽこぽこ揺られながら、そんなことを考えていると宿らしき建物が見えてきた。馬車を何台も停めておけるほど大きいのは、やはりここが大きな街だからだろう。
「こんにちは、お兄さん。よかったら泊まっていってくださいな!」
客引きの子供(といっても前世がある分、ある意味僕より年上)に呼び止められるままに、キイルさんは馬屋に入っていく。
「ありがとうございまーす! わあ、きれいなお姉さんもご一緒でしたか! 部屋は一部屋で?」
「いえ、二部屋でお願いします。若い男女が一部屋で過ごす、というのは、少し怪しまれてしまいますから」
「あはは、失礼しました。てっきり恋人さんかと。じゃあ、二部屋と、馬屋で……」
紙に書かれた金額。相場が分からない僕はマイアに視線を送る。
その意味を察してくれたマイアは僕の方に来て、紙を見る。
「いい宿ですね、これだけ客の入りがあれば部屋もいいでしょうに、こんなにお得にとまれるなんて」
「ええ、家族経営なので、給金がかからないんですよ。サービスは高級宿には劣りますけど、家族感が良い、って言ってくださるお客様も多いんです」
「なるほど。では、今晩は泊まらせていただきます」
「ありがとうございます! あ、その伝票を持って行っていただければ、部屋とかの準備をするので」
僕は責任もってお馬さんをつなぎますね! そう言われて、手綱を託す。まあ、キイルさんおすすめの宿なら間違いはないだろう。
馬車から降り、宿の扉を開く。チリンチリン。来客を知らせる鈴の音が鳴る。わずかながら魔力を感じたのは、おそらく離れた場所にいても聞こえるような魔法がかけられているからだろう。
「いらっしゃいませ~。あらあら~、かわいい男の子と女の子ね~。いろいろお話をしたいけれど、まずはお部屋の方を確認しないとね~。伝票を拝見~」
奥の方からやってきたご婦人。たぶんさっきの子のお母さんで、この宿のおかみさんだろう。さっき手渡された伝票を魅せる、なぜか意外そうな顔をした。
「二部屋取るの~? うちはちゃんとベッドが二つ、離して置いたツインの部屋もあるわよ~?」
「ある方に教わったんです。離れて過ごす時間があると、その分互いを思う時間が増える、って」
「あらあらあらあら~。こんなにかわいい女の子にそんないけない知識を教えるなんて、教えた人はよほどの変態さんね~」
ぶしゅっ。外から聞こえたのは、キイルさんのくしゃみだろうか。僕まで鼻がむずむずしてきた。
それを聞きながらマイアはお代をおかみさんに渡し、おかみさんはそれを戸棚にしまった。カチャカチャという金属の音がしたから、きっとかぎ付きなのだろう……まあ、お金をしまうんだから、当然だけど。
「それじゃあ、お部屋までご案内するわね~。ちょうど、シングルの部屋はあなたたちで全室埋まるわね~。隣部屋だけれど、大声で話すのはよしてちょうだいね? 他のお客さんの迷惑になっちゃうから~」
「ええ、わかっています」
「も・ち・ろ・ん、大きな声が出ちゃうようなこともしちゃいけないわよ~?」
「あ、あはは……なんの事やら……」
僕とマイアって、そういうことしそうに見えるのかな……それは、まあ、キイルさんのすすめがなければ同じ部屋を取って、おかみさんの言う”大きな声が出ちゃうようなこと”をしていたかもしれないけど……っていうか、さっきからマイア本気の目でこっちを見てて、ちょっと恐怖心すら覚えるんだけど。
「そうだ、マイア。さっきのリスト、対象は何?」
場とマイアの熱視線をごまかすように、そんなことを聞いてみる。
「えーっと……そうね、この街の周りは結構人の手が入っていたから、こんな動物がわざわざ懸賞金を付けるほどたくさんいるなんて信じがたいのだけれど……ヤマシシ、ノザル、ネグイモグラ……」
部屋に案内されながらリストの動物を聞いていると、マイアの言う通り、人の手が入った街の近くで見かけるのは不自然な動物ばかりだった。というか、全部狩ったことがあるな……見た目が分からなくて逃がすことがないのは助かるけど、それだけ森や山の奥地でないと目にしない生き物ということだ。
「ボクは狩りをするの~?」
「あ、はい。故郷の村では猟師みたいなことをしていました」
「そうなの~。作物を荒らされて、みんな困ってるのよ~。がんばってねぇ!」
「期待にそえるかわかりませんが……できる限りのことは」
師匠に猟銃を譲られてからは毎日していたとはいえ、僕の猟師としての腕がどの程度の物かはよくわからない。それに、懸賞金をかけるくらいたくさんいるものを害にならない程度まで減らすなんて一人じゃとてもできないし。
「それじゃあ、ボクの部屋は奥、マイアちゃんの部屋は手前ね~。あ、さっきボクが名前呼んでたからそう呼んじゃったけど、大丈夫かしら?」
「ご心配なく、そんなことで気を悪くはしないので。レイ、せっかく分けたのだから、私の部屋に来ちゃだめよ? 私も我慢するから……晩御飯で、また会いましょう?」
「うん、またあとで」
僕があっさりと言うと、不満げな顔を浮かべながらマイアは部屋へと入っていった。
「レイくん? レイくんと離れたくないくらい好きな女の子が、会うのを我慢する、っていうのは会いに来て、って意味だと思ってもいいのよ?」
「おかみさん、マイアは故郷では村長の娘なんです。一般村民の僕が手を出そうものなら、村長の指示で村八分ものです……」
「あら~、あんなにわかりやすく大好きを顔に出しているのに……やっぱり、人間って複雑ねぇ」
その言葉を前世の記憶がある人が言っていると思うと、とても重く、深い言葉のように思えた。
「まあ、イチャイチャからの大きな声が出るようなことされないで済むから、宿の人間としては喜ぶべきなのでしょうけれど……なんだか、おせっかい焼きおばさんとしてはレイくんの消極さ、何とかしたいわね~……」
「ご心配なく。一応、旅が終わって、故郷に帰ったらお父さんの許可を取ったうえでまずは健全なお付き合いをする約束なので……とりあえず、僕も部屋はいりますね。お夕飯、楽しみにしています」
「あら~、そうなの~! なら、かわいらしいお二人のためだもの~。いつも以上に腕を振るっちゃうわよ~!」
気のいいおかみさんだな。そんなことを思いながら部屋に入る。
お世辞にも広いとは言えないものの、一人で過ごす分には十分な広さの部屋だ。朝日がちょうど差し込むのだろうか。壁紙は少し日焼けしてしまっているけれど、それもどこか味のあるように思える。
ベッドに腰掛けると、想像以上の柔らかさに受け止められる。僕の家のベッドよりもずっと上等だ。マイアの記憶が確かなら、ずいぶん安い宿だろうに、さすが行商人が通った(と思われる)宿。高級宿には劣る、なんて言っていたけれど、この部屋を僕以外の人も使っていた、なんてここが宿屋であることを思いださないと信じられないくらい清掃は行き届いているし、結構大人数が泊まるということは、きっと料理もおいしいのだろう。ココキさん、キイルさんに感謝しなくちゃ。
馬車から持ってきた貴重品と、最小限の荷物をサイドテーブルの上に。猟銃を枕元に置いて少し横になる。あ、枕もすごく心地いい……。
害獣駆除のことも考えると、少し仮眠でも取ろうかな。キイルさんの言っていた通り、座っているだけでも疲れが出るものみたいで、ふわふわふかふかのベッドもあいまって、眠気が……──