上々すぎた成果はそっと肉屋へ
宿屋に戻った僕を迎えたのは、驚いたような、あきれたような表情のおかみさんだった。
「あらあらまあまあ……どうしましょう」
「……もしかしなくても、狩りすぎてしまったでしょうか」
困惑に変わっていく表情を見て、そう小声で言う。
「その、害獣指定されている動物が、種類も、生息数も相当数のようだったので、これくらいなら僕一人で狩ってもいいかなー、と思ったのですが……」
「そう、ねぇ。種類豊富で、料理もいろんな種類できるでしょうけど……仕入れ済みの分もしまうと考えると、食糧庫に保存できるかどうか……」
……うん、やらかした。
おかみさんの反応から推測するに、この宿のお客さんにふるまえる量を超えている。というか、余った分は市場に流せばいいか、なんて思っていたけれど、そんなことをできるような状況だったら狩猟した肉までもらえるわけがないのだ。最初に言われていたのになぜ忘れていたんだ……。
「……師匠に、怒られるなぁ」
別部屋になったし、夕飯の時にまた、と言っていたから声をかけにくかったけれど、マイアについてきてもらった方が良かったなぁ。人や作物にあたらないよう、というところにだけ集中していた僕に、狩りすぎだよ、そう忠告してくれたかもしれない。
「すいません。それじゃあ、料理に使う分だけ受け取ってください。残りはどうしよう……干し肉にするとしても多すぎるし……せめて土に返してあげなきゃ……」
「──ちょっと待って。今、なんて?」
「え? 土に返そうかと。そうすれば、肥料くらいにはなるかなー、と」
「もうちょっと前! 干し肉! そうね! その手があったわ!」
……? おかみさんのはしゃぎ具合から見て、何かいい手段を思いついたようだけど、干し肉?
「干し肉と言えば保存食の定番。だけれど、もう少し別の食べ方をしたいと思わない?」
「まあ、そればかりでは飽きてしまいますからね」
「実はね、うちは……燻製、作れるのよ?」
燻製。その言葉を聞いて、腹の虫が騒ぎ出す。
香りのよい木の煙でいぶした肉は、香り、味、脂。その全てにおいてただ単に塩漬けにして干しただけの干し肉とは一線を画す。
厚切りの燻製肉を焼き、かぶりつくのを想像する。凝縮されたうまみと、焼いただけでは流れ切らない脂。それだけでもたまらないのに食欲をそそる燻製香までついたら……!
「それと、そうね……ツテを使えば、腸詰なんかも肉屋さんに作ってもらえるはずよ? 最近機材を仕入れたって、何度も聞いたんだから」
「腸詰?」
「あら、なじみがないかしら? イノブタの腸に、ひき肉や香辛料を詰め込んで、ゆでて火を通すのよ。保存のためなら、そこからまた燻製にするっていう手もあるわね」
……うーん、なんだろう。見たことがない食べ物の味はさすがに想像がつかない。
「腸に詰める、ですか……」
「あ、その顔はおいしいのかな? って顔ね? もう、とびっきりおいしいわよ! 腸は水や油を通さない。そして、破れない程度にひき肉を詰め込んだ腸は焼いて、歯を入れた途端にパリッと破れて、そこからはもう大変よ! 中に閉じ込められていたおいしい脂がぶわっと口の中に広がって、香辛料が肉の臭みを消してくれているから、もうそこからはひたすらおいしいの洪水! わかる? 焼くと出ていっちゃう脂も含めて、ぜーんぶ口の中に流れ出てくるのよ!」
「そ、そんな食べ物が!?」
流れ出てしまう脂まで逃さず食べるだなんて……そんなのおいしいに決まっているじゃないか……!
