ふたり旅+1
僕たちが向かうべきは、火の精霊の住処。すなわち、聖火山と呼ばれる火山だ。
だけど、精霊の住まう場所、とされているところは聖地だと考えられているから、その周りに大規模な街は作られていない。
つまり、田舎から田舎への旅路というわけで……。
「思ってたより、退屈だなぁ……」
思わず、そんな言葉が口をつく。
けれど、無理もないと思う。なにしろ、行けども行けども草原と、その中の道。ココキさんの馬はよくしつけられていて、手綱で指示しなくても道を外れるようなことはない。
トラブルがないのは何よりだけど、さすがにこれだけ同じような状況が続くと、少し眠気すら覚える。
「そうかな? こんなにのんびりできるの、なんだか久しぶり。家にいるときは、村長の娘としてふさわしい振る舞いを常にしていたから」
「僕は普段とそんなに変わらないからなぁ……馬の世話もしたことあるし、そもそもここまでしっかりした馬だと、やることがないよ」
「じゃあ……刺激的なこと、してみる?」
「……開放感からおかしなことを言わないように」
そんな話をすると、後ろからマイアの手が伸びてきた。
「いいでしょ? 私たち、恋人じゃない」
「この旅が終わって、村長の許可が取れたらね」
「うなじにキスマークつけておいて、恋人じゃないなんて……ひどいわ、レイ」
「いや、それは……本気だからだよ? 全部終わらせて、恋人になるって、本気で思ってるからで。でも、やっぱりご両親の許可のなしじゃ、そういうのは名乗れないかなぁ、って……」
マイアの手つきが、何というか非常に危ない。僕の理性がそれはもう危機的状況になる。
「レイ……私だって、本気だよ? お父様がだめだっていったら、駆け落ちしてでも結ばれたい。だから、レイにも言ってほしいの。私たちは、恋人だって」
耳元でささやかれる言葉。清楚な外見のマイアから出ているとは思えない蠱惑的な響き。
「マ、マイア。その、御者に集中しないと、危ないから……」
「ついさっき、やることがないって言ったばかりなのに?」
僕を包み込むように、抱き着いてくるマイア。背中の柔らかい感覚は、間違いなく女性のそれで。
「マイア、当たってる、当たってるから……!」
「わざとだよ? こうしたら、レイも私と同じ気持ちになってくれるかな、って」
「同じ気持ち、って、何」
「女の子にそんなはしたない言葉を言わせるの?」
要は、はしたないと思うほど、はしたないことをしたいのだろう。
正面を向き続ける僕の顔にマイアの手がそっと添えられ、目と目が合う。距離なんてほとんどなくて、どちらかが動けばキスなんて簡単にできてしまう。
「レイ……私と一緒に、大人になろ?」
止めないといけない。だけど、その理性は目の前の誘惑にとろかされて──
「お前さん方、いい加減にしとけよ」
「だ、誰!?」
突然響いた声に、マイアは慌てて僕と距離を置く。でも、僕だって驚いている。今の声、いったいどこから? あたりに人なんていないのに……。
「あのなぁ、本気で好き合うのは当人同士の好きにしろって感じだし、その表現も自由にすりゃいいさ。けど、人目──いや。この場合馬目があるときは、自重すべきだぞ」
こちらを見て、しゃべっているのは──なんと、ココキさんの馬。なんというか、男の色気を感じる重低音が馬の口から出ているのがとんでもなくシュールだ。
「馬がしゃべってる!?」
「ココキに魔法をかけられてな。行商時代からずっとこんな調子だよ」
驚くマイアに、ココキさんの馬はそう答えた。
「いいか、嬢ちゃん。そっちの坊主は倫理的に考えて正しい。いくらお前さんがその坊主が好きで、抱かれたいと思っていても、駆け落ちなんざ良くないんだ。お前さんが自分を許そうと、俺がお前さんを許さねえ」
「……ごめんなさい」
「素直なのはいいことだ。あ、言っておくが、お前さん方がおかしな気を起こさないように、村長からいろいろ言われてるからな。俺はお目付け役ってことだ。ったく、文字通り馬車馬のように働かせやがって……」
ぶつぶつといいつつも、馬車を引いて歩いてくれるあたり、良い人……もとい、良い馬なのだろう。
「ありがとうございます。両思いだってわかってから、マイアは積極的で。押しに弱い上に意思が弱くて、押し切られそうになっちゃうんです」
「気にすんな。この幸せ者」
小声でマイアを止めてくれたことにお礼を言うと、そんな言葉を小声で返す。
「ココキさんって、行商時代はどんなことをして移動の間の時間をつぶしてたんですか? えーと……」
「ん? 俺の名前か? 俺はキイルだ。ココキの時間のつぶし方ねぇ……あいつ何やってたかな……」
