無知ゆえの勘違い
夕方から深夜にまで及んだ魔術特訓……講師であるオーロラは、あくびをしてから終了を宣言した。
「魔術を教えて欲しいなんて何事かと思ったけど、魔力の殆どない異界の民だったなら納得だよね」
魔術――魔法技術の略称であるその手法は、元々、生まれつき魔力量が少ない人間のために考案されたものだ。
体内外の魔力量を調節して発動する魔法とは異なり、『如何に少ない魔力量で、魔法を再現できるか』に焦点をおいた魔術は、ありとあらゆる経験を元に魔法を再現させているに過ぎない。
とはいえ、今の僕にとっては正に命綱。前みたいな脳筋スタイルを貫いてたら、あっという間に死ぬだろうし、多少なりとも考えて戦う方向性にもっていかないと……今更、コミュ障の僕が、転職できるわけないしね!
「で、起動鍵は?」
「……もう決めてある」
魔術を起動させる際に必要な再現率を引き上げる、起動鍵と呼ばれる口頭文句。ルーティーンみたいなもので、魔術師の精神を統一させて、魔法再現の失敗率を可能な限り引き下げる効果があるのだという。
「魔導式触媒は高いから、最初は砂に描いた魔法陣とかでもいいかもね。初心者は大体、そういうことするし」
足りない魔力を補助するための魔導式触媒である杖を振り回し、オーロラは疲れを吐き出すようにあくびをした。
「熱心なのはいいけどさぁ、なんで魔術行使の“失敗”を意図的に引き起こす練習までしてるの? 体内で擬似発生させた魔力が制御できずに、一気に体外に流出したら、どういうことが起きるかはわかるでしょ?」
答えは、爆発を起こす――空間の限界流入量を迎えることで、大規模な魔力反応を引き起こすからだ。
「……フッ」
「いや、笑っとらんで答えろや」
ふふふ、男の子には、必殺技が必要だとだけ言っておこうか(言ってない)。
だるさをこらえ、部屋に引き上げる。
工房による安全装置が作動しているものの、無理やりに魔法を再現しようとする魔術の失敗率は異様に高い。並ならぬ集中力を要するので、僕の身体はくたのくたくただった。
「……あっ」
扉を開けると、ちょうど、パーシヴァルが着替え中だった。
同年代の男性の裸を視たことがない(友人皆無)ので、改めて彼のことを観察してみる。
癖のある髪の毛は野放図なく伸び切っており、赤面している顔立ちは凛々しい。男にしては喉仏が見て取れず、そこから視線を下に下げると、胸部がこぶりに膨らんでいた。更に下を見ようとするが、衣服で隠されて遮断される。
「……良い胸筋だ」
「…………ぅ」
痩せ型でないと、ああいう風に筋肉がつくのか。僕もまだまだ研鑽が足りないなぁ。胸筋をバキバキにして、ハーレム主人公として成長を遂げていきたいよ。女性に触れられても、吐かなくなったしね。
「……寝る」
「……ぅ」
コミュ障友達であるパーちゃんにそう告げて、僕はさっさと寝込み――明くる朝、身体を揺さぶられて目を覚ます。
「…………」
パーちゃんは、スカートを履いていた。
いつも、適当に後ろで結んでいる髪を下ろし、丁寧にブラッシングしたのか、癖っ毛が綺麗に整えられていた。ここまで豹変されると、愛らしい美少女に見えてくる。
純朴な村娘を思わせる、紺色のエプロンスカート……手が白くなるほどにぎゅっと端を掴み、ちらちらと上目遣いでこちらを窺ってくる。
「……パーシヴァル、お前は」
「ぅ、ぅん」
期待に満ちた目で、パーシヴァルはこちらを見つめ――
「……男の娘だったのか」
両目の光が消えた。
「き、気づいてないなとは思ってたけど……ぼ、ぼく、女の子だよ……」
「……あぁ、そうだな」
僕は、口の端を曲げて、彼……いや、彼女の肩にそっと触れる。
「……立派な女の子だ」
顔を真っ赤にしたパーちゃんは、感激のあまり身を震わせながら「ぅ、ぅん……あ、ありがとう……」とささやいた。
人の生き方は、人それぞれ。無闇矢鱈に否定するものではないんだなぁ。今日、僕は、そのことを学んだよ。しかし、久しぶりに感じる、この謎の吐き気はなんなのか。男の娘に目覚めたかもしれない。
「おーい、ユウリ! 行くぞー! 山ん中で、遭難は勘弁だからなーっ!」
階下からのオダさんの声に、無言で返事をして、砂と化したパーちゃんを襟元に招き入れる。
「ぇ、えひ……ま、まだ、神託の巫女の影響のせいで、勘違いを引き起こされてるんだよね……ま、間違いない……間違いないよ……」
独り言が多くて、親近感を憶えるなぁ。
ヴィヴィに突撃される前に、僕は階下へと下りていった。
僕たちが拠点としているロロの村から、山を下って約一日半。
山下の街とだけ呼ばれている街は、山岳部に位置する村々の中心にあるだけあって、行商人や買い出し人で賑わっていた。
わずかばかりの軒を奪い合って、押し合いへし合いしている最中、異界の民も猩猩緋の民も獣人の民も関係がなく、思い思いに声を張り上げて興隆を叫んでいる。
「おーっしゅ! ぜんうぃん、きちぇー!! 我りゃ若木蕾の第一目的は、生体核で発生した天災害獣を、ギルドにほうこきゅしゅることだじぇ!!
ちゅまり、第一目標は飯屋!!」
「いや、なに言ってんだ酒場だろ」
「え、なに言ってんのおじさん、服屋に決まってるでしょ?」
コミュ障ゆえに、人酔いしている僕は、気持ち悪さを必死に押し殺して声を上げる。なぜならば、この場で、正しい目的地を言えるのは僕だけだから。
「……本屋だ」
『Sランク冒険者に求婚してみた』の最新刊が、最優先に決まってるでしょ!! 人類の常識!!
「飯屋だじぇ!!」
「酒場でストレス発散!! アルコール!!」
「服屋×100!!」
「……本屋」
侃々諤々の議論を繰り広げる中、とんとんと肩を叩かれ、手だけになったパーちゃんの指が“張り紙”を指す。
「…………」
“指名手配書”と書かれたそこには――僕の顔が描かれていた。