「それと、腸詰を適切な環境で熟成させてから食べる、なんてのもあるらしいわよ? 作ろうと思うと二か月か三か月くらいかかっちゃうから、報奨金で買っていくのはどうかしら。これがまたおいしいのよ~。強めの香辛料のパンチに、口の中でとろける脂……もう、とんでもないったらないわよ!」
「凄い……都会って凄い……!」
知らない食べ物だけれど、おかみさんの説明があまりにもおいしそうで、僕の中では買うのが決定してしまった。まあ、思わぬ報酬が入ったし、多少なら……たぶん、マイアも許してくれるだろうし。
「と、とりあえず、料理に使えそうな分はどうぞ! それと、燻製もお願いして、肉屋さんの紹介も……いくらかお支払いした方が良いでしょうか?」
「そうねえ、燻製に使う木もタダではないし……でも、そんな量は燻製にして、保存がきくようにしても、二人旅では食べきれなくて腐ってしまうでしょう? だから、うちでいったん引き取って、他の旅人さんにも売りましょう。その売り上げからいくらかもらって、残りはレイ君に。レイ君も、うちも、他の旅人さんも三方丸く収まる、良い案だと思うのだけど?」
なるほど。この街では必要がなくても、保存食は旅人の必需品だろう。それを安価に手に入れられれば、喜んでくれそうだ。その売り上げから手間賃とかをお支払いして、残りを僕たちが受け取る。当然、お金があって困るようなことはそうない。何より、そんな臨時収入があれば腸詰の手間賃も払えるし……できれば、熟成腸詰も食べたいなぁ。
「わかりました。では、この辺りを燻製にしていただきますね」
数十匹の猟の成果をおかみさんに手渡す。
「猟師なので、捌くのはなれてますけど、お手伝いした方が良いでしょうか?」
「大丈夫よ。宿屋のおかみ、なめてもらっちゃあ困るわ。それより、レイ君はお肉屋さんに行ったらどうかしら? 腸詰はおいしいけれど作るのに時間がかかるのよ。紹介は……あなたー? ちょっといいかしらー?」
おかみさんが旦那さんを呼びながら厨房らしき場所へと入っていった。
少ししてから、筋骨隆々としたいかにも強そうな雰囲気の長身男性が出てきた。
「妻から話は聞いたよ。さ、行こうか」
「あ、はい!」
少し外見の迫力におされながらも、後をついて歩きだす。
……それにしても、本当にすごい筋肉だなぁ。
「旦那さん、すごい鍛えてるんですね。どんな訓練をされているんですか?」
ひょろひょろとしては、少しあこがれる。その思いからなんとなくそう聞いてみる。
「ああ……大したことはしていないよ。それなりに人気のある宿屋で、重いものを運ぶのをしょっちゅうやっていると、これくらいは鍛えられる。買い出しの時も妻にこき使われるからね。おっと、最後のは妻に言わないでおいてくれよ?」
「ふふ、わかりました。内緒にしますね」
なるほど。日常生活が訓練なんだな。
その後も時折話をしながら、肉屋へと向かう。
「ここだよ。っと、今日はもう閉めかけてるな。おーい、大将! ちょっと待ってくれ!」
「んぁ? おう、宿屋の。どうした? なんか袋を浮かせたガキぃつれて」
「彼はうちの客なんだが、何でも凄腕の猟師らしくてね。例の害獣駆除で狩りすぎた獲物を腸詰にしてもらおうってことで案内してきたんだ」
「ほう? 材料持ち込みとはいえ、タダってわけにはいかないが、そのあたりは問題ないかい?」
「ああ。この袋の中いっぱいに獲物が詰め込まれていたって妻から聞いている。報奨金もがっぽり出るはずさ」
「ふむ……いいだろう。引き受けた。ぼうず、名前は?」
「レイ・ヌーフェリアです。よろしくお願いします!」
「レイ、ね。明日、受け取りに来てくんな。もちろん、報奨金を受け取って、支払いができるようになってからな」
閉店直前に駆け込んでしまったからだろうか。肉屋さんの機嫌が悪いような……。
