世界を祝福し、世界に祝福される契り。
お茶を飲み終えて、洗い物を済ませ、荷物を確認する。前世で旅をしていただけあって、マイアのまとめ方はどこに何があるかわかりやすいうえに、収納効率の良さなど、僕には非のつけどころがなかった。
……わかっている。本当なら、彼女──ミャイケニッヒリィンのたくらみが何なのか、今後も僕をあの世界に引きずり込むつもりがあるようだけど、次はどうすればいいか。そういったことを考えるべきだ。
だけど、今はあまりにも情報が少ない。ミャイケニッヒリィンは僕を高位の存在、ディルナムフィとかいう、高位の存在にしたいらしいということ。ミャイケニッヒリィンは人間には水の精霊と呼ばれるもの……泉で潜り込んできたものを”私の残滓”と呼んでいたことから、その本体であろうこと。それくらいしか分からない。しいていうなら、彼女は相当性格が悪いということもわかっているけれど、そこはたいして考察に影響はないだろう。
しかし、こんなことを考えて大丈夫なのだろうか。ミャイケニッヒリィンは、僕の魂の隙間に入っている。だったら、考えたことが筒抜けになるのでは……。
いや、逆に考えよう。僕は、魂の中にいるミャイケニッヒリィンの考えていることが分からない。だから、今こうして悩んでいる。だったら、僕の考えていることだけ筒抜け、ということはない……はずだ。そう思いたい。
「レイ? いないの?」
マイアの声? しまった、深く考えすぎて、ノックの音に気付かなかった……。
「ごめん、今開けるよ」
ドアを開けると、防寒具を手にして立っているマイアがいた。たしかに、寒さも感じるようになってきたころだけど、たくさんありすぎてドアを開けることもできなかったようだ。
「わわ、大荷物だね。どうしたの?」
「お父様が、レイにって。レイ、こういう持ち歩けるものは持ってないでしょう?
「そうだね、ありがとう、マイア。村長にも伝えて。でも、言ってくれれば受け取りに行ったのに」
マイアは両腕で一生懸命に抱えている。見た感じ、女の子が持つには少し重すぎる量だ。
「お父様からもそういわれたけど、私がこうしたい、って言ったの。レイと、少しでも長く一緒にいる口実になるでしょう?」
恥ずかしそうにはにかみながら、マイアは僕の家の中に入ってくる。
「そうそう、かばんもいくつか持って行っていいって、お父様が。レイのかばんに入りきらない分は、それに入れましょう? 一緒に取りに行って、また戻ってきて、荷物をまとめるの」
小声で「甘えすぎかな……」とつぶやくマイア。それを見ていると、ああ、やっぱり素は女の子なんだな、と思う。この人の隣で、この人を守り続けたい。幸せにしたい。
だから、ミャイケニッヒリィンの誘いになんて乗るわけがないんだ。僕は新造魂だけど、人間で、人間として生きて、人間として死んでいく。そして、来世の僕に”前世の自分は幸せだったのだ”と思わせるんだ。
「レイ? 怖い顔して、どうかしたの?」
「え、そんな顔してたかな?」
「うん。すごく真剣で、でも、心ここにあらず。そんな風に見えたよ?」
「あはは、旅の事を考えてたからかな……期待もあるけど、不安もあるから」
「……そう、だね。私は、好きな人と二人っきりになれて、精霊の地に向かうだけだけど、レイは……もしかしたら、そこで……ごめんなさい。私、浮かれすぎてるね」
「ご、ごめん。そういう意味じゃないんだけど……その、昼間のマイアの積極さを思いだすと、旅の間、マイアを襲わずに済むかな、っていう……そういう、不安だから。大丈夫だよ、絶対に死なない。だって……こんなにかわいい女の子を悲しませたら、男失格だよ」
本当のことだけれど、この場をごまかすための言葉。ミャイケニッヒリィンのことを隠す、少し後ろめたさのあることだ。
「ねぇ、マイア。ちょっと聞きたいんだけど、精霊が、人間に直接話しかけることって、前世の記憶にあるかな?」
けれど、どうしても確認しておきたいことはある。
「え? 私に聞かなくても、レイだって聞いていたでしょう? 黒のヌルジール、力になりたい、って」
「うーん、ああいうのじゃなくて……」
なんて言えばいいんだろう。いっそ、隠さず話してしまおうか? でも、それで心配をかけたくはないし……もしかしたらマイアの目の前で水鏡に引きずり込まれるかも、と思うと話したほうが良いかもしれない。
「なんていうか、魂の隙間にもぐりこんできた精霊が、直接話しかけてきたんだ。泉の時みたいなおかしな様子じゃなくて、ちゃんと理性のある感じで」
僕がそう言うと、マイアは息をのんでいた。いや、それどころじゃない。青ざめている。怖くて、顔から血の気が引いている。そんな感じだ。
「……私の前世は、新造魂じゃないから、憑りつかれることはなかった。でも……偶然、憑りつかれた人と話すことはあった、よ……そこまで行ってしまった人は、みんな、突然人が変わった。ううん、きっと、精霊に、乗っ取られていたのね……そんな、レイが、もうそこまで……」
しまった。知らないことだったとはいえ、マイアが恐れることの前兆を話してしまっていた。
「どうしよう。私のせいだ。私がレイをちゃんと守れていたら、ううん、あの場に行って、レイの重荷にならなければ……!」
「落ち着いて、マイア。大丈夫。僕の体も、僕の心も、僕の物だ。精霊なんかに渡さない。それに、マイアがいなければ、僕は精霊に憑りつかれたってこともわからずにいた。だから、マイアのせいじゃない。マイアがいてくれれば、僕は強くなれる。一緒にいよう、マイア。マイアにささげるために、体も心も、守り切るから」
