旅(青春出発済み、巡礼前夜)
村まで帰り着くと、みんなもう、それぞれの務めを始めていた。それはそうだろう。僕の狩りは、思いもよらぬトラブルに見舞われたのだから、普段より遅くて当然だ。
ふと隣を見ると、マイアは大きく息を吸っていた。口の前に魔法陣が出ていることから考えて……うん、耳をふさごう。
「村民傾注!! 私はマイア・グランジール! 今回の“騒めき”を見届けました! 被害にあったのは、レイ・ヌーフェリア! 村民は至急グランジール家門前へと集まるよう!」
隣に立っていた僕の鼓膜が破れるかと思うほどの大きな声。それは拡声魔法によるものもあるのだけれど……それは、今はどうでもいい。
近くにいた人たちが、マイアの方──つまりは、僕もいる方を見て、驚きに満ちた表情を浮かべるのだ。
たしかに、今、僕は腹のあたりに穴の開いた服装でいるわけだけど……そこまで驚くようなことかな?
それに、もう一つ気になるところがある。
「マイア……騒めき、って、なんのこと?」
「……あまり、教えたくはねぇんだが。村民にも知らない奴はいる。まとめての説明でいいか?」
いつの間にか男口調に戻っているマイア。その迫力に気圧されて、思わずうなずいてしまう。
とりあえず、今はマイアの家の前に向かうのが最優先だ。良く分からないけれど、村民を集めるほどなら、大変なことが起きているはず。
「急ぐぞ。小さな村だ、集まるのにそんな時間はかからない」
そう言うと、マイアは走り出した。僕もそのあとを追いかける。
グランジール家前。マイアの家であり、村長の家でもあるそこの正面は広場になっていて、すでに大半の村民が集まっている。
「マイア。レイ。二人とも、こちらへ」
すでに注目を集めている村長、レギアさんの声に、集まっていた人々の一部がこちらを向く。
「ヌーフェリア……お前、その髪……」
その一部の中には、サグレさんも含まれていて、そんな驚きの声をあげる。
髪……? そう言われて、後ろで束ねている一束の髪を見てみる。
「え、ええっ!?」
そして、驚きの声をあげてしまう。
僕の髪の毛が、濁った青色に変わっていたのだ。
「なに、これ。どうなってるの!?」
「……説明する。レイ君。マイア。二人が接触したのは、精霊と呼ばれる存在だ」
精霊? って、たしかに、あの森は“精霊の森”だし、あの得体のしれないものがいたのも“精霊の泉”だ。でも、実在する、なんて僕の知識にはない。
「サグレ。何か妙な気配がすると、朝感じたそうだね?」
「え、ええ。村長。うまく言い表せませんが……森の雰囲気が、いつもと違うような……それも、普段の違いとは、また違う感じが」
「それが“騒めき”だよ。精霊が目覚める前兆だ。もちろん、本当に目覚めることはめったにない。だが……今回は、新造魂である、レイが精霊の住まう地に足を踏み入れ、狩りをした。精霊から見て、土地を荒らされた。その為に、目覚めてしまったのだ」
そこまで聞いて、僕は声をあげずにはいられなかった。
「待ってください、村長! 精霊は、実在したのですか? おとぎ話のようなものではなかったのですか!?」
「……レイ君。我々、転生者ですら、精霊を目撃することはまずない。だが、実在するのは確かだ」
僕の問いにそう答えると、村長は一呼吸おいて、また話しだした。
「精霊は、人間と一体化することを望む傾向がある。だが、大半の人間とは一体化することができない。前世……今の自分とは、厳密には異なる魂が、精霊の入る隙間を埋めているからだ。だが、皆知っているように、レイは新造魂だ。前世を持たない、隙間が転生者と比べ、広い魂の持ち主だ。その隙間に、泉に住まう水の精霊が入りこんでしまった……それが、今回起きてしまったことだよ」
水の精霊……話が確かなら、僕の髪色の変化にもうなずける。精霊の持つ魔力が、僕の魔力と混ざり合ったのだ。だから、黒と青が合わさり、濁った青色になった。
「だが、問題はここからだ。精霊と一体化した人間は……短命となる。己のあるべき魔力と異なる性質に突然変異したことに、体がついて行けないんだよ。レイ君は、幸いにも全属性の持ち主……黒の魔力だから、即死こそしなかったものの、単独の属性しか持たないものが一体化した時は、時に悲惨だという。もしもレイ君が火属性しか持たなかったら、精霊の水属性にのまれ、死んでいたかもしれない」
冷静に告げられたその言葉で、顔から血の気が引く。短命になる……? もしかしたら、死んでいた……?
