そして、始まる
「……また、生体核か」
天災害獣研究機関に所属する新人でありながら、王座の前に伏せる少女……トマリ・アダントは息が詰まるような退屈を抱えていた。
各地で生体核による天災害獣の凶暴化が頻発し、死者重傷者合わせて数千にも及んでいる。天災害獣研究機関は対策手段の考案を命じられ、データ取りや資料作成に大忙しな渦中、研究熱心な先輩方は「天災王はお前に任せた」と彼女に全てを丸投げしていた。
ただでさえ薄給で拘束時間ばっか長いのに、どーしてこのあたしが、こんなでぶっちょの相手しないといけんのかね。
イライラしながらも、一応は王が相手なので、トマリは苛立ちを隠すため無表情を装おう。
「被害が出ておらんのは、エウラシアンの統治する地のみか。まったくもって嘆かわしい。コレでは、まるで、民が安心して暮らせんではないか」
「はぁ」
「それにユウリ・アルシフォンだ。行方不明とはどういうわけか。儂の策が実ってようやくエウラシアン家との婚姻を結んだかと思えば、雲隠れして音沙汰なしとは。まさか、今回の件に、なんらかの関わりがあるのではなかろうな」
「そぉ」
研究者というのは、基本的に変人ばかりだ。
少なくとも、トマリの周りには、天災害獣をペットにして右腕を食われたアホ同期とか、超究極生物の作製に失敗して借金を抱えるようになったバカ先輩の類ばかりいる。
「こういう時に、儂の命だけを聞く密偵がいれば楽だったんじゃが……王家に伝わる笑う悪魔の仮面を身につけて……そのような存在であれば、我が心中を打ち明けても良かったかも知れぬ……」
「へぇ」
自分語りがうるさいなと思いつつ、トマリは舶来の口紅で化粧直しを行う。自分の人の形をくっきりと、なぞりこむようにして。
「そもそも、天災害獣研究機関はなにをしておる!! ル・ポールの土中芋虫の件から、一向に事態の収束に向かっておらんではないかっ!!」
「はぁ、いやまぁ、進んでないわけではないんですよ」
魔術投影で空宙にグラフを描き、トマリはバカにもわかる解説を語る。
「このデータを見れば、脂肪の塊であるデブ王でもわかると思いますが、生体核は天恵秘宝であって、特異建造物から出た出土品の情報は、高出力の阻害魔力のせいで解析がほぼ不可能なんですよ」
「今、儂のことをデブ王と言ったか?」
「いえ、一言もそんなことは。恐らく、ご自身の脂肪が燃える音を聞き違えたのでしょう。
で、我々、天災害獣研究機関の誇る魔力粒度分布測定装置やら鉱物反応による組成分析やらかけてみても、ノーヒットノーランで終了いたしましてね。分解してみようにも、腕の良い魔術屋のかけた十重硬度の魔術掘削機でも刃が立たない有り様で。
四苦八苦しながら数ヶ月かけて判明したのは、コイツは、土壌有機物に酷似した一品であるっていうことだけですよクソデブ」
「はっきりと、クソデブと言ったなお前。
土壌有機物? つまり、どういうことだ?」
徹夜明けで鈍った頭を珈琲で活性化させ、トマリはそっとささやいた。
「過去、この地に生きていた者たちの死骸……人魔大戦で滅んだ筈の、魔族と呼ばれた種の残り滓ですよ」
愕然――王は目を見開き、王座を蹴飛ばすように立ち上がる。
「バカな……そんなものが残る筈がない……千年前の神の採択で、天秤は人に傾いた……神託の巫女の力で、魔族は存在ごと消えた筈ではないか……!」
いや、魔族って、民間伝承の中の存在でしょ? 冗談のつもりだったんだけど……天災害獣とも人とも思えない反応が出たから……というか、神の採択? 神託の巫女と並ぶ、あのおとぎ話の? なんなの、この反応、きな臭いわ。
この目の前のでぶっちょ王、シュヴェルツウェイン王家が名を残したのも、歴史の教科書通りなら約千年前。巧緻たる辣腕を振るった王の最愛の娘、エカテリーナ姫は、おとぎ話に語られる神託の巫女の生まれ変わりと巷でささやかれていた。
まぁ、心底、どうでもいいわ……そういう陰謀とかは興味ないから、竜種のもつ鱗の水分含有量の時代変遷をまとめ直したい。
飽き性のトマリがあくびをして、爪を弄りだすと――謁見の間の扉が勢いよく開き、思わずびくりと飛び跳ねる。
唐突に非礼を働いた少女は、血まみれの姿を光の只中に置いていた。
赤みを帯びた紫髪に魔力反応によって碧色に浮き出る紋様、猩猩緋の民の少女は叫ぶ。
「今直ぐ!! 今直ぐ、王都からお逃げくださいっ!! 速くっ!!」
「お前は……フィオール・エウラシアンと懇意にしていた……確か、ウェルシュタインの……」
ヴェルナ・ウェルシュタイン――12歳で精霊との契約を果たした天才少女。王都の新聞に載った際は、ミーハーな先輩諸君が「可愛い可愛い結婚したい!!」と狂喜乱舞していた愛らしい女の子。
そんな彼女が、焦燥を顔に刻み、必死の形相で声を荒げる。
「速くっ!! 間に合わなくな――」
地面が――揺れる。
あまりに強烈な揺れで、立っていられなくなりその場に座り込む。城下街の方から鋭い悲鳴が上がり、視界が横に縦に揺さぶられ、なにかが自分ごと王都を“包み込む”感触をはっきりと感じた。
数分にも渡る地震。
土台がしっかりとした王城は、ぱらぱらと天井から砂埃を落とすだけで済み……気味が悪いくらいに、しんと辺りが静まり返る。
顔を真っ青にしたヴェルナは、唇を震わせながらささやく。
「……始まる」
その宣言通り――始まった。