「……っ、うぁぁぁ……ごめんなさい、ごめんなさい……!」
泣き崩れるマイア。そうすることにためらいはあるけれど、そっと抱きしめる。
僕の胸にマイアの耳をあて、鼓動を聞かせる。
「聞こえるかな? 抱きしめるのに緊張して、少し早くなってるけど、この心臓は、僕の物。そして、マイアにささげる物。他の誰にも渡さない。他の誰にも奪わせない。誓うよ。我が全ては、君がためにあり。君よ、我を受け取ってくれまいか?」
「……それ、結婚式の、誓いの言葉……」
「うん」
「……喜んで、受け取ります。そして、私の全ては、あなたのためにあります。どうか、私を受け取ってくださいませんか?」
「喜んで。これをもって、我らは互いの欠けたるところを埋め合う、完全なる形となる……続き、一緒に言おう?」
「「世界の全てよ、祝福を。世界の全てに、祝福を。新たな夫婦として、永遠に共にあることを、ここに誓う」」
決して遊びで言ってはならない言葉を、世界の全てへの宣誓を口にする。その言葉を言うこと、マイアがそれに答えてくれたこと。それが、また鼓動を早める。
「レイ、すごいドキドキしてる」
「誰よりも大切な人を抱きしめて、結婚式の誓いの言葉を口にすれば、ドキドキもするよ」
「……私もね、今、すごくドキドキしてる。レイ、もっと強く抱きしめて? 痛いくらいに、ぎゅって」
「……うん」
少しずつ、マイアを抱きしめる腕に力を込める。
「んっ……!」
「ご、ごめん。痛かった?」
「少しだけ……でも、大丈夫。レイが、私を求めてくれてるんだ、って思うと……うれしくて、別の涙が出てきそう」
マイアを落ち着かせるためとはいえ、痛い思いはさせたくない。力をそれ以上強めず、かといって、弱めることもなく、しっかりと抱きしめる。
「ありがとう、レイ。少し、落ち着いたわ……でも、もう少しだけ、このままでいてもいい?」
返事はしない。代わりに、抱きしめる腕を少し動かして、右手で頭を撫でて、左手で背中をぽん、ぽんと周期的に軽くたたく。
「マイア、お風呂上がりだった? すごく、いい香りがする」
「うん。でも、汗臭くないかな? 荷物、少し重かったから……汗かいちゃったの」
「大丈夫だよ。汗が出ても、マイアはいい香り……食べちゃいたいくらいだ、なんて……」
「……うん。レイなら、良いよ? 帰ったら、もう一度体を洗おうかな、って思ってるから……少しくらい、汗かいても、平気だよ」
「……ごめん。そういう話になるようなことを言っておいてなんだけど、それは、旅が終わってからだよ。精霊なんてわけのわからないものと一緒の状態で、マイアとそういう事はできない」
「だったら、期待させるようなこと言わないでよ……やっぱり、レイは私を興奮させる天才だね。私以外に、そんなことしないでね。その時は、女たらしー、って叫んで、何するかわからないから」
「マイア以外にこんなことするもんか。そんな心配、しなくていいんだよ」
「うん……旅の終わり、楽しみだなぁ」
「マイア、前世に影響されてない? こんなことを楽しみにしちゃだめだよ」
「助平だね。でも、この世で一番好きな人と一つになれるのを楽しみにできないなら、楽しみにできることなんて、この世界には一つもないよ」
その後も、しばらく愛をささやきあいながら、抱きしめあう。絶対に生き延びて見せるけれど、こんなに幸せになれたのなら、もう死んでも悔いはない、そんな気分だ。
「ねえ、レイ。やっぱり、キスはダメ?」
「口にするのは、やっぱり認められてから、かな。でも……ちょっと、後ろ向いて?」
不思議そうな顔をしながらも、マイアは僕に背中を向ける。
「マイアの髪、さらさらで……全然傷んでないね……」
髪をかき分け、うなじを出し、優しくキスをしていく。
「ん……っ! ふぁ、ひゃっ……!」
唇が触れるたび、僕の吐息が首筋をなでるたび。くすぐったいのか、マイアは理性の維持にとてもよろしくない吐息を漏らす。
「あ……っ!」
そして、最後に跡が残るほどに強くキスをして──マイアを、求めた。
「ごめん、本当はしていいか聞いてからするものだろうけど……キスマーク、つけちゃった」
「ちょっとびっくりしちゃった……でも、これで、私はレイだけの女の子になれたんだね……もっと、つけてもいいよ? そこなら、髪で隠れるから」
「それは、ちょっと無理かな……してる時のマイアの声聞いていると、我慢できなくなりそうで」
「我慢なんてしなくていい、って言っても、お父様の許可が下りてから?」
「うん。こんな痕つけておいて言うことじゃないけど、初めてはやっぱり、みんなに祝福されるものでないと」
「そうだね……キスだけでこんなに声が出るなら、こんな静かな夜にしたら、周りの人に聞かれちゃう」
愛おしそうに痕を撫でてから、マイアは髪を直した。
それから、名残惜し気に僕から離れて、こちらに振り向いた。
「もっとレイに可愛がってほしいけど……旅の出発準備ができるのは、明日の早朝。少しでも早く出発して、レイを元に戻さなきゃ。だから、今日はここまで、かな……行こっ、レイ。かばん運ぶの、手伝って?」
「うん、わかった」
抱きしめて、うなじにキスをするだけでこんなに心が高ぶるのなら、閨事をしたらどうなってしまうのだろう。
そんなことを考えながら、僕はマイアの後についていった。