マイアが言っていたとおり、知らない人もいたようで、グランジール家前にはざわめきが起こる。
「これの解決策は、私の記憶にはない。まあ……起こってしまったものは、どうしようもない。大丈夫だ、レイ君。短命になっても、来世で幸せになればいい」
来世で……そう、だよね。僕は、経験がないからわからないだけで、来世は存在するし、転生なんて当たり前なんだ。死は、何も恐れることはない。
だったら、現世が短命になるくらい、どうだっていい──
「お父様」
そう思ったところに、マイアの刺すように鋭い声が飛び込んでくる。
「御説、ごもっとも。私たちには、来世が約束されている。ならば、現世を手放してもいい……? いいえ。先ほどお父様が、ご自身で語られたとおり、前世の自分は、自分であるようで、自分ではない。レイが、レイとして生きることができるのは、現世だけです。ならば、現世を諦めるのは、お父様が、天上の主たちが許そうとも、私が許しません」
「……マイア。お前がレイを好いているのは分かっている。だが、レイを元に戻す手段がないだろう? 私の記憶にも、様々な記録にも存在しない」
「それでも、私の記憶にはあります」
聞き分けのない子供にわからせるような口調。しかし、マイアはその口を休ませることはない。
「前世の記憶の中に、その手法はあります。それは……反属性の精霊を、わざと憑りつかせて、先に憑りついた精霊とぶつけ合わせること。魂の中で行われる戦いに耐えきれず、魂が壊れることもある、いちかばちかの賭けです。それでも……この村で、短い余生の終わりを待つくらいならば、どれだけ確率が低かろうと、生きるすべを試みるべきです!」
その堂々とした語り口は、このような形での僕の最期を断じて認めないという意志が込められていた。
「……けれど、来世に夢を託すも、危険を承知で現世を生きることを選ぶも。それは、レイの決めることです。これは、レイの人生ですから、試練に挑むかはレイの決めることです」
その言葉は、まっすぐに。異論を認めないほどに強く放たれた。
だけど、僕を見る瞳は、不安に揺れていた。
「……僕は」
マイアの不安がどこにあるのか。そんなもの、僕が短命になることを受け入れることに決まっている。
それが分かっていて、逃げ出そうとは思わない。
「まだ、死にたくはありません。少しでも長く生きていたい……だから、危険だとしても、マイアの言ったことを、試してみたいです」
僕の言葉を聞いたマイアの瞳から、不安は消えていた。
「そうか……良いだろう。だが、旅に出るのなら、必要なものはいくらかあるだろう。迅速に用意する。だから、そろうまでは待っていてほしい。皆、手伝ってくれ。二人分の旅装だ。急がなくてはな」
二人分? って、まさか、僕と……マイア!?
慌ててマイアの方を見ると、当然だと言わんばかりにうなずいていた。
「そ、村長! あの、マイアの前世のことはご存知かもしれませんが、少なくとも今、僕との関係性は男と女ですよ!?」
「わかっているよ。だが……前々から、もしもこのようなことが起きたら、君と旅立つと言ってきかなかった我が娘だ。だが……父として、娘の純潔を汚すようなことをすれば、君をぶん殴るくらいはさせてもらうからね、レイ君」
笑顔の村長。しかし、その言葉には万が一のことがあれば、僕を殴る程度じゃ済まさない、という明確な意思が感じられた。
「そういうわけで。お父様に殴られないようにしてくださいね、レイ?」
笑顔でこちらに歩いてきて、腰のあたりを押して、僕の家の方へと歩き始める。
「もちろん、俺はいつでも準備万端、なんなら寝込みを襲われても合意の上だけどな」
……男口調でよかった。女口調で言われていたら、理性が危ない。
僕の家の中に入ると、マイアは即座に僕の荷物をまとめだした。
「前世では結構旅してたからな。旅支度なんて、慣れっこだ。任せとけよ」
「だからって、真っ先に下着をまとめるのはやめてくれないかな……」
「一番好きな人の、普段見られないものを見るのって、なんだか特別な気がしたの……レイの香り、残ってるかな……」
「女口調でも男口調でもその発言も行動も許さないよ!?」
僕の下着に顔をうずめようとするマイアを止める。なんで何のためらいもなくパンツを選ぶかな……。
「ところで、僕は何をすればいいかな?」
マイアの手際が良すぎて、特にやることが思いつかない。そもそも、旅なんてしたことがないから何を持って行けばいいかもわからないし……。
「んー……親父に前々から説得してあるから、俺たちの個人的な荷物くらいしか用意するものないんだよな、多分。とはいえ、レイは旅の支度なんてわからないだろうから俺が手伝わないとだし、俺の荷物をレイがまとめるのは親父が許さないだろうし」
「そうだね……ごめんね、自分のこともできなくて」
「誰だって初めてのことはわかんないんだからしゃーねーって。申し訳ないと思うんだったら、旅の途中でいろいろ教えてくれ」
「いろいろっていったって、僕の知ってることなんて、マイアだって知ってるでしょう?」
僕がそう言うと、笑いながらうなずきかけたマイアの動きが止まった。どうかしたのかな?
