フィオールの願った理想
「……お前は」
ひしゃげた菓子折りを横目で見ながら、グレイはささやく。
「なんなんだ」
抜き放たれた白刃――フィオールは、咄嗟に長剣を挟み込み、ユウリ目掛けた攻撃を退ける。
重い!! だが、弾ける!!
魔力放出を逆方向に向け、退路をとる。距離を空けたフィオールは、握っていた手を見つめ、それがユウリのものだと知って赤面する。
「も、申し訳ありません」
「…………」
顔を青くして、押し黙るユウリ。どうやら、あまりの無礼に言葉をなくしているらしい。当然だ。子どものように手を引かれなくても、かのユウリ・アルシフォンならば、どうとでもなるのだから。
「ユウリ・アルシフォン」
グレイ・エウラシアンは、地に落ちた菓子折りを踏みつけて言った。
「お前の裡には、神託の巫女がいるらしいな」
「えっ……神託の巫女……?」
神託の巫女。たしか、兄が話していた、神の採択を発動させるのに不可欠な存在。かつて人と魔の間で行われた大戦では猛威を振るい、一騎当千の活躍で人類を勝利に導いた存在。
そんな、幻の存在が……ユウリ様の中に……?
「お前が、アーミラと名付けている女だ」
「……アーミラ・ペトロシフス・リリアナラ・ウェココロフ・ペチータ・アインドルフだ」
「アーミラを寄越せ。さすれば、残りの余生をやろう」
「……アーミラ・ペトロシフス・リリアナラ・ウェココロフ・ペチータ・アインドルフだ」
「くれと言って、渡すほど酔狂ではないだろうな」
グレイ・エウラシアンは――迅雷を帯びる。
空気中に放散される魔力の残滓……ぴりぴりと肌に焼き付いて、あまりの凄まじさに怖気すら感じる。
「その娘は、役に立たんぞ。シルヴィと比べれば、二流もいいところだ。扱いを知らぬ武器を用いたところで、自刃を稼ぐことしかできまい」
お父様の言うとおりだ。わたし程度の人間が、ユウリ様の横に並び立つことなぞ出来るわけが――
「……フッ」
嘲るように、ユウリは笑った。
「どうした? 頬の筋肉を鍛えているのか?」
「……お義父さん」
策略の煽り言葉で『お父さん』と呼んだユウリは、長剣をくるりと回転させて、襤褸で包んだ握り手を掴む。
「……それは、相性の問題だ」
「なら、魅せてみろ」
飛ぶ――グレイ・エウラシアンは、眼前に下り立ち、連続した音が響いた。瞬間、迫る剣閃。その数、実に十三。
「…………」
まるで反応できなかったフィオールの前で、飛剣がひとつ残らず叩き落とされる。
「相性の良さは、どうした?」
「……お互いの弱さも知っています」
稲光の足運び。曲がった光を追いかけて剣を払ったフィオールは、影のように掻き消える父を捉える。
き、消えた!? 違う!! 稲光の足運びの最中に稲光の足運びを発動しているのか!?
――何回まで視えた?
父の言葉の真意を知り、ぞっとする。どこまで底の知れない御人なのか、今まで自分が見てきた父の姿は、まるで遠い彼方の夢物語のようだ。
屈折。屈折する。瞬く間に行われる稲光の足運びによって生じた光が、屈折して歪曲し、多重となって視界に折り重なる。幾重にも折り曲げられた父の姿が多重構造となって周囲を包み、幾億とも思える剣刃が四方八方から浴びせられる。
だ、ダメだ、受けられない!!
「……フィオール」
諦めかけた彼女の耳に、憧憬の言葉が入り込む。
「……背中は任せた」
どくん、と心臓が跳ねる。
身につけた腕輪が熱くなって焦げ付き、碧光が転回しながら散乱し、ユウリを通して伝わった膨大な魔力が全身に循環する。
――おやすみ、フィオール
その言葉に相反する、己の理想から捧げられた信頼。
――背中は任せた
指先から破裂しそうな感覚、ありとあらゆるものがスローモーションになって、必死の形相でフィオールは力を制御する。
ついていけ! ついていけついていけついていけっ!! もう守られるのが嫌なら、お兄様に、ユウリ様に置いていかれたくないならっ!!
知れず、彼女の口から咆哮が迸る。
「これくらいの困難!! 跳ね除けて魅せろ、フィオール・エウラシアンッ!!」
ユウリと背が合って――碧の剣閃が煌めいた。
右に迫る剣刃をユウリが左に弾き、左から襲う剣光をフィオールが右に弾いた。
まるで、鏡合わせの乱舞。
ユウリがどのように動くのか、どこが死角になっているのか、なにをもって剣を振るのか……なにもかもが全身に染み込んで、絢爛たる剣乱に結びついていく。
ユウリ様は、いつも、こんな風に剣を振っていたのか。
無尽蔵に湧く魔力に感激しながら、彼女は剣に稲光をのせる。対応したユウリもまた剣撃を速めて、背中越しに伝わるぬくもりの気持ちよさに、フィオールは知れず微笑んでいる。
あぁ、いつまでも、続けばいいのに。
そう願うほどに、ユウリと捉えた時は心地が良かった。なにかを殺すために用いる術は感動へと昇華し、剣を振るという行為に高尚さすら感じる。
「……フィオール」
剣乱の舞踏の最中、ユウリはそっとささやいた。
「……ひゃじめちぇのきょうじょうさぎょうじゃな」
古エーミル語の冗談――はじめて出会った時のことを、憶えていてくれたんだ。
胸に満ちる温かい気持ち、そして焦がれるような想い。
あ、あれ? なんで、急に気恥ずかしさが? け、剣を振るっている最中なのに、このたまらない気持ちは? え? な、なに?
「……っ!」
父の驚愕。彼の振るった剣が天高く吹き飛び、くるくると円を描きながら、地面に突き刺る。
「……これが」
ユウリは、片手で口を押さえながら、今にも死にそうな顔で言った。
「……愛の力だ」
「はい――えっ!? 愛の力!? えっ!?」
顔を真っ赤にしたフィオールとは正反対に、ユウリは顔を真っ青にして仁王立ちしていた。