「用が済んだんなら、出てってくんな。宿屋のも、あまり長く厨房開けるわけにはいかんだろう?」
「愛想がないな。だが、言ってることは事実。レイ君、戻るとしよう」
くるりと肉屋を後にする旦那さん。僕は肉屋さんに一礼してから旦那さんを追いかけた。
それにしても、何か失礼でもしてしまっただろうか。田舎臭かったかな……。
「すまんね、レイ君。あいつは最近ああなんだ。害獣駆除はいいが、解体するのに技術がいるだろう? そうなると、肉屋はもうかる。けれど、その分忙しい。仕事が大変でピリピリしているのさ」
「僕が思ったこと、顔に出てました?」
「ああ、前世の記憶も合わせればずいぶん長く生きているからね。人の顔を見れば、大概のことは分かる。何より、宿屋は接客命だ。お客様への細やかな気配りは欠かせない。そうなれば、自然とこれくらい察せれるさ」
「……すごいんですね、やっぱり。僕なんて、故郷で男みたいな口調で話す幼馴染が、僕が話しやすいよう、僕に合わせて話してくれていることさえ気づけなくって。この旅が始まって、ようやくそれに気付けたんです」
前世の記憶も、接客で培った経験もない僕には、旦那さんがうらやましい。
そんな観察眼が僕にもあったら、マイアをもっと早く楽にしてあげられたのに。
「レイ君。私は長い事生きている、といったが、猟の経験はない。さて、私とレイ君はどちらが優れているかな?」
「……? 何かのなぞかけですか?」
「いいや、君は考えすぎだよ、と言いたくてね。私はお客さん相手に生きてきたから、前世の記憶も手伝って人の心を考える能力にたけている。君はその若さですさまじい量の腕前を持っている。前世の記憶があっても、技術まで引き継げるかは怪しいからね。そういう意味では君の方がすごい。でも、どちらが優れているか、なんてナンセンスだよ」
そう言うと、旦那さんはポケットに手を入れ、アメを取りだした。
「世の中、そういうものなんだよ。私は前世と今まで生きて、宿屋の主人ができる。君は、前世の記憶と現世で持った才能から猟師ができる。肉屋だってそうだし、そこの喫茶店のマスターだって前世の記憶と、現世の時間を使っていろんな勉強をしたからその仕事ができる。でも、その優れた部分は全部別方向だろう? 人間なんて、前世の記憶を持ったくらいじゃ全能にはなれない。だから、君はもっと自信を持っていいんだよ。少なくとも、その幼馴染にとって君は特別だ」
目からうろこが落ちた気分だった。
僕は前世の記憶がないから、他の人より劣っている。そう思っていたのに、旦那さんはその考えをあっさりとどかしてくれた。
「わかってくれたかな? さて、頭を使ったら甘いものだ。アメならいろいろあるよ。甘酸っぱいのとか、スーッとするのとか」
「えっ、いいんですか? うーん……じゃあ、そのスーッとするので」
「はいどうぞ。このアメだって、味とかの方向性がまるで違うから君は悩んだ。同じような味の物ならおいしいほうを選ぶかもしれないが、安くてちょっと雑味が混ざった独特の味わいを感じられる方をたまには食べたくなるかもしれない。猟師として君よりすごい人、劣った人はいても、レイ・ヌーフェリアという一個人は君しかいない。幼馴染の子にとって特別なのも、きっと君一人。そうだろう?」
「……そう、かもしれません。うん。少し、自分に自信が持てました。ありがとうございます」
「こちらこそ。妻から聞いたよ。凄腕猟師のおかげでちょっとだけもうけさせてもらえる」
そう言って、旦那さんはニカッと歯を見せて笑った。鍛えられた体と相まって、なんだかさわやかなくらいだ。
マイアにとっての特別。それは猟師の中でも僕しか与えられない栄誉だろう。
だったら、もう前世の記憶が、とか気にしないで生きていける。そんな気がした。