「女としての喜びはお互い知らないからそれで」
「僕が村長に殺されるよ!?」
「冗談、冗談。小指の爪先くらいしか冗談は含まれてねーよ」
「ほぼ本気ってことじゃないか……」
ため息をつく僕と、ケラケラと笑うマイア。非常に対照的だなぁ……。
「……でも、レイには、本気でお詫びをしないといけないから。たとえ許されないとしても、私にできること全てで」
「急に真剣になられても……というか、マイアが僕にそこまで悪いことしたっけ?」
いたずら、からかいのたぐいは常日頃から受けているけれど、こんな真剣に謝らないと、といわれるようなことはされていない。恥ずかしいし、節度を守るべきだとは毎回思うけれど、そうでもしてくれないと、僕はマイアと話が出来ないし。
「……精霊から、レイを守れなかった。そのせいで、レイは危険な旅に出ないといけない。確かに、私たちは来世が約束されているわ。だからといって、危険にさらしていい理由にはならない。特に、新造魂の旅は、危険だから」
「マイア……」
本気で悔やんでいるマイア。マイアは、いたずらやからかいのためなら、演技は平気でする。けれど、演技でしていいことと、悪いことの区別はしっかりしている。この言葉は、どこまでも心の底からの後悔で、懺悔だ。
「いいよ」
だから、僕はマイアの心が少しでも軽くなるように、そう口にした。
「僕、村の外に出てみたかったんだ。確かに、精霊に憑りつかれることを目標として、それが普通よりずっと命の危険があるとしても、旅なんて、そんなものじゃないかな? 大なり小なり、旅に危険は伴う。それなら、マイアみたいな……なんていうか、その、可愛い……同世代の女の子と、お互いに守り合いながらできる方が、僕はうれしいな」
なれない軽口を混ぜて、そういうけれど、マイアはうつむいたままだ。
「私、可愛くなんてないよ。前世の記憶を頼りに、男の人みたいな言動をすることだけじゃない。私は、きっと、レイの思ってるような女の子じゃない」
本当の涙を目にためて、マイアはそう口にする。
マイアの本当のことなんて、僕には現世でのこと、それもごく一部しか分からない。けれど、分かっているんだ。
旅の演劇一座が来た時。他にも、ごくまれに巡礼の人が泊まりに来た時。この村は、小さくて田舎だけど、いろんな人がやってくる。
それでも、マイアよりかわいい人なんて見たことがない。
マイアよりきれいだと思う人を見たことがない。
外見だけじゃない。マイアは、新造魂の僕に、いつだって、いろんなことを教えてくれて、優しくて、それで僕が引け目を感じて距離を取れば、恥ずかしい、はしたないと思いながらでも、男の人のするようなことをしてまで、僕との距離を縮めてくれた。
マイアの前世のことは、詳しくは知らないけれど、マイアが教えてくれた。性格の大部分は、現世の環境とかで決まるって。
だったら、マイアは、僕が思っている通りの、知らない人に話せば妄想の中にある理想像だと笑われるほど素晴らしい、僕の大好きな女の子なんだ。
「マイア。旅から帰ってきて、村長の許しももらえたらの話だけど。僕と、その……今までよりも、より深い関係っていうか、幼馴染じゃなくて、その、えっと……愛とか、恋とか、そういうことを語らう関係に、なってくれないかな? もちろん、マイアが嫌でなければだけど……」
照れくさくてしどろもどろになりながら、何とか最後まで絞りだせた言葉は、マイアがこちらを見るほどには突拍子もなくて。
けれど、涙を止めるほどびっくりさせるには、これ以上の方法が思いつかなかった。
「いいなずけに、なってくれるの?」
「いいな……っ! そ、それはちょっと話が飛躍しすぎだよ! ま、まずは、やっぱりもっとお互いを異性として見て、愛をささげていい相手かどうかを見極めて、それから──」
「うれしい……!」
マイアの目から、涙がこぼれる。
けれど、表情を見れば、声にこもった感情を聞けば。さっきまでの後悔の涙じゃないことは、僕にだって分かる。
……僕なんかの、たどたどしい告白でそこまで感情を動かしてくれるのは、照れくさくて、うれしくて。
「レイ、ベッドに横になって? こんなことを、私から言いだすのは本当にはしたないことだってわかっているけれど、既成事実さえ作ってしまえばお父様も拒めないわ!」
「お、落ち着いてマイア! いくらなんでも、それは問題がありすぎるよ!」
「問題なんてないわ! 両想いなんですもの、愛し合う二人の愛の語らいの邪魔なんて、誰にもさせない!」
いや、たしかに告白はしたけど、話が飛躍しすぎている!
「あ……ご、ごめんなさい。そうよね、旅に出るのに、おなかに子供がいたら必要以上に大変な旅になってしまうわ」
「落ち着いて。本当に落ち着いて。深呼吸しようか、大丈夫だよ。ちゃんと、村長の許可をもらって、マイアと付き合って、お互いのことをもっと知って、それでもマイアが僕のことを好きでいてくれたら、その……そういうことも、する、から。きっと」
「……うん。でも、こんなに嬉しいの、前世を含めても初めてなの。嬉しすぎて、何かしてもらわないと、おかしくなっちゃいそうで……せめて、キス、とか」
そう言いながら、マイアは立ち上がり、僕に歩み寄ってくる。僕より小柄な体で、それでも、僕の逃げ場がなくなるように動いている。
「マ、マイア、旅の支度をしないと……」
「それって、キスよりも大切なこと?」
その言葉は、甘ったるいほどの声音で放たれる。けれど、その濃密さがマイアが本気で僕を求めていると実感させ、僕はなすすべがなくなる。
あっという間に僕は壁際に追い込まれて、マイアは僕の逃げ道を確実にふさぐために両腕を壁につける。
乱暴に振り払えないことはないだろうけど、そんなことをしてマイアを傷つけるわけには……。
僕を見上げるマイア。その顔に、片手を添える。マイアは僕がようやく覚悟をしたのかと、目を閉じる。
ずっと昔から見とれていた、薄紅の唇に、僕は、僕の唇を……を……。
…………やっぱり、急には無理っ! 直前で僕は顔の動きをずらし、頬にキスをした。
「……レイ……?」
「……いや、その……」
不満げなマイア。その不満は、少しずつ怒りに変わっていって。
「……っ、それでもタマついてんのかぁぁぁ!」
「ほわあああああああああっ!?」
マイアは、男口調になりながら、僕の股間を握りつぶすかのようにつかんできた。そこまで怒ること!? っていうか、マイアの素の口調ってどっちなの!?
「馬鹿! 意気地なし! 好き! 大好き! 愛してる!」
「わかったから! わかったから、せめて、手から力を抜いて──」
「すっとんきょうな声が聞こえたが、なにか──」
あ、サグレさん。
「──その、邪魔、したか? だが、いくらなんでも、周りに聞こえるほどの声をあげさせるような営みは……控えたほうが良いんじゃないか? いや、若さから、そういうことをしたくなるのもわからんではないが。とりあえず、村長には言わないでおくから──」
「ち、違うんです! これは、その、えっと……私の無防備な姿を見てもなんとも思っていないような態度ばかりなので、レイの男性機能はちゃんと備わっているのかを確かめるために、じゃなくて……えっと……」
しどろもどろになるのは、今度はマイアの方だった。とりあえず、股間から手を放してくれたし、サグレさんの方を気にして僕の逃げる道ができたから、そこから抜け出す。
……うん、抜け出したところで、マイアが僕の股間を握りしめているところを見られた事実に変わりはないし、僕もこの場をごまかせるようないいわけは思いつかないけれど。
とりあえず、旅支度はしばらくできそうになかった。