キイルさんはそういうと少し考えるように首をかしげた。
しかし、馬と会話をするという状況への順応が速すぎないだろうか、僕。
「だめだな、ココキとお前さん方じゃ、旅の仕方が違いすぎる。お前さん方の事情は知っているが、ココキは行商人。盗人どもが近くにいないか、常に気を張っていた。商品が盗まれれば、命が無事でも行商人としては死んじまう。ま、そんなときは命も取られるだろうがな」
「僕たちは……さっきみたいにのんびりした旅だから暇つぶしなんて考えるけど、ココキさんはそんな余裕がないような旅をしていた、ってことですか?」
「そう言うことだ。まあ、お前さん方も行商と勘違いされて襲われれば、坊主は殺されるだろうし、嬢ちゃんはべっぴんだから慰み者にされるだろう。それが分かったら、ちったぁ周囲を警戒しな」
たしかに、僕たちは元行商人であるココキさんの馬車を使っている。つまりは、行商人と勘違いされてもおかしくない馬車で移動をしている。
そう気づいて、気が引き締まる。僕の命はともかく、マイアは絶対に守らないと。
「キイルさん、マイアは前世で旅をしていたそうですが、僕は新造魂。何もわからない身です。他にも、いろいろ教えてください」
「任せとけ。俺だってお目付け役としてつけられたからには、お前さん方を無事に村まで帰らせる義務がある」
そういうと、キイルさんは旅における心構え、万が一の対応法など、とにかくキイルさんの知ることを片っ端から話してくれた。
それを聞いている間、マイアは不満げにしていたけど……気付かないふりをしておいた。何故って、気付いたらまた誘惑されるだろうからね。
そうしているうちに、景色に変化が出てきた。
道は舗装され、今までのガタガタという振動は減る。そこからもしばらく行くと、街道の立て札が見えてきた。
「あの、キイルさん? あの立て札通りなら、この先はマフェルトグマフェア……地図で知っているだけですが、かなり大きな街ですよね? なんでそんなところに?」
「この街を過ぎると、夜までに泊まれる場所がないからに決まってるだろ。盗人は夜の方が気づかれにくい。他にも道が見えにくくなったり、夜は危険なんだ。お前さんのことを考えると急ぐ旅だが、命を伸ばすために急いで殺されるんじゃ、本末転倒。そうだろう?」
「つまり……一晩マフェルトグマフェアの宿で過ごして、早朝にまた出かける、ってことですか?」
「ご名答。それに、お前さんは気づいていないかもしれないが、旅ってのは案外つかれるもんだ。たとえ、馬車に乗って座っているだけでもな」
「宿……!」
「嬢ちゃん、男と女が同じ部屋で寝れると思うか?」
「二部屋も取ったらお金が!」
「心配するな、親父さんはそのことも考えてしっかり金を入れてくれてある。夜這いなんてするなよ?」
キイルさんがいてくれてよかった。危うくマイアに手を出されてしまうところだった。そしてありがとうございます村長!
「なんで嬉しそうなの? レイは私といちゃいちゃするの、そんなに嫌なの?」
「いや、あのね、マイア。僕はマイアのことが好きだし、マイアも僕のことが好きかもしれないけど……やっぱり、村長の許しもなしにそう言う事はできないよ」
「えらいぞ、坊主。まあ、目付の俺がいる限りそういうことをさせる気はないがな」
「……馬料理、食べたいわね? レイ」
「できるもんならやってみな。この荷車を誰が引いていくか見ものだぜ」
その言葉にマイアは心底悔しそうなうめき声を漏らした。
「とにかく、別々の部屋で泊まるのも恋人同士には重要なことだ」
あきれながらも、キイルさんはそう口にした。
どういう意味なのか気になるようで、マイアは先を促すように黙っている。
「常に一緒にいて、飽きない相手。それは似合いの夫婦になるが、その前段階の恋人なら、常に一緒ってのはお勧めできない。なぜなら、一緒にいることが当たり前になっちまうからだ。一緒にいるということに希少価値を見出せ。そうすれば、坊主の方から嬢ちゃんを求めてくるかも、だ」
「……そういうものなの? レイ……?」
「えーっと……そう、だね。うん。マイアは毎日のように会いに来てくれたけど、会えない時の方がマイアのことを考えてたかも!」
「二部屋取ります。ご助言に感謝を、キイル様」
「……変わり身早いな……」
マイアの考えを変えるために、流れを読んでみたけど、それはキイルさんが引くほどの成果を上げた。
「どうしよう、レイの方からあんなことやこんなことをしたいって言われたら……前世で迫るほうはなれているけれど、迫られたことなんてないわ……」
夢見がちに頬を染めるマイア。
それにあきれながらも、キイルさんは僕たちをぽこぽこと引いて行